A. 20才の秋、旅に出た。(6/16)グランドキャニオン、ラスベガス、LA、エルパソ

A.20才の秋、旅に出た。

10/25 土 晴れ グランドキャニオン

朝、バスでグランドキャニオンに行く、バスの都合で45分くらいしか居られなかったが素晴らしい所だった。峡谷は距離感がつかめないくらいスケールが大きかった。谷間の下へ続くジグザグした細い道が見えた。馬の背中に乗って谷底のロッジまで降りることができるようだ。いつか、再訪した時にトライしたいと思いながら、つくづく時間を気にせずに自由に車で旅をしたいと想った。

アメリカ国内のバス旅行は安くて便利だが、どうしても行先とタイムスケジュールに縛られる。そんな事を考えていた時、目の前の駐車場に大型の観光バスが止まった。中から日本から来た団体旅行者が一列になってゾロゾロと出てきた。皆一様に、小綺麗な格好をしていた。年配の人が多かったが、若い人達のグループも混じっていた。若い男性と目が合って立ち話をした。一人で旅行しているのが羨ましがられた。

                 グランドキャニオンの絶景

夜、モーテルのテレビでボブホープショーを見た。多彩なショーでゲストがすごい。シナトラ、イングリット・バーグマン、サミーデービスやカーペンターズが出演していて素晴らしかった。こんなに大人が楽しめるテレビ番組は日本には無い。とても洒落た番組だ。

フラッグスタッフの町で旅行中の日本人の女性二人に会った。話をすると、この後飛行機で南米からイースター島、そしてタヒチと周遊して12月に日本に帰るそうだ。僕の旅と比べたらすごく豪勢な旅行だ。異国で言葉が通じないため、日本人を見るとつい話しかけたくなる。サンフランシスコの男二人組、シアトルの四国の学生、バッファローのヒッピー風一人旅、マイアミのこざっぱりしたどう見ても日本人の男二人組、アルバカーキのハワイ日系のおじいさん。それにしてもここの朝はすごく寒い、昨日のグランドキャニオンは手がかじかむ程寒かったし、今朝は吐く息が白くなり、とても冷え冷えとしていた。

夕方ラスベガスのダウンタウンに着いた、イメージしていたカジノ街ではないのでちょっとしらけた。ダウンタウンから離れたスターダストのバスターミナルの方にカジノやホテルが沢山集まっていた。泊まるつもりでいたが週末でホテルが混んでいたので、夜の11時40分発のバスでロスアンゼルスへ戻ることにした。アメリカに来て初めてここで1ドル硬貨を手にする。ここでは賭けのチップの代わりに使われている。記念に持って帰ることにしてジーンズのポケットへしまった。

カジノスターダストで遊ぶと、6ドルを瞬く間にすってしまった。ついていないというか、博才が無いようなので賭けはやめてハンバーガーを食べに行くことにした。入った店内にもスロットルマシーンが並んでいた。ハンバーガーをオーダーする前に、4ドルの紙幣を5セント硬貨に替えてもらい遊んでみた。ツキが変わったらしく、7が三つ、横一列に並んで派手にベルが鳴りだした。でもお金が出てこない。どうしたのかとコインが出てくる穴を覗いていると、悩ましい格好をした金髪のグラマーなお姉さんが近寄ってきて、現金で25ドルを払ってくれた。

                ラスベガスのスロットルマシーン

ハンバーグを食べた後でもう一度遊んだが、今度は負けてしまった。バスが出るまでに充分な時間があったのでスターダストに戻り、店内をアチコチ見ながら一周してみた。ルーレットに似た簡単な賭けを見ているうちにやって見たくなり、勝ったり負けたりしながら長い時間遊ぶことが出来た。20ドル負けたら辞めるつもりで、最後の1ドル硬貨を40ドルの枠に入れたらそれが見事に当たった。ちょうどバスの時間になったので勝ち逃げすることにした。愉快な晩だった。

10/26 日 晴れ

出発地のロスアンゼルスに無事に戻ってきた。バスターミナルで、偶然マイアミで会った日本人の二人組に再会した。リトルトーキョーのニューヨークホテルへ彼らと一緒に泊まることにした。彼らはかなり重たいバックパックを担いでいた。きっと荷物が重すぎて旅行するのが大変に違いない。

ターミナルではもう一人日本人の青年と出会った。彼は夏のカナダで皿洗いのバイトをしてかなり儲けたらしく、バイト先として夏のロッキーはとても良い所だと言っていた。リトルトーキョーの印象は年寄りが多くて活気が無く、皆ダラダラしていて何か嫌な雰囲気がした。色々な旅行者の話を聞くのはとても面白かった。

