A. 20才の秋、旅に出た。(8/16)中米5カ国

A.20才の秋、旅に出た。

11/16 グアテマラ

朝、6時発のグアテマラ国境行きのバスに乗るため霧が垂れ込める中を歩く。とても寒い。乗客はインディオ系の人達が多い。車内に色々な荷物や生きた鶏まで持ち込んでくるが、山岸さんとイスに座って行けた。バスが走る山中の路はカーブだらけだった。

国境に来たという雰囲気の場所に初めて着いた。アメリカとカナダやメキシコの国境はあまり日本人がイメージする国境とは感じが違い、簡単な手続きでバスごと出入りができる。ここはバスで国境は通れない。歩いて国境ゲートを超えた。グアテマラに入国するには、ツーリストカードに記入して、2ドルの手数料を払うだけですんだ。予想していた以上に簡単だったが、初めて国境を超えたと感じることができた。

地図をもらってすぐにグアテマラシティー行きの直行バスに乗る。国境を超えても道路はカーブだらけの山中を走る。歩いている人たちはほとんどがインディオ系だった。山中の木々は松が多く、日本の山の景色にとても似ていて懐かしい印象を受けた。人家のある周りは農村風景が続き、良く畑が耕されていて気持ちがよかった。

夕方、暗くなってからグアテマラシティーに着いた。腹が空いていたので、山岸さんの持っていた情報を元に中華レンストランに行って夕飯を食べた。1.60ケッツアルだった。久しぶりに野菜を沢山とることができた。宿も山岸さんの情報を元に、スーカサ・ファミリアというペンションに泊まる事にした。小汚いバラックのような宿だったが、夜も遅くなったので今晩だけ1.35ケッツアルで泊まることにした。

翌日、近くに在る他の2軒のペンションを見に行った。結局、3人の日本人旅行者が泊まっているホテル・レオンに投宿した。3人とも日本を出てから1年以上になるという。そのうちの一人、千葉出身のケンちゃんと仲良くなった。シカゴで1年間写真の現像の仕事をしていたらしく、世界一周してからアメリカへ戻って働き、将来的にはブラジルへ移住するつもりだという。

ここにいる旅行者からコロンビアの治安が悪い話ばかり聞いた。昔読んだ世界一周自転車旅行記や、ワーゲンバンで世界一周した旅行記にも、コロンビアの治安の悪さが書かれていた事を思い出した。流石に一人で旅行せず、出来ればケンちゃんと一緒に行こうかと思った。

ケンちゃんの話はとても面白く、アメリカではいちいちビザの事など気にすることはないそうだ。僕が日本でメカニックとして働いていた事を言うと、アメリカでメカニックは稼げる商売だと言い、彼の友人の日本人メカニックは2年間で3万ドル貯めたそうだ。そして日本に送金して貯金をし、月6万の利子をもらっているそうだ。とても羨ましく感じた。

この話を聞いて僕もしっかりメカニックの修行をして、カナダかアメリカへ出稼ぎに行って金を貯めようかなと思った。この時、一緒にビールを飲みながら、僕が山岸さんから聞いたカンクンと、グアダラハラで酷い目に会った日本人の話をした。そしたらそれはなんとケンちゃん本人のことだった。奇遇だ。一瞬、世界が狭くなったような感じがした。

11/20 エル・サルバドル

グアテマラで山岸さんと別れ、ケンちゃんと二人で中米5カ国を走るティカブスというバスに乗った。首都のサンサルバドルに来る途中、南下するバスの進行方向の右手にあたる太平洋側は、夕焼けの太陽がとても綺麗で、同時に左手の山上には明るい黄色い月が見えた。太陽が沈んであたりが暗くなってくると、バスの窓から見える月は眩しいくらいに白くなった。

サンサルバドルの宿に着くと、グアテマラシティーのペンションメサに居た鈴木君と、もう一人南米から上がってきた日本人旅行者が居た。鈴木君はとても日焼けしていて真っ黒だ。土地のインディオと見分けがつかない位だ。彼は本当に軽装で、うす汚い肘が破れたセーターとジーンズ、そしていつもゴムゾウリを履いている。背中に小さなナップザックを一つ背負っているだけだ。

南米から上がって来た人は、山岸さんがグアテマラで落ち合う約束をした日野さんという人で、旅で知り合ったスイス人の男性と一緒に旅行していた。とても面白い人だ。夕食後、日本人旅行者達が連れたって、サンサルバドルの赤線を見学に行った。セントロ(ダウンタウン)の一角にあり、鉄格子の入った窓から居間にいるオネエさん達が見えるようになっている。

