D4. 人生初の講演依頼を受けた

D.雑記色々

コロンビアオートバイ業者団体の発足記念講演会

船外機の仕事をする様になってから3年ほど過ぎた頃、旧知のヤマハオートバイの社長(コロンビア人)から電話があった。オートバイ関連の業者団体が発足されたことを記念して、メデジン市で第一回目の総会を開くことになり、その中のイベントとして講演会が開かれる事になったそうだ。全く他人事のように聞いていたのであったが、すでに数人の講師が選出されたそうで、そのうちの一人として私も講演を行なってくれと言う依頼であった。内心、私のことを覚えてくれていて嬉しくも感じたが、すでにオートバイの仕事からは完全に足を洗い、船外機の仕事に携わっていた事から丁重に断った。

コロンビアには日本製のオートバイメーカーが出揃っていた。ヤマハとカワサキはメデジンに本社を置き、ノックダウン工場を持っていた。スズキはメデジンから南へ225km離れたペレイラという人口約20万人の街にノックダウン工場を持っていた。ホンダは工場を持っていなかったが、さらに南180km  行った人口約200万のカリ市にあるオートバイ輸入販売会社と販売契約を交わしていた。当時のコロンビアは国内企業を保護するため、外国企業の資本参加は出資率が最大49%までと制限されていた。日本の4大オートバイメーカーの合弁会社は、基本的にコロンビア人が経営するコロンビアの会社であった。

今とは異なり当時のコロンビアの移民法は、外国人に対する永住ビザの発給はとても厳しかった。私の様にコロンビア人女性と結婚していても、永住ビザを取得するのは米国以上に大変であった。米国ならば米国市民と結婚している外国人の場合、簡単に永住権をもらう事ができた。

私がカナダから来る前に、妻はすでにヤマハオートバイの社長と、私の就職について相談をしてOKをもらっていた。ところが、私がメデジンに到着する数日前になって、現地のヤマハオートバイの親会社であるメデジンの繊維会社が、ビザの申請や外国人を雇う際に弁護士を必要とする面倒な手続き、また外国人労働者を辞めさせたときに発生する補償などについて嫌って、就職の話は断られてしまった。最終的にはヤマハオートバイ社長の口利きで、私は元F1レーサーが所有する、メデジンの有力なヤマハオートバイの販売店に1年間の契約で就職し、コロンビアの永住ビザを取得することが出来た。こんな経緯からヤマハオートバイの社長とは面識があった。

講演以来の電話があってから数日後、私が働いている会社の社長から呼ばれた。ヤマハオートバイの社長が、私の会社の社長に私の講演をあらためて依頼したようだ。私はすでに断っていることを話したが、講演会まではまだ約1ヶ月あるとの事で、社長から協力するように言われた。謝礼の受取りはもちろんOKで、就業時間内に準備をしても構わないとも言われた。講演などしたこともないし、何か面倒くさいと思い、気乗りはしなかったが、社長から直接言われたら受けるしかないと観念した。そして、会社を通じての講演依頼なので失敗はできないとも思った。

後日、講演会の打ち合わせと称して若い美人のコーディネーターが会社に来た。当日の会場はメデジンの山手の斜面に位置し、市内を一望できる一番大きな高級ホテルであった。約300人が来場する予定だと聞き、予想以上の人数に少なからず驚いた。新たに発足したオートバイ業者団体は日本の4大メーカーを中心に、各社傘下の販売代理店や部品販売店そして、ヘルメットやウェアなどオートバイの用品を扱う小売店も含めた関連業者団体ということで、参加者も多いということだった。

講演のテーマについて相談すると、なんと私のテーマは”未来のオートバイ”で、持ち時間は45分とすでに決められていた。もっと自分が得意とする技術的な内容のテーマに変えてもらいたいと言ったが、プログラムもすでに印刷されてある事から変更は出来ないと言われた。酷い話だと当惑したが、どうにかなるだろと渋々納得した。最後に何故私に講演依頼が来たのか聞いたところ、私を良く知るヤマハオートバイの社長本人が、今回の講演会に私を推薦したようだ。

