2024年5月24日から6月8日まで、カリフォルニア州パロアルトに住む息子の家に遊びに行ってきた。息子はアルゼンチンで高校を卒業し、東京の大学を出てから都内の米国系の会社で3年ほど働き、米国のサンノゼ(スペイン語読みではサンホセ)の支店に移籍してから永住権を取った。今は日系の投資会社で働いており、すでに米国滞在は15年になる。
今回は妻の発案で息子の40才の誕生日(6月1日)をサプライズで祝おうと言うことになり、息子に内緒で日本人のお嫁さんに相談してスケジュールを決めた。スイス在住の娘も来ると言うことで、5月24日の夜11時過ぎにサンフランシスコ国際空港で落ち合うタイミングでフライトを選んだ。
私達はメデジン15:40発のコパエアラインで、パナマを経由(18:02時パナマ発)してサンフランシスコに予定通り23:40時に到着した。飛行時間はトータルで7時間ちょっとかかった。余計にお金を払って足元の広い席を取ったので楽ではあったが、長時間座っていると尻がとても痛くなって何度も姿勢を変えた。尻の筋肉が減ったせいだと思う。隣でぐっすり寝ている妻とは対照的に、私は映画が好きなのでフライト中は眠らずに3本ほど映画を見ていた。
私はいつも飛行機の席は通路側に取る。トイレに行くのに隣の人を気にせずにすぐ立てるのと、降りる際にも便利だ。これは長年にわたる多くの出張フライトで身についた席の取り方だ。国際便なので夜食が出るが、エコノミーではあまり期待できない事から、小さなおにぎりを4個ほど作って持参した。因みにアメリカの国内便では食事は有料になるので、昼時にかかるフライトや西海岸から東海岸など長いフライトは、ハンバーガーなどを買って持ち込む人が多い。
サンフランシスコの国際空港での入国手続きは、入国管理官に私と妻のパスポートを渡して訪問理由と滞在期間を伝えた後に、それぞれ顔写真を撮られてお終いだった。パスポートには入国スタンプも押されなかった。妻は10年の観光ビザを持っており、日本人の私はESTAでOKだ。またEUに行く場合、コロンビア人も日本人もパスポートだけで入国できる。スイスのようにEUではないが、シェンゲン協定に加盟している国もOKだ。ところが日本人と結婚していても、コロンビア人の妻が日本に行く時が一番大変だ。観光ビザを取るのに多くの書類を揃え、本人または代理人がビザの申請時と受取る時に、首都ボゴタの領事館まで出向かなければならない。反対に日本人がコロンビアを観光する時はビザ無しで入国できる。これはニ国間における不平等な協定に当たるので、早急に改善して貰いたい。
入国手続きが終了し、荷物が出て来るのを待っていると、お嫁さんから携帯で連絡があった。サンフランシスコの空港内は面倒な操作を必要とせずに無料でWiFiが利用できるのだ。カナダのモントリオール経由で来る娘の便が、3時間の遅れだと言うことだった。当初は娘の大学時代の友人が私達を出迎えてくれる予定になっていたが、さすがに娘の到着が深夜3時頃になるので、友人の出迎えを断わり娘はウーバーを予約したそうだ。お嫁さんは息子に、自分の妹がロスアンゼルスから急遽来るので空港に出迎えると告げて、私達の出迎えに来たとのことだった。息子は私達が来るのを全く気がついて無かった。
家には空港から深夜の高速で約30分足らずで到着した。すでに1時を過ぎてしまっていた。玄関からお嫁さんが先頭になって、携帯のビデオを回しながら入った。居間のソファに寝転がってテレビを見ていた息子の姿がお嫁さんの肩越しに見えた。同時にお嫁さんの後ろから家に入って来た私達を見た息子にサプライズと言うと、目と口を大きく開いて一瞬固まった。そして「えーっ、どうしたの?」と、ソファから起き上がり私達に抱きついて来た。
息子夫婦には保育園に通っている長女と長男の二人の子供がいる。長男が先週までアレルギーで入院したのが心配になって来たと言った。すぐに「とっくに治たって言ったじゃん。」と、言われた。ちょっと苦しい言い訳だった。誕生パーティーにサプライズで彼の多くの友人が集まることを本人は知らないから、「かわいい孫が心配だから来たんだよ。」で、押し切った。もちろんスイスから娘が来ることも知らない。
30分ほど雑談をしてから寝室に入り、私は携帯を見ながら娘の到着を待った。娘はスイスから来る前に米国で使用できるE-SIMをネットで購入していた。予定した3時過ぎになって娘から家の前に着いたというメッセージを受け取り、そっと防犯アラームを解除して娘を家に入れた。息子夫婦はとっくに寝てしまっていたので気づかれなかった。