普通のバーも多く、酒を飲みに来るだけの男達も多かった。通りは街灯に照らされて危険な雰囲気がする場所ではなかった。皆で一軒のバーに入ってビールを飲んだ帰りがけに、二人の警察官から職務質問(言いがかり)を受けた。日野さんは達者なスペイン語で臆することなく、彼らの言いがかりに反論していた。脇で様子を見ていたが、アイビー風にきめた日野さんはとても格好よかった。旅をしていて言葉が出来ないのは情けない。語学の重要性を痛感した。

翌日、カフェテリアで現地人の弁護士さんと知り合いになった。たまたま集まった7人の旅行者全員が彼の運転するワーゲンに乗り込んで、ミスユニバースの会場にもなった郊外のプールまで行った。出発したのが遅かったので暗くなってしまったが、小さな滝のあるプールで泳いだ。

彼の家へ招待されて家族を紹介された。彼も美人の奥さんも白人系だ。ここの金持ち達は皆白人系みたいだ。郊外にある高級住宅街でかなり立派な一軒家だった。そこで酒をご馳走になった。彼の奥さんや子供達は若い東洋人の旅行者がゾロゾロと家に入ってきたので面食らったようだ。最初のころは良い人だなと思っていたが、段々酒に酔ってきて同行したイギリス人の女性旅行者にしつこくなり、皆ちょっと嫌な気分になってきたので早々に退出することにした。

翌日、仲良くなったイギリス人女性と、彼女のボーイフレンドで小柄な日本人のブチさん、そしてケンちゃんと僕の4人で、列車に乗って南のホンジュラスとの国境へ行くことになった。首都のサンサルバドルから乗った列車は、先頭のディーゼル機関車に貨物車がつき、最後に客車がついている。窓にはガラスも入っていない、相当に古い列車だ。

僕らが座ったワゴンには他に誰も乗っていなかった。椅子も木製のベンチで少々疲れたが、ジャングルの中を通ったり、遠くに湖が見えたりして、素晴らしい景色をノンビリと堪能することができた。バスなら3時間くらいで行ける距離を何度か止まり、なんと14時間もかかってしまった。走り出すときは鞭打ちになるかと思うくらい、ガクンと音がして出て行くとても味のある乗り物だった。

11/23 小雨 ホンジュラス

昨日、ホンジュラスに入国した。朝、国境でケンちゃんと二人で飯屋を探していたとき、小銃を持った二人の軍人に職務質問を受けた。ボディチェックをされた時、ケンちゃんがベルトのサックに入れていたキャンプ用の十得ナイフ(スプーンやフォークまで付いていてかなり目立つ)を没収されそうになった。ケンちゃんが抗議してようやく取り返すことができた。彼らはナイフか、代わりに金を欲しがっていたのかも知れない。周りで僕らと軍人達のヤリトリを見ていた土地の連中も、彼らがあきらめて行ってしまった後、汚ネーポリスだと、皆で罵っていた。

ホンジュラスは太平洋側にエルサルバドルとニカラグアに挟まれた、海に面した小さな土地に港を持っている。あまり見るべき所もないという旅行者間の意見で、内陸の首都テグシガルパには向かわず、国境でティカブス(中米5カ国通過バス)に乗ってすぐ隣のニカラグアに移動した。

夜7時に首都のマナグアに着いた。1972年の12月に大地震で崩壊した町だ。3年近く経っても復興されず、町中至る所に瓦礫やバラックが目立つ。セントロ(ダウンタウン)に所々立っている立派な建物は、いち早く復旧された政府の建物か、独裁者ソモサ系の企業だ。アメリカや他国から受けた地震に対する援助は被災者に分配されず、全て大統領の懐に入ったと言われていた。今まで見てきた首都の中で一番貧しい。

マナグアから早々にバスでコスタリカへ移動した。コスタリカは中米の中でも白人系が多く住んでおり、軍隊も無く治安が良い。中米で文化水準の一番高いコスタリカは中米のスイスと言われていた。メキシコを出てグアテマラに入ってからと言うもの、コスタリカの首都のサンホセに大分期待していた。

サンホセに到着し、雨の降る中をバスから降りた。日本から買ってきたハイキング用の黄色いビニール製のポンチョをバックパックの上から羽織って歩く。巨大な黄色いテルテルボウズのようですごく目立って格好悪い。セントロ(中心街)を歩いている人々からの視線を一身に集める。あんまり格好が悪いのでポンチョを脱ごうとしたら、ケンちゃんがそれを知って彼の草色のレインコートと交換してくれた。アメリカで買ったコートとかで格好よかった。彼の好意が嬉しかったが、格好ばかり気にしている自分がガキのように思えて、少し恥ずかしくなった。