講演依頼を受けてから未来のオートバイについてじっくり考えてみた。今まで、考えたことがないテーマで、何をどの様に話したら良いのか困惑した。おもしろおかしく荒唐無稽な意見を言う事も可能だったが、推薦を受けた身として真剣に考える事にした。自分が想う進化した未来のオートバイについて語るからには、現在そして過去の技術についても言及する必要があると考えた。

オートバイに関連する技術の進化、変遷を表すイメージをコピー用紙に鉛筆で描いて見ると、魚の骨のような線になった。左から右へ真横に伸びた太い実線が過去から進化してきた技術の本流を表し、小骨にあたる線は関連した色々な技術にあたる。もちろん太い実線の先端が現在となるが、未来は点線にクエスチョンマークとなる。過去から現在にかけて発展してきた技術の流れが分かってくれば、荒唐無稽ではない点線が朧げに見えてくる。なんとか未来のオートバイについて語る事が出来そうな気がした。

初講演の様子

公演内容は、スライドで大型スクリーンに過去の技術から現代の最新技術について図や写真を見せながら解説し、最後に結論として自分が考える未来のオートバイ像を語る事にした。当日、広いホテルの講演会場に着くと、大勢の人で埋まっていた。手渡されたプログラムを見ると、私の発表は3番手であった。演壇は一番奥の壁に設置されており、演台は向かって右手前方に位置し、壁には天井からカーテンが垂れていた。そしてカーテンの中央部にスライドを映し出す大きなスクリーンが掛かっていた。

私の番になり、演壇に登って演台に講演要旨を置くと会場は暗くなり、ざわついていた大勢の聴衆が静かになった。多くの視線を感じ、緊張してマイクを持つ手が微かに震えてきた。演台の小さなランプの灯は薄暗く、講演要旨が良く見えなかった。最初のスライドが投影され、要旨に書かれている説明文を読み始めたが、薄暗くてよく見えないので読むのを諦めた。スライドが替わると、自分で書いた説明文を思い出して問題なく解説をすることができた。

次のスライドにかわったが中々緊張がおさまらず、まだ声も微かに震え気味であった。マイクを左手に持って、図の一部を解説するためにスクリーンに近づいた。指示する棒も何も用意されていなかったので、指で指し示そうと明るいスクリーンの横に近付いた途端、足元が暗いスクリーンの下、演壇とカーテンの隙間に右足が落ちた。反射的に右手でカーテンを握ってなんとか持ち堪えた。

カーテンにぶら下がった無様な格好になってしまった。同時に聴衆の大きな笑い声が会場に沸き上がった。なんとか落ちずに無事に演壇に戻れたが、私自身も大笑いしてしまった。「あー、危なかった。誰だ落とし穴を仕掛けたのは?俺、生命保険に入ってないよ。」と、言ったら更に聴衆が沸いた。これで、さっきまでの緊張感はどこかに吹き飛んでしまい、リラックスしてスムーズに用意した全てのスライドの解説をすることができた。

最後に結論として未来のオートバイについて述べてから終了すると、会場全体に盛大な拍手が巻き起こった。会場の灯りが点灯して演壇を降りると、十数人の人達が握手をしてきた。その中に講演を依頼してきたヤマハオートバイ社の社長も少し興奮していた。「君の講演内容をとても気に入った。そして多くの人達に喜んでもらえた。ありがとう。」と、感謝された。最後に中年の男性に握手を求められた。私の講演が分かりやすくまとまっていて、とても良かったと言われた。もらった名刺を見ると、彼はコロンビアのK社オートバイのオーナー社長であった。

