A. 20才の秋、旅に出た。(13/16)ペルーとボリビアの国境

A.20才の秋、旅に出た。

チチカカ湖と国境

プーノでは有名なアルパカのセーターを4枚ほど買った。チチカカ湖は予想していたような神秘的な雰囲気はなかったが、とても大きな湖だった。ボートで葦でできた小さな浮島のウロス島へ渡った。歩くとフカフカして心もとない。そこにはインディオの数家族が実際住んでいて、葦で出来た家の内部や彼らの生活ぶりを見学できる。観光客が良く来る有名な場所であった。しかしながら話の種になる程度で、別にたいしたことはなかった。

皆、手持ちのソーレスがほとんど無くなってしまい、プーノから国境のユングージョまで数人のヨーロッパ人の旅行者と一緒にトラックの幌のついた荷台に乗せてもらった。とても寒いので乗客全員でピスコを回し飲みしながら行った。夕方7時に国境に着いたが、すでに出国スタンプを押してくれる小さな事務所は閉まっていた。近くの宿に交渉して、一人20ソーレスでなんとか泊めてもらうことができた。

夜、皆でピスコを飲んだ。高地のせいもあり、僕はひどく酔っ払ってしまった。普通に酔うと陽気になる僕が、この時は日本の家族の事を思ってひどくセンチメンタルになってしまった。とうとう泣きだして、挙句の果てには子供のように泣きじゃくってしまった。お陰で翌日は酷い二日酔いだ。フェリーで湖を渡ってボリビア側へ渡るが、最悪なコンディションだった。

フェリーの中で海の無いボリビアに海軍があるらしいと誰かが言い出した。ボリビアは南米解放の父と呼ばれるシモン・ボリバルがスペインから解放した。1825年当時は現在の国境とは異なり、ペルーとチリの間に海に面したボリビアの領土があったそうだ。

博識なケンちゃんが、「1880年頃にペルー・ボリビア連合とチリとの間で、硝石鉱山の利権争いから戦争になり、数年後にチリが勝利した結果、ボリビアとペルーは領土の一部を失ってしまった。その時からボリビアは内陸国になったんだよ。」と解説してくれた。それではさすがに海軍は無いでしょうと僕が言うと、ケンちゃんは「ほら、あそこにボリビア海軍が居るよ」と指差した。なるほどボリビア側の桟橋にグレーに塗られたボートが数隻係留されていた。そこで「あれは海軍じゃなくて、水軍だよね。」と僕が言ったら皆が笑い出した。チチカカ湖はペルーとボリビアの国境線で東西に二分されており、それらのボートはボリビアの国旗を掲げた海軍の警備艇ということであった。

なお、少し気になっていたペルー出国時の残ドル現金の確認、銀行の換金証明の提出などは行われなかった。旅行者間の情報が正しかったのだ。さすがにリマの空港から出国する時は厳しく検査されるそうだ。

ラパス行きのバス

ラパスへ行くバスに乗り込むと、車内はかなり混んでいた。補助イスが使われて乗客全員が座って行くことができたので助かった。僕は二日酔いなので気分が悪く、クスコから一緒になった佐藤君に頼んで窓側に座らせてもらった。通路の補助席にはヨーロッパ人の女の子が座った。バスが走り出すと気持ちが悪くなり、窓を少し開けて外の冷たい空気を入れた。これでなんとかラパスまで持ちそうだ。

ラパスまであと一時間くらいの所まで来たころ、佐藤君の体調がおかしくなった。すごい異臭がする。彼が連続してオナラをしたのだ。ものすごい悪臭が周囲にたちこめた。白人の女の子と僕の目が合った。彼女の目が困惑していた。ようやく二日酔いから立ち直ってきた僕だが、この臭いで再び吐き気を催した。窓を開けて外の冷気を胸一杯吸い込む。寒いのをガマンして少しの間、顔を外に出していた。しかし佐藤君はガマンができなくなってしまいバスを止めて外へ出た。後からヒッチしてラパスに行くと言って、トイレットペーパーを片手に道路から荒野へと消えて行った。

1/28 ラパス

バスは郊外の荒涼とした平原を走り続けているが、なかなか街が見えてこない。到着時間を確認していると、突然目の前にとてつもなく大きな穴が出現した。海抜が4,000mに近いラパスだ。バスは摺鉢状をした盆地の縁から、斜面に作られた螺旋状の道路を底の方へ向かって降りていった。本当かどうか分からないが、旅行者間の話ではラパスは高地で空気が薄いので、火事が起きないことから消防署が無い街だと言われていた。そして高級住宅街は山手ではなく、空気が少しでも濃い盆地の底の方にあるとも言われていた。

ボリビアは貧しい国だが、他の中南米諸国よりも物価が高いと旅行者から言われていた。実際、海外から来る貧乏旅行者の多くは、とても薄汚い一番安いドミトリーに泊まった。そこには地方から来る貧しいインディオの人達もたくさん泊まっていた。佐藤くんも僕らが着いてから2時間ほどして、トラックをヒッチしたとかで無事に到着した。

この宿で、メキシコのイスラ・ムヘーレスで一緒に泳いだアメリカ人の女学生とバッタリ再会した。「いやー、懐かしい」。僕の口からスペイン語がほとばしった。彼女も懐かしがったが、僕がスペイン語でまくしたてるのでとても驚いていた。お互いに南米で再会するとは思ってもみなかった。彼女にはアメリカ人の青年が僕の方を見て心配そうに付き添っていたのが印象的だった。

ラパスの物価は本当に高かった。セントロの一角に大きな市場があり、その中にたくさんの屋台が集まっていた。どこもすごい人で一軒の屋台で昼食をとった。飯を食べた後で気がついたが、食器は薄汚れたバケツの汚い水でサッと洗うだけだった。道理で出されたフォークに飯粒がついていたのか理解した。僕は子供の頃から神経質で、成人してからも他人が口をつけたコップやビンから何も飲むことはできなかった。しかし、こんな不衛生な所を旅してきたので、いつの間にか気にならなくなっていた。

ラパスからアルゼンチン国境へ向かう列車に乗る。全席指定であいにくと席がなかった。立っていく覚悟で乗ることにした。だが深夜までは空いていた席に座ることができた。この後、割り増し料金を支払って一等車両に移り、朝まで座って行けた。早朝、とある駅で国境行きの列車に乗り換えた。ホームはすごい人混みだった。僕だけ皆と離れてしまい別の車両に乗る羽目になった。

車内も混んでいて、まったく身動きが取れなかった。その時、尻を触られた。尻ポケットに入れていた財布を抜かれたのだ。スリだ。尻ポケットには小さな革製の財布を入れていた。この財布には小銭しか入れていない。またスリ防止用に編んだ紐でジーパンのベルトに縛ってあった。対策どおりに抜かれた財布は宙吊りになって盗まれなかった。すぐに紐を手繰って回収できた。周囲の誰がやったか分からなかったがザマミロだ。

途中の駅で車内が少し空いて近くのイスに座れた。僕の前に座っていたボリビア人の中年男性がギターを弾いて歌い出した。一般に根暗なボリビア人にしては珍しい。彼に歌詞を教わって僕も一緒に歌い出した。フォルクローレ調だが結構軽快なリズムだった。良い人達と出会え、国境の駅まで楽しい一時を過ごすことができた。これが旅の醍醐味だと思った。

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