残念ながらサンホセは首都とはいえ、いなか町風の小さな街で全然面白くない。また人々の旅行者に対する反応も少し冷淡な感じを受けたので、まったく期待はずれだった。僕らが泊まったホテルで一人の日本人旅行者に出会った。彼は数日前に隣のパナマのコロンで、朝9時頃、もう一人の日本人と一緒に公園を散歩していた時、突然5人ほどの黒人に囲まれたそうだ。ナイフで脅され、肩から提げていたバッグを盗まれてしまった。金と航空券も盗まれたと言っていた。航空券は再発行されたが、現金はもどらない。パスポートは盗られず、怪我も無かったことが不幸中の幸いであった。この話を直接被害者から聞き、パナマでは充分周囲に気をつけなければいけないと肝に銘じた。

11/28 金 晴れ パナマ

久しぶりに日記帳を開く、書く事柄は沢山あったのだが、つい面倒臭くなってしまった。そこで今日までの事をまとめて書くことにする。一番のサプライズはコスタリカで起きた。ブチさんの彼女であるジェーンがブチさんと別れてしまった。そして彼女のパートナーが代わった。ケンちゃんと仲良くなってしまったのだ。

僕はとても驚いた。が、分からなくもない。それはケンちゃんがすごい二枚目で頭も良く、英語もスペイン語もできるし、話をするのがうまくてとても面白い。どこへ行っても女性からすごくもてる。彼に女からもてる秘訣を聞くと、自信を持ってやさしく接することだそうだ。彼を見ているとなるほどと思うが、自分には彼がするように、女性に優しく接するのは恥ずかしくて出来そうも無い。だから今まで彼女ができなかったのかも知れない。

パナマはあいにく天気が悪かった。パナマシティーにティカブスで着いたのが深夜の3時頃だった。なんとか目指すペンションに辿り着くことができた。ケンちゃんが他の旅行者から得た情報によると、コロンビアに入国する際は、出国用の航空券を提示する必要があった。

翌朝、皆で航空会社の事務所へ行き、50ドル分の距離切符を購入して出国用の航空券の代用にすることにした。IATAに加盟しているので、1年以内なら世界中どこでも、どこの航空会社でも金券として使用することができる。この後、アメリカが統治する運河地帯(カナル・ゾーン)へ行った。ここはアメリカの領土と同じで、治外法権が確立されている。残念ながら夕方5時に中へ入るゲートが閉まってしまい、ほんのちょっとだけ運河を見ただけで帰ってきた。

カナル・ゾーンはまったくアメリカと変わらず、広い敷地内は全てが清潔でゆったりと整備されていた。パナマはメキシコの南やグアテマラと異なり、インディオ系の人はほとんどおらず、黒人や白人系の人が目立った。

翌日、活気のあるパナマ旧市街を歩いていると、パナマ湾に面したコロニアル風の綺麗な建物が目に入った。とても綺麗なので開いていた門から中を見ていると、警察官が出てきて何をしているのか聞かれた。日本から来た旅行者でレストランを探していると言ったら、この辺は泥棒も多いから気をつけろと言われた。そして、ここは警察の将校クラブだが、中のレストランで食事をしても良いと、とても愛想良く誘われた。

警察官に優しくされたのは初めてなので一同驚いた。お言葉に甘え、将校クラブのウェイターに案内された。湾に面した大きなテラスで、真っ白なテーブルクロスが掛かったテーブルに座った。とても美味しい料理を堪能することができた。

貧乏旅行者には中々このような雰囲気を味わう事ができない。久々に何ともいえない贅沢な時間を過ごすことができた。期待していたコスタリカではこのような雰囲気を味わえなかったので、パナマで味わう事ができてとても満足した。

夕方、帰りがけに見つけた映画館では勝新太郎の座頭市を上映していた。座頭市対カンフーで、以前日本で見たことがあった。ケンちゃん達は見たことが無いと言うので映画館に入った。英語に吹き替えてあり、スペイン語の字幕が出てきたが、僕はストーリーを覚えているので映画に没頭できた。最後のクライマックスのシーンは、市とカンフー役の王羽が決闘して激しくブツカッタ後、少ししてからカンフーが倒れる・・・はずだった。が、なんとここでは座頭市が倒れた。負けた。そんな馬鹿な。唖然とした。

映画が終わって外に出てから皆に話すと、彼らも驚いていた。入口の壁に貼られたポスターを見ると配給は日本の会社ではなく、香港の映画会社であった。そうか、中国向けと日本向けの二つのシーンが撮影されていたのだ。そして香港から中南米に輸出された映画だったのだ。日本の映画ファンが知らない秘密を見つけたようで、なんとなく嬉しくなった。映画好きの友達に良い土産話が見つかった。

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