私が日本から出張しているのではなくメデジン在住と知ると、突然、コロンビア第3の都会であるカリ市にオートバイの大型直営店の完成を予定しており、マネージャーを探しているので働かないかとリクルートされた。すでにメデジンで働いていると言うと、矢継ぎ早にどこで、何をしていて、給料はいくら貰っているんだと質問してきた。船外機会社の就労条件と待遇について返事をすると、急にガッカリして「今のうちの会社ではそれ以上の条件を提示できない。」と、言った。

私はお宅とは縁が無いんですねと言ったら、「どういう事ですか?」と、聞かれた。実は、オートバイ修理専門店を自営していた5年ほど前に、日本のK社から出向していた日本人のエンジニアからリクルートされたことがあった。当時、大型建機をコロンビアに輸出する計画があったらしく、建機部門のマネージャーにならないかと言われた。もちろん建機について訓練もすると言われて興味が湧いた。雇用条件等話を進めるために、後日、コロンビア人の営業部長(オーナーの兄弟?)と面談する事になった。とても気に入ってもらえた様だが、最後に待遇に関して話をしたところ、うちの会社では対応できないとガッカリされたことを話した。私の話を聞いた社長は大きな溜息をついた。

講演内容の要約

1)オートバイの歴史

過去から現代の技術の推移を知るためにオートバイの歴史を調べる事にした。車輪の出現はとても古く、紀元前1500年頃のメソポタミア文明と言われている。歴史上の初めての二輪車または四輪車は、台車の下に車軸を通して両端に車輪を取り付け、馬に轢かせた古代の戦車”チャリオット”だ。因みに機械を構成する5要素は、古代ギリシャ人のヘロンによってテコ、滑車、ネジ、クサビ、車輪と定義された。

古代にはオートバイの様に車輪を前後の直線上に並べた二輪車は見当たらなかったようだ。このタイプはようやく1800年初頭、産業革命真っ只中のイギリスに現れた。それは子供が跨り、地面を蹴って走る玩具であった。しかしながら、前輪も後輪同様に固定されているので、走行中は直進するだけで曲がることが出来なかった。

                 前後輪が固定されている玩具

イギリスで始まった産業革命は瞬く間に全ヨーロッパに伝搬した。中世の暗黒時代に滞っていた技術革新が一気に解き放たれた感がある。ハンドルを付けて前輪が左右に動いて方向転換ができる二輪車(足蹴り式)は1813年に発明され、1863年にはフランスでクランクペダル式が出現した。数年後、スピードを追求するため、大型化した前輪にクランクペダルを取付けた自転車がイギリスで開発されたが、運転が難しく危険であった。

            ハンドルが付いて前輪が曲がる足蹴り式自転車

               前輪にクランクペダルが付いた自転車

1879年に現在の自転車の原型となる、クランクペダルと後輪に取付けた二つのスプロケットを、チェーンで連結した画期的な自転車が登場した。この自転車のデザインを基に蒸気機関、そしてガソリンエンジンを搭載してオートバイへと進化して行った。これまでの車輪は木製であったが、1888年にアイルランドのダンロップが空気入りのタイアを発明したことにより、自転車やオートバイ、自動車の乗り心地も格段に改善された。

             前後のスプロケットをチェーンで繋いだ自転車

世界初のオートバイの発明はドイツ人のダイムラーだと思っていたが、フランス人のペローが発明した蒸気機関を動力としたオートバイの方が先だった。実機は1873年のオーストリアのウイーンの万博で公開されたそうだ。ガソリンエンジンを積んだオートバイは1886年にダイムラーが開発した。彼は”ダイムラーベンツ社の創始者の一人”で、後に自動車を発明した。

                 ペローの蒸気機関オートバイ

              ダイムラーのガソリンエンジンオートバイ

ガソリンエンジンは1788年にドイツ人のオットー(4ストローク、オットーサイクルの産みの親)によって発明された。よって、現在のガソリンエンジンを搭載したオートバイも自動車も、三人のドイツ人(ダイムラー、ベンツ、オットー)によって開発された事になる。当時の内燃機関は大型で重く、出力が小さかった。