朝になり、息子が起きてきて家にスイスに居るはずの妹が居たのでまたびっくりしていた。この日、娘は大学時代のアメリカ人の男友達と、卒業以来久々に会うと言って外出し、夕方に戻って来た。月曜日は祭日とかで、やはり大学時代のアメリカ人とフィリピン人の友人二人とランチに行く約束があるそうだ。なんとこの友人達は男性同士で大学時代から同棲しており、アメリカに戻ってから結婚したそうだ。同性同士の婚姻はサンフランシスコでは珍しく無いとの事だ。内心自分達の子供がゲイでなくて良かったと思った。
私は土曜日の朝、少し肌寒かったがあまりにも天気が良いので、息子家族の愛犬のキキを連れて近くの緑が綺麗な公園まで散歩して来た。昔からの閑静な住宅街は落ち着きがあり、老夫婦で散歩している人が多く治安の良さを感じた。パッと見、新しい家は少なくて古そうな家が多いが、どこの家も前庭に塀は無く、綺麗に手入れをされた芝生に、花や木が植えてあるところが多い。流石に家の左右と裏庭は木の塀で囲まれている。建て替えをしている家を見ると2X4の木造建築であったが、日本の家に比べるとかなり施工が雑に見えた。
キキと散歩に行った近くの公園、子供の遊び場も2ヶ所あり広くて緑が多い。
昼前に、息子、孫二人、妻と私の5人で、パロアルトのダウンタウンで開かれる朝市へ出かけてみた。出店している店が少なかったが、新鮮な野菜やフルーツを買ってお昼のサラダに使用することにした。食後には、息子から動いていないスプリンクラーの点検を頼まれた。制御盤がガレージの奥に見つかり、英文とスペイン語のマニュアルも中に保管されていた。マニュアルを見ながら手動で試験すると、なんの問題もなく水が庭のあちこちに散水された。時間を合わせてから自動運転にして散水を確認する事もできた。
翌日の日曜日も快晴で、息子とバーベキューをする為の食材を買いに出た。大型スーパーに行くのかと思ったが、再びパロアルトのダウンタウンへ行った。今日は昨日とは異なり大規模な朝市が開かれていた。数本の通りを歩行者天国にして、フルーツや野菜等の食材や軽食を売る屋台が多く出店されていた。そして予想以上に多くの人が買い物や食事を楽しんでいた。
朝市で野菜などを購入した後、大型スーパーでバーベキュー用に和牛と書かれた肉の塊、ソーセージなどの食材を買って帰った。私達と娘からの誕生日プレゼントにAmazonで購入したアメリカ製のバーベーキューコンロセットがすでに届いていたので、お昼は炭焼きバーベキューをすることにした。
このコンロセットは、以前ミクロネシアに住んでいた時に仲良くなったアメリカ人の友人が使っていたコンロと同じタイプだ。いくつものアタッチメントが社外品で売られており、コンロの蓋とベースの間に、高さ20センチほどのスペーサーを入れるとピザ窯にもなる。また付属の小型モーターを使用して、チキンをクルクルゆっくり回して丸焼きも出来る優れものだ。
家のバックヤード、愛犬のキキと丸いバーベキューコンロ
今回は適当に一口大にカットしたピーマン、キノコ類、玉ねぎの輪切はステンレスのカゴに入れて焼いた。その後にチョリソ風ソーセージと和牛のステーキを焼いた。よく燃えている炭を網全体に広げて、コンロ内の火力を中火で均一にする。炭火の端っこに、燻煙の出るヒッコリーの木片を入れてスモークを出す。ステーキ肉のぶ厚い塊は塩胡椒をして、まず全ての面に焼き色をつけていく。肉を返しては蓋をして、を繰り返し、トータルで10分程焼いた。肉の外側に綺麗な焼け目が付いてくると、トングで肉を挟んだ時に内側の肉の弾力を感じる。この弾力具合でミディアムかミディアムレアーの判断を行う。もちろん慣れが必要だ。
焼き具合が分からない時は肉に温度計を刺して判断すると良い。肉の中心が65℃越えたくらいになると、カットした面が綺麗なピンク色になるミディアムだ。女性が好む焼き具合だと思う。私は60℃程度にして、もう少しジューシーなミディアムレアが好きだ。そうそう、最後に肉をコンロから出してアルミホイルで5分ほど包んでおくと、余熱で肉の中の焼け具合が均一になってジューシーさが増すという。以上、肉の焼き方はかつて友人から聞いたり、ネットで読んだ受け売りだ。
久々のバーベキューと、使い慣れていないコンロなので野菜やソーセージの一部を焦がしてしまった。そんな事は気にせずにおおらかな気持ちで快晴の空を見ながら、焼き野菜とソーセージをつまみに飲んだ冷たいビールが美味かった。最後にステーキを食べやすく切り分けた。ステーキはとても上手く焼けた。ミディアムレアの和牛ステーキは噛むと、口の中に肉汁が広がってとても幸せな気分になった。
この日の午後、息子家族は友人宅で誕生日会に呼ばれていたので、妻も娘も一緒にサンノゼまで出掛けて行った。息子の大学時代の友人で、アップルの本社で働いている日本人の女性だ。この日は彼女の息子の誕生日で、私の孫娘と同い年であり、とても仲が良い。私もすでに知っている人なので遠慮することは無いのだが、私は夜のフライトではまったく寝て来なかったので、キキと一緒に家で寛ぐことにした。
