B5. 船外機の水没、停止、改造ボートの問題点

B. 船外機トラブル関連

1)水没した船外機

私が勤めていた船外機輸入代理店では、毎年コロンビアの二大河川であるカウカ河とマグダレナ河の流域で、約1ヶ月を掛けてサービスキャンペーンを実施していた。各地に点在する町や村を、75馬力船外機を載せた18ft(約6m)のボートで移動しながら、会計を担当するセールスマン一人とメカニックが三人ほど参加して、無料で船外機の点検整備を行なっていた。私もキャンペーン中、一週間ほど興味のある地点を選んで同行するように言われた。

私にとって初参加のサービスキャンペーンは、工場長の勧めでカウカ河とマグダレナ河が合流する大湖沼地帯に位置するマガンゲからキャンペーンボートに合流することに決まった。そしてマグダレナ河を下ってプラトに入り、マグダレナ河の支流のモンポス経由でバンコまでの1週間を同行することにした。

モンポスは1540 年にスペイン人の侵略者によって建設された町だ。二大河川を利用してコロンビアの内陸から沢山の金やエメラルドが集積されたそうだ。集積された財宝は、カリブ海に面した大きな要塞のあるカルタヘナからスペイン本国に向かって、ガレオン船に積まれて運ばれた。当時のカリブ海にはこの財宝を狙ってイギリスやフランスの海賊船が横行した。また、モンポスには当時の教会や旧市街がそっくり残っており、スペイン人が連れてきたアラブ系の金細工職人の技が今でも伝わっている町として有名だ。

当時、マガンゲやモンポスにはメデジンから飛行機では行けなかった。メカニック達と合流するため、私は仕事の日程を調整してメデジンから飛行機でモンテリアへ行った。そしタクシーをチャーターしてシンセレホ経由でマガンゲに入った。この辺一帯は内陸の低地なのでとても暑い。

マガンゲはマグダレナ河に面したかなり大きな町である。町に沿って長い岸壁があって、階段が付いている場所は現地では港と呼ばれていた。人の移動に重要な交通手段である船外機を搭載した大小のFRP船や、物資を運搬する大型カヌーで常時ひしめいている。ここからカリブ海側の大都市であるバランキージャや、二つの大河の流域に点在する町や小さな村々を結ぶ水上交通の要衝である。

港に着くと、既にキャンペーンが行われることを知っている多くの船外機のユーザーが集まっていた。故障したエンジンの修理は地元のメカニックや修理工場に任せ、我々は主にスパークプラグの点検、圧縮圧力の測定、キャブレターの分解整備、点火時期の点検調整等を行った。私は各メカニックの様子を見ながら、船外機のオーナー全員にTシャツなどを配って行った。ここは船外機の数が多いので二泊した。

初日の夕食後、港の広場に出来た仮設ステージの前に大勢の人々が集まり、ローカルバンドの大音量の演奏に合わせて広場のあちこちでダンスが始まった。バンドの休憩に合わせて簡単なクイズを実施し、正解者にはブランドのロゴ入りタオルや、帽子、キーホルダー等を配った。翌日の夜は広場の壁に大きな白いシーツをスクリーン代わりに貼り付けて、16mmの映写機でV4-115馬力船外機の開発ドキュメントや日本の沿岸漁業の様子、そして最後にちょっと古い西部劇を披露した。映画館が無い町だったので大盛況であった。全ての宿泊地では基本的に同じプログラムを行うので、かなりコストがかかる大規模なサービスキャンペーンであった。

3日目、マガンゲからプラトに向かう途中の村の桟橋で休憩をしていた時、15馬力船外機を搭載した木製のカヌーが近づいてきた。我々がサービスキャンペーン中であることを知っており、点検整備をしてもらいたいと声をかけられた。オーナーに船首を180度回転させて、船外機を川岸の方へ向けるように指示した。

全員が見守る中、オーナーが竿でカヌーを押してくるりと向きを変えた時、船外機が桟橋の桁にぶつかってあっという間に川の中に落ちてしまった。(小型の船外機は船の船尾にクランプボルトを手で締めて固定するタイプになっており、通常は落下防止にロープで固定する。)全員が言葉を失った。川の水は濁っていて何も見えなかった。近くで見ていた現地人のオヤジさんが、水深は大人の身長くらいだと言っていた。

私は桟橋で遊んでいた上半身裸のワンパク坊主をつかまえて、沈んだ船外機をロープで縛ってくるように頼んだ。坊主は水に飛び込んですぐに戻ってきた。メカニックが二人がかりで船外機を桟橋に引き上げることができた。私はメカニックに泥まみれになった船外機を水道水で良く洗わせた。そしてスパークプラグを外させ、同時に電気配線を外してスパークが飛ばない様にさせた。