                 オットーのガソリンエンジン

2)現代のオートバイ

内燃機関が出現してから二度にわたる世界大戦によって、技術の改善とさらなる進化を促し、小型、軽量、高出力、そして耐久性の向上と、高効率のエンジンが開発されてきた。大戦からの復興後、世界のオートバイメーカー(欧米と日本)間の競争が激化し、レース活動を通じて新たな技術が開発されるようになった。世界には幾つものオートバイメーカーがあり、大半は誰もが知るような欧米の老舗会社である。しかし現代のオートバイを語るにあたり、戦後に発足した後発メーカーでありながら世界のレース界を席巻した日本のメーカー、特に最先端の材料と技術を投入して設計された競技用のオートバイについて解説をする事にした。

レース専用車にはサーキットでロードレーサーの様に高い動力性能で高速を競うだけでなく、未舗装でアップダウンの激しいコースで競うモトクロッサーや、低速でなるべく足を着かずに複雑な形状の障害物を乗り越えるトライアル車など多様なモデルが開発されている。各メーカーはレースによって開発された技術を、一般人が公道で利用できるモデルにフィードバックしている。

                  スズキのロードレーサー

                 ヤマハのモトクロッサー

現代の高性能化したエンジンのアイデアや理論は主に欧米の発明家や研究者により、すでに100年以上前から考案、研究されていた。しかしながら当時は、現代のレベルの内燃機関を製作するに必要な技術が伴わなかった。当時のアイデアの実現は、特に新しい材料(合金やプラスチック系)の発明と、電子技術を含む電装系の技術革新によるところが大きい。たとえばエンジンは鉄製品が主な材料として使用されていたものが、より軽量なアルミ系の合金が主流となった。フェンダーやサイドカバーなどはプラステック製になり、モデルによってはカーボンファイバーも使用されている。

    ホンダのV型4気筒エンジン、気筒毎に8バルブ、1オーバルピストン、2コンロッド

電装系では燃焼室に火花を飛ばす方式が、機械的なものから電子点火装置に改善された。センサーとマイコンの出現によってコントロールされ、エンジンが必要とする最適なタイミングで点火することが可能になった。これらの革新的な技術は内燃機関だけでなく、多くの機械においても利用されている。

3)未来のオートバイ

前述の競技用のオートバイは、走行する目的や路面、地形に適したエンジン性能と車体形状にデザインされているが、どのモデルも人間の感性で操縦されており、個々のライダーの身体能力や技量と経験の差がそのまま競技における優劣の結果となる。一般公道用オートバイでも同様、特に高速走行では各ライダーの個人差が大きな影響を与える。そしてライダーの技量が未熟であれば事故に繋がる場合もあることから、自動車よりは危険な乗り物として多くの人々に認識されている。よってオートバイは安全性を追求した技術の進化を促す必要性が大いにある。

「過去から現代のオートバイへの進化は、特に新しい材料(新しい合金やプラスチック系)の発明と、電子技術を含む電装系の技術革新によるところが大きい。」と、言ったことを思い出してもらいたい。未来には、さらなる新しい材料と電子技術の進化によって、下記の様な技術が実現されるのではないか。

具体的には・・・                                      1)走る路面を選ばず、乗り手にとって苦痛にならない移動が可能となる。            2)人工知能を有し、走行中の危険を回避して安全な走行をアシストする。もちろん倒れない。        3)目的地へ最適なルートを選択し、自動運転による移動も可能となる。              4)走行中に汚染物質を排出しない。                              5)廃棄時には容易に資材のリサイクルが可能となり、自然環境に悪影響を与えない。 

結論:                                           未来におけるオートバイとは訓練された馬のような五感を持ち、乗り手の意思を汲み取って周囲の状況を判断する知能を持った、より安全なライディングをライダーが楽しむことが出来るロボット化した二輪車が出現する可能性が大きい。

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