息子夫婦はパンデミック以降、基本的に在宅勤務が続いている。週に2度ほど事務所に顔を出すだけで良いそうだ。子供の保育園の送り迎えは息子が行い、家で仕事をしているがいつも夜中まで働いている。その間、私達は家の掃除や洗濯やら調理をして手伝った。何度か私達夫婦は息子の車を借りて買い物や昼食を食べに出たりもしたが、息子が住み始めてから、何度もサンフランシスコに遊びに来たので観光する気は起きなかった。
私は楽しみにしているユニクロと、マーシャルというディスカウントショップで衣料品を買うのが好きだ。ユニクロの商品は着やすく、コスパが良い。残念ながらコロンビアではまだ出店されていない。マーシャルはブランド衣料のアウトレット出店後、売れ残ったアウトレット品みたいな感じで型落ちだがとても安い。客筋は中南米系の低所得者層が多いが、私は宝探しをするような感覚で気に入った物を探すのが好きだ。
私達がついてから数日後、下の孫が酷い風邪にかかってしまい、一週間ほど保育園に行かずに家にいた。熱が出るとグズって私達では手に追えない。泣きながらママと何度も呼んで、お嫁さんが中々仕事が出来なくて大変だった。医者にも2度ほど連れて行ったが治りが遅く、そのうちに長女や私達も体調が悪くなり始め、タイレノルを飲んでなんとか体調を維持できたが、私の娘は少しキツそうであった。
週末の金曜日は息子が仕事で、2時間ほど離れた海岸に面したサンタクルスの街に一泊する事になっていた。息子は土曜日に帰宅するので、日曜日に彼の親しい友人達を集めたサプライズパーティをする予定でいた。息子が家を出た後、私たち夫婦と娘の3人でパーティーの飾り付けや、飲み物類を買いに行った。すでに昼食用のタコスやケーキはオーダーされていた。
土曜日も朝から快晴であったが肌寒い日だった。今日は孫娘の卒園式があったので皆で参加した。息子は残念ながら夕方にならないと戻らない。ロスアンゼルスに住んでいるお嫁さんの妹夫婦と、彼らの一人息子も卒園式に来た。ここの保育園は朝9時から夕方5時まで子供達の面倒を見てくれる。月謝を聞いたら米国のインフレと円安でとんでもない金額になる。年間に支払う二人分の金額は、なんと日本のサラリーマンの平均所得よりも高かった。
昼前に息子からもう帰宅すると連絡があった。郊外のホテルでコンベンションに参加していたのだが、庭に出た時に右腕の裏側に痛みを感じてよく見ると、ダニに噛まれていたと、言っていた。かかりつけの医者へ、ダニの写真と噛まれた跡の写真を送ると、飲み薬を処方されたそうだ。ダニは時々酷い感染症を媒介するので注意が必要だ。コンベンションは土曜の夜まで続く予定であったが、念の為に早く帰宅する事にしたそうだ。
日曜の朝、ロスアンゼルスから息子の友人の台湾系アメリカ人が家に来た。来週サンフランシスコに仕事があったので、息子に会いに来たと言いながら庭に入ってきた。ちょうどヨーロッパのサッカーが始まる時間なので、スポーツバーへ二人で外出した。私もバーに誘われたが、今日もバーベキューするから支度するので残ると返事した。お嫁さんが、パーティーの飾り付けをするために友人に息子と外出するように頼んであったのだ。
その間に皆んなでバーベキュースペースの天井に、誕生日パーティーの飾りを取り付けた。飲み物はクーラーボックスにたっぷりの氷を入れて冷やしておいた。ビールはメキシコのコロナとコロラド産のクアーズにした。地元のパシフィコとか言うビールを頼まれたが、見つからなかったので自分が好きなクアーズにした。このビールは20才のアメリカ旅行の時に、すっかり気に入ったビールでとても懐かしい味がする。当時は西海岸限定で東海岸では売られていなかった。余談だが、当時も21才以上でないと飲酒できなかったようだが、私は全米どこでも問題なくオーダーして飲んでいた。IDを見せろとも言われなかったのをよく覚えている。
パーティーは2時頃に開始すると友人達に伝えてあった。1時半頃からボチボチ人が集まってきて、2時には全員で30名ほどの人種の雑多なメンバーが揃った。息子から連絡が入り、台湾系の友人とスポーツバーから戻って来た。外に車が止まる音を聞いて、皆でパンと音のするクラッカーを手にして物陰に隠れた。
通用門から裏庭に入って来た息子に、「ハッピーバースデー、サプライズ」と、言って一斉にクラッカーを鳴らした。ロスから来たお嫁さんの妹家族や、やはりロス在住の妻の姪夫婦も駆けつけてサプライズパーティが始まった。皆、満面の笑みをした息子にプレゼントを渡し、4時間ほど楽しいひと時を過ごす事ができた。皆と楽しく過ごしている息子家族の顔を見て、わざわざコロンビアから出て来た甲斐があったと私達も嬉しくなった。