船外機のキャブレター側を上にして、スパークプラグの穴が下向きになる様に置かせた。スターターロープを引いてエンジンを回転させながら、水道水をキャブレターの空気取り入れ口から大量に入れさせた。スパークプラグの穴から泥水を吐き出させ、出てくる水が透明になってからガソリンにオイルを混ぜてキャブレター側から入れた。再びエンジンをゆっくり回転させながらスパークプラグの穴からガソリンを吐き出させた。こうすることでエンジン内部の水気を取り除きながら、オイルをエンジン内部に行き渡らせた。

最後にキャブレターを分解整備して、一連の点検整備を終了した。電装系統やエンジンの要所要所に防錆潤滑スプレーを吹いてから、船外機をカヌーに載せてエンジンを始動した。エンジンは直ぐに始動して異音も無いことを確認した。念の為にユーザーの燃料タンクに余分にオイルを混合してからユーザーに返した。勿論、ユーザーには船外機が落下しないように、ロープで船体にしっかりと留めるよう注意した。(落下防止目的でエンジンブラケットに安全ロープを通す穴が備わっている。)

本来であれば、エンジンを分解して内部の洗浄を完璧に行うべきであるが、 出先のことで特殊工具もない状況では無理であった。そして内部構造のシンプルな2サイクルエンジンだからこそ出来た応急処置であった。勿論、手伝ってくれたワンパク坊主にはお礼に、ジーンズ製の手提げ袋とTシャツをプレゼントした。

2)船外機停止

ある日、日本から船外機メーカーの若いサービスエンジニアが来た。コロンビアには2回目の出張であったが、現地の船外機マーケットを知るという事で、メデジンの修理工場長も一緒に3人でネチへ行く事にした。翌日、ネチから現地のメカニックの運転する55馬力の船外機を載せた15ft(約4.7m)のボートで、バグレを経由してネチ川の上流に位置するサラゴーサへ向かった。サラゴーサ周辺は砂金が採れることから、船外機や発電機そしてポンプなどの需要が多く重要な販売拠点であった。

途中立ち寄ったバグレから日没前にサラゴーサに到着する予定で航行中、川の真ん中で突然エンジンが停止した。川幅も広くかなり流れも早かったが、なんとかボートを川岸に寄せて細枝に掴まることが出来た。すると、私の横に座っていたメーカーのエンジニアが船外機の方へ移動しようとした。私は彼の腕を抑えて制止した。そして「現地のメカニックとウチの工場長に任せてください。」と、言った。

既に二人ともエンジンカバーを外すところであった。エンジニアは「でも、自分が見なくて平気かな。」と、少し困惑した顔で言った。私は「ここから彼らのする事を見ていましょう。」、「もし彼らが直せない時は、私が点検します。」そして、「私がダメだったら、貴方が点検してください。」「もしも貴方もダメだった場合、私達4人の関係はイーブンで、何も変わりません。」

反対に、「貴方が一番初めに点検して直せなかった時、その後で、たまたま現地のメカニックが直してしまったら、メーカーのエンジニアが直せなかったトラブルを自分が直したと自慢し、貴方の事を馬鹿にするようになります。」と、言った。「そしてコロンビアのメカニック達から信用を失えば、貴方の話を真剣に聞く人が居なくなって、仕事に支障をきたすことになります。」と、言った。エンジニアはとても驚いた顔をした。

コロンビアのメカニックは総じて、実際に壊れたエンジンを直せるかどうかで、他のメカニックの実力を判断する。学歴や職位が高い人間でも実力がなければ、表面上は下手に出ても内心はバカにして、中々言う事を聞かないケースが多い。

私がそんな話をメーカーのエンジニアにしている時、メデジンの工場長がトラブルの原因を見つけた。エンジンの下のカバーに亀裂が入っており、航行中にボートが起こす川の水のスプラッシュで、スパークプラグのキャップが濡れて失火すると言ってきた。また、工具箱は持ってきたが、新しいプラグキャップや絶縁テープも持っていないので、どうしようかと相談してきた。

それを聞いて、私が亀裂の入っているエンジンカバーとプラグキャップを確認し、対策としてハイテンションコードからプラグキャップを外して、直接ハイテンションコードをスパークプラグのネジ部に差し込み、絶縁テープの代わりに切り取ったゴム製の燃料ホースでカバーすることにした。エンジンを掛けると直ぐ再始動させることが出来た。念の為にその部分に川の水をかけてみたが、失火することなくエンジンは回り続けた。こうして無事に日没前のサラゴーサの船着場に到着することができた。