リトルトウキョーのホテルでは、メキシコから戻ってきた日本人の青年と出会って旅の話を聞いた。メキシコは泥棒が多くて、足元に置いた荷物でさえ盗まれることがあるそうだ。特に手荷物はいつも体から離さないようにしていたと言う。カメラも肩から吊るしていると、後ろからナイフで切り盗られてしまうこともあるとかで、用心しなければいけないと言っていた。

翌日、一ヶ月ぶりにアンディのアパートへ戻ると、実家から手紙が届いていた。手紙には兄が来年結婚すると書いてあった。本当によかった。僕もうれしくなった。昼はアンディと彼の友人の三人でロングビーチにある東京フローラというレストランに行った。アンディの友人ミツルがバイトしているかなり立派なレストランだ。コックさんがすごくご馳走してくれた。久しぶりにとても美味しい日本食でお腹が一杯になった。彼らにとても感謝している。

翌日は日本の友人から紹介してもらった宗三郎さんの家でご馳走になった。日本の飛行機会社に勤めていて、日本人の奥さんと3才くらいの娘さんと3人で暮らしていた。日本へはロスから帰国すると言ったら、その時は家に泊まれと言ってくれた。ありがたい。

10/27 晴れ

栄養を補給させてもらったロスから、メキシコを目指して再び旅に出ることにした。昨日はバスの時間を調整するために、もう一度ラスベガスへ行った。内心、柳の下の二匹目のドジョウに期待していたが、さすがにカジノで今回は簡単に35ドルをすってしまった。この失敗から何かを学ぶことが出来るようにしたいものだ。しかし、時間調整で寄ったはずが、バスの便が少ないのでラスベガスで泊まらずにサンディエゴに行った。

サンディエゴではバスターミナルの近くにあったYMCAに泊まった。翌日、有名なシーワールドまでダウンタウンからブラブラ歩いて行った。観光案内図では近いと思ったが、片道3時間くらいかかったのでとても疲れた。入場料はたったの5ドルで、楽しいショーを見ることができた。でもここにあった日本村はいただけなかった。日本人から見たら全体的にアンバランスで、奇異な感じを受けた。しかし、オットセイのショーや、音楽とライトの色で四季を現した噴水のショー、そしてシャチやイルカのショーはとても素晴らしかった。来た甲斐があった。

10/31 快晴

目覚まし時計が無いと不便なので安いTIMEXの時計を買おうと思ったが、手にとってみるとすぐに壊れそうなのでやめにした。サンディエゴの街中で、偶然に見つけたキャンプ用品の専門店で、アルミフレーム付きのバックパックを40ドルで買った。縦長で長時間歩いても疲れないように設計されている。オレンジ色をした厚手のナイロンキャンバスは、裏地が防水加工されているので雨が降っても安心だ。旅行に出る前から欲しいと思っていた品物が見つかったので嬉しかった。羽毛のアノラックも50ドル未満で売っていた。もし南米に行ってここへ帰ってきたらバイトでもして、5着ほどお土産に買って帰りたいなと思った。

この日、ツーソンに着いて郵便局から日本の従兄弟に手紙を送った。またロスのアンディのところへ要らなくなったキャンバス製のリュックを送った。日本で買った登山用のリュックは幅広で、人通りの多い街中では使い勝手が悪い。またとても不恰好なので、あまり好きではなかった。

郵便局近くの日差しが気持ち良い公園でベンチに座った。数人の年寄り達がのんびりと何か面白そうなゲームをしていた。天気の良い綺麗な公園で年寄り達がノンビリと遊んでいる光景は、穏やかで生活に余裕が感じられた。今の日本では絶対に見ることができない光景だと思い、何か残念な気持ちになった。

11/1 晴れ

昨晩、9:30にメキシコとの国境の街エルパソに着く。バスターミナル近くの安ホテルに入った。1泊8ドルだった。部屋の中は奇麗にしてあった。熱いシャワーを浴びながら、頭をシャンプーで洗ったのでさっぱりした。

朝、早めに目が覚めたので街中をブラつくことにした。一軒の商店でアメリカ製の良いナイフを見つけた。15ドルでとても欲しくなったが、これも南米から帰って来てからにする。バックというメーカー名で、切れ味が良さそうだった。このナイフで釘を叩いて切断しても、刃こぼれがしないと宣伝されていた。そのまま歩いていると国境のリオグランデ川に架かっている橋が見えた。橋の向こう側はメキシコだ。車や人の往来が激しい。街にも多くのメキシコ人達が歩いていた。

バスターミナルで聞くと、流石にグレイハンウンドのアメリーパスはメキシコ行きには使えなかった。メキシコシティー行きのバスチケットを21ドルで買った。アメリーパスは全米の路線を1ヶ月以内自由に使えて99ドルだった。とても安かったことを実感した。そして、なぜかこれでもう普通の観光旅行は終わったと感じた。

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