3)大型チェーンソウの調査 

初めてコロンビア北西部、パナマの国境に近いウラバ湾に面したトゥルボへ出張に行った時の話。トゥルボには、小さくても会社の直営販売店があり、店長とメカニックそれに秘書の三人で運営されていた。私の出張の目的は、ウラバ湾のトゥルボの正面に位置するアトラト河の河口から、ボートで1時間ほど遡ったところに存在する製材所を訪問する事であった。アトラト河はコロンビアの太平洋岸のチョコー県を、コロンビアの南から北のパナマ国境に近いウラバ湾に流れ込む。全長が750kmもあり、マグダレナ河とカウカ河に次ぐ3番目に航行可能な大河と言われている。

チョコー県は太平洋に面した高温多湿の熱帯雨林のジャングルに覆われている。住民は大半が黒人系なので、まるでアフリカに行ったような印象を受ける。世界的に見ても年間降雨量が最も多いと言われる地域の一つで、密林には手付かずの大木が茂っており、密林の奥地からベニア板の原料となる原木が切り出されている。

私が勤めていた会社は船外機の他に、FRPボート、発電機、小型汎用エンジン、ポンプ、チェーンソウ、芝刈り機、太陽光発電ユニット、2サイクルオイル等、各種の機材を販売していた。アトラト河の製材所は、日本製の排気量の一番大きな110CC、2サイクルエンジンチェーンソウを使っているお得意さんであった。このモデルのエンジンの調子があまり良くないという話を聞いたので、使用環境等を調査することにした。

大木を切り出す現場は、アトラト河の支流から沼地をブルドーザーで2日ほど奥地に入った所だそうで、流石にそこまでは行くことは出来なかった。支流の作業場で作業員に聞いたところ、奥地の作業員達は胸まで沼池に浸かり、直径が1.0m、高さが20m以上もある大木をチェーンソウで切り倒し、枝を払って丸太状にした木を一度に数本ブルドーザーで支流まで引っ張り出してくるそうだ。私が見ていると支流まで運ばれてきた大木は岸から川を横切るように置かれており、作業員が木の上に乗って5mほどの長さにチェーンソウで切っていた。切り離された丸太は浮いて、川の流れに運ばれて下流の製材所まで流されて行く。

作業員はチェーンソウの取扱いがとてもうまかった。川に横たわった木の上に立ったまま全く力を入れないで、大型チェーンソウの重量を利用してヨーヨーを操るように簡単に高圧縮圧力のエンジンを掛けていた。日本のメーカーやメデジンの修理工場では予想もできない使い方をしており、とても驚かされた。熱帯での長時間の使用やガソリンのオクタン価が低いなど、空冷の高圧縮比のエンジンには厳しい条件であることから、ピストンが焼き付き付くリスクが高い、過酷な環境で使用されていると感じた。

4)27ft改造ボートの問題点

製材所からトゥルボに戻ると、販売店の店長から55馬力エンジンを2機掛けした、27ft(9m弱)の和船タイプのボートに問題があると相談された。早速、客へ売ったばかりのボートを見に行った。この船は元々日本国内向けで、30馬力程度のディーゼル船内機を搭載した小型漁船として設計されていた。低馬力で低速航行における抵抗が少ない形状をしており、荒波に対する船の凌波性が高い。

コロンビアでは高額なディーゼルエンジンで、キールの付いている船は人気がない。取り扱いが容易で割安、そして浅瀬に強く高速が出せることから船外機仕様に変更されたようだ。船底にあったプロペラシャフトが通るキールは、船外機を使用するために切り取られた。船底形状はフラットに近いとても浅いV型になった。トランザム(船尾)は船外機を2機掛けできるように改造してあった。この船は人と物資を運搬する目的だがデッキは無く、船首から船尾に向かって人が座れるように、船の幅に合わせた箱状の浮力体でいくつも仕切られていた。

船尾の両舷の水面のあたりに、大きなフィンのような三角形をした水平尾翼?が付いていたのが目を引いた。これはメデジンのボート工場で装着したものでは無いと店長が言っていた。装着した理由は、船外機の回転を上げてボートが水面を滑走しだすと、船体が左右に横揺れ(ローリング)して、とても不安定な不快な動きをするため、横揺れを軽減させるためにオーナーと相談して付けたそうだ。さらに船を旋回させようとすると、ステアリングを旋した方向へ船首が急に曲がり、とても危険な挙動をすると言う説明を受けた。

実際に試乗して不安定なボートの挙動を体験することにした。ゆっくり走っている分には違和感を感じなかった。エンジン回転を上げて船底が滑走して高速になると、店長が言っていた危険な船体のローリングや、ステアリングの動き以上の船首の急激な曲がりなどの挙動が起きた。船尾に付いている水平尾翼の効果について店長に聞くと、フィンが無いともっと酷いローリングが起こると言っていたが、私にはフィンの効果はほとんど何も感じられなかった。

その夜、ボートのカタログを見ながら問題点と原因、及び対策について考えてみた。オリジナルの27ftのボートはディーゼルエンジンを載せているのでXX-Dと言う名称であった。船外機仕様に改造したボートはXX-Oと、エンジンの英名の頭文字(Diesel とOutboard motor)で区別していた。簡単な船型図を見ながら比較し、問題点を整理して船型について考えてみた。

(1)船型の違い:                                     ①ディーゼル船内機漁船として設計された船体は、滑走させて高速を出すための船型形状では無い。常に船底部分は水中に沈んでいることから排水量型と呼ばれ、航走中の水の抵抗を減らすために船底形状は紡錘形になっている。滑走艇の船型と比べると細くて長い。                   ②高速を出すモーターボートは大馬力のエンジンを必要とし、滑走艇と呼ばれている。滑走し易いように船底が幅広(低速時の水抵抗は大きい。)で、波に対するショックを和らげるために船底の断面は浅いV型形状をしている。(波の荒い海で高速を出すためにはV型をさらにキツくしたディープV型が必要であるが、エンジンパワーをさらに大きくする必要がある。)

              上がディーゼル船内機艇、下が船外機艇

                 左が滑走艇、右が排水量艇

船型の違いは飛行船と飛行機に例えることができる。排水量艇は飛行船のようにエンジンが止まっていても空中に浮いていられるが、高速で移動することは出来ない。滑走艇は飛行機と同じで、空を飛ぶためには大馬力のエンジンが必要であるが高速飛行が可能。

(2)重心位置の移動:                                   ①2台の55馬力船外機は、減速機のついたディーゼルエンジンよりも軽く、船体のキールが無いことでさらに船の総重量が軽くなり、船が浮いて重心位置が高くなったことで船の横揺れ(ローリング)が起こり易い原因となった。                                    ②排水量型の船の船首ステムは立っており、船底の先端部分は水中に浸かっている。キールが無いことから船の前後の重心位置も船首側に移り、前トリムに変化したことで船首側が前屈み状態になった。高速滑走中でも船首ステムの下方、船底に位置する部分が水中に沈んでいるため、ステアリングを回すとステムの下部が水を切るので急激に曲がってしまう原因となった。そして波によって船首のふらつきで直進性が悪く、このふらつきがローリングにも影響を与えていた。                   ③滑走艇の船首ステムの角度は排水量型よりも前傾している。横から滑走している滑走艇を見れば、滑走中の船首は上がりステム下部は水面から出ている。この時、船首側の船底は水面から3〜5度ほど浮上がっている。

(3)根本的な対策として以下の様な改造を必要と考えた。                       ①船底を滑走し易い形状に改造する。紡錘形した船尾側のすぼんだ幅を、船体中央部の幅に合わせて広げる。                                            ②船首部のステムを寝かせ、下面先端部の丸みを大きくして水を切らなくする。           ③燃料タンクの位置を工夫して、船の重心が船体中央より船尾がわに来るようにする。必要であれば、船の内側の船尾に近い船底に重量物(取外したキールと同等の重量)を固定する。

特に上記項目の①と②の対策は、FRP船体の雌型(モールド)の大規模な改造をする必要があるため、現場で対応する事が出来ない。どうしたら良いものかと、引き続き図面を見ているうちにアイデアが浮かんだ。翌日、桟橋に停めてあるボートに戻り、昨晩思い付いたアイデアを試してみることにした。 

(4)現場での対策方法:                                  下記の項目について効果があるか試験してみた。                         ①先ずはプラスチック製の大きな燃料タンク4本を満タンにして、オリジナルのディーゼルエンジンが載る位置に置いた。そしてその周りに6人ほど座ってもらうことで、合計500kgほどの重さを本来の船体の重心の位置に移動させた。                                        ②船外機のブラケットに付いているトリムアングル調節バーの位置を変更した。船外機の推進力を少し上向きにすることで、高速航走中に船尾が少し沈んで、逆に船首が上がってステムの下部が水面から浮く様に調整した。

これだけの変更で船体のローリングは収まり、旋回時に船首が旋回方向に切り込むことも無くなった。試運転に同乗した店長もボートオーナーも、ボートの安定した走りに驚きを隠さなかった。彼らに私が考えた理屈を説明した。オーナーには燃料タンクの位置を決めて動かないように固定し、その周りの低い位置にサンドバッグなどで300kgほどの重量物を固定させるように説明した。もちろん彼が船尾に取付けた、効果の無い2枚の三角形のフィンを取り外すように伝えたことは言うまでも無い。

メデジンの会社では今回の問題を把握していなかった。会社のFRPボート工場は日本製のモールドからボートを生産しており、所謂ボートの設計を出来る人はいなかった。高速艇について工学的な知識のない人間が、大きな改造を施したことにより起きた問題と思われた。メデジンに戻ってから上記の問題と、現場で実施した対策試運転について説明し、根本的な対策を立てるように報告をした。

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