日本に仕事で寄った時など、初対面の人が私がコロンビアに住んでいると知ると、危険な目に遭った事があるのではないかと良く聞かれる。確かに日本では考えられないような体験をしたことが何回かある。今は落ち着きのある住宅街に引っ越して、穏やかな生活をしており怖い目に遭ったことはない。以下、若い頃に起きた幾つかの出来事について書き出してみる事にする。
結婚当初はダウンタウンに近く、あまり治安の良くない住宅街の一角に、妻と義理の母の3人で暮らしていた。近所には貧しい家庭が多かったが、下町気質のとても親切な人達が多かった。カナダからメデジンに引っ越して来て、1年後にはオートバイの販売店を辞めて独立し、家から3ブロック離れている大通りに面した場所に、オートバイ修理専門店を開いた。
独立する前に、日本製のレース専用2サイクル125CCモトクロッサーの中古車を購入した。車高が高く頑丈なフレームに、後輪用のドゥカルボンタイプのモノショックアブソーバーを載せている。このオートバイはアップダウンの激しいダートを走る様に設計されているので、公道を安全に走る為には幾つかの改造を施さなければならなかった。
先ずはエンジンの耐久性を上げる為、同じメーカーの2サイクル175CCトレール車のノーマルシリンダーに変更した。トランスミッションもレース用では一般道を走りにくいため、高速が出せるトレール車のギア一式と交換した。クランクケースもノーマルタイプに変更して、2サイクルオイルをエンジンに自動供給するオイルポンプを取り付けた。オイルタンクは容量500CCの缶をフレームのダウンチューブに取り付けた。これで燃料を給油する際に、いちいちガソリンに混合させるオイル量を計量する必要が無くなった。
電装系は点火系統しか付いてなかったので、トレール車のノーマルタイプのフライホイール一式に変更した。これでヘッドライトやブレーキランプを装着して夜でも走れるようにした。勿論、公道を走る為、舗装路面と未舗装路面の両方に使用できる、大型トレール車のブロックタイアに変更した。そして、二人乗りができるように、フートレストも溶接した。当時のメデジンは現在のように交通規制が厳しく無かった事から、エンジンのレスポンスが良いオリジナルのレース用のマフラーを残こし、いつも街中を爆音をあげながら走り回っていた。
家と自分の店は1km位しか離れていないが、坂道なのでオートバイで通っていた。通勤路の途中に、コソ泥や強盗をするような奴らが数人、大麻の匂いをさせながら屯しているとても物騒な場所があった。近隣の住人に彼らの素性はバレているので、彼らも地元ではあまり悪さをするような事は無かったようだ。勿論、私も彼らに気をつけるように注意されていたが、毎日派手な排気音のするオートバイで走る若い日本人は、かなり目立っていたと思う。
1)ヤバイ客
オートバイ修理店は開店してから1ヶ月ほどで軌道に乗った。一人では手が回らないので、元同僚の二十歳になる若いメカニック一人と、メカニック見習いとして彼の弟も雇う事にした。3ヶ月もすると、店は連日盛況になり、メカニックを3人追加で雇う事になった。私はヤマハ車の修理経験しか無かったので、ヤマハ車の修理専門店という事を強調していたが、他メーカーの車両でも修理データの入手が可能なモデルは引き受けていた。
口コミで来店する客が多くなって来た頃、体格のガッチリした無愛想な客が、少し古いホンダ製の350 CC、4サイクル単気筒のトレール車を持ち込んで来た。エンジンから異音がするという事で点検する事になった。エンジンを分解すると、バルブを駆動するカムシャフトが入る、アルミ合金製のシリンダーヘッドの軸受部分が摩耗してガタが出ていた。客を呼んで説明し、シリンダーヘッドとカバーを一緒に交換する必要があると伝えた。すると彼は旋盤やフライス盤のオペレーターをしている機械工なので、このくらいは自分で修正できると言って摩耗したパーツを持って行った。5日程してから、とても綺麗に修正加工されたパーツを持ってきた。話を聞いてみると金属材料の知識も深く、修正された箇所はとても正確に綺麗に加工されており、プロフェッショナルな腕前が見事であった。
エンジンを組立ててテストすると、異音が無くなり快調に走ることを確認してから客に渡した。数日してから客が来て、エンジンの調子が良い事に満足していると言ってきた。それから何度か私の店に顔を見せるようになり、親しく話すようになった。いつもの様に世間話をしていると、大通りとは言えこの辺は物騒だから、もし武器が必要なら言ってくれ、どんな拳銃でも入手できると言われた。勿論、許可などは無い密輸入された拳銃だ。内心、相当ヤバイ奴だと思った。
当時のコロンビアでは警察の許可を得れば、合法的に軍隊から拳銃を買うことが出来た。以前に客の一人で、目つきは鋭いがズングリして、中年太りした見るからにだらしなさそうな私服の刑事がいた。その刑事から、拳銃が必要ならいつでも許可を取ってやると言われた事があった。その時、彼は腰の革製のホルスターからコルト・ディテクティブを抜いて、「コイツが護身用に良いぞ。」と、言って見せてくれた。手に取ってみると、銃身が短くとても小型だが、6発の実弾が入っていた。刑事がこんな簡単に実弾の入った銃を他人に渡すのかと、とても驚いた。
もう一人、やはり警察官の客が持っていた拳銃を見せてもらったことがある。なんと第二次世界大戦中にドイツ軍の制式拳銃であったワルサーP38だった。内心、これは流石に欲しいなと思った。何人かの客に護身用に銃を持てと言われたが、これなら持ちたいと思うほどデザインがとても良い。しかし持てば、いつか使ってしまう事になる日が来るかも知れないと思い、ゾッとした。妻は強盗殺人が頻繁に起きる街の弁護士だったせいか、今でも銃が大嫌いだ。私が護身用に一丁欲しいと言えば、絶対に大反対するに決まっている。長男が産まれても、オモチャでさえも銃は買い与えなかった。子供が誰かにオモチャの銃を貰うことも許さなかった。
ある日、前述のホンダ製350CCに乗ったヤバイ客が、一人の男をタンデムシートに乗せてやってきた。修理代金の残金を支払いにきたのだ。その時にタンデムシートの友人を紹介された。人相が悪く、気色の悪い奴だった。きっと何かヤバイ事をしている奴だと思った。来たついでにエンジンの作動音を聞いて、バルブクリアランスを調整してあげると、すぐに彼らは帰って行った。それからいつまで経っても、ヤバイ奴が店に来なくなった。噂ではホンダ製のオートバイを売って、車に乗り代えたらしい。
私が住んでいた家は2階だったので、オートバイを保管する場所が無かった。家の前の坂道を2ブロック上がった所に妻の姉さんが住んでいた。彼女の家も2階であったが、階下には親しくしていた一人住まいのお婆さんがいて、そこにオートバイを預かってもらっていた。その家へ行くには、自分の家の前にある坂道の脇の、急な石段を登ればすぐに着けるのだが、オートバイでは登れないので、他の坂道を遠回りして行く事になる。
オートバイで坂を登ると、すぐに地域住民のためのサッカーやバスケットコートがある運動場に突き当たる。道路はそこから左に曲がって平らな300mくらいの直線になっている。道路の両側には余分なスペースは無いので、家は1軒も建って無かった。この道路の左側は斜面で、下の方に街並みが見渡せた。右手は雑木が茂った壁のような急斜面になっていた。ここの街灯はいつも壊れていて夜は真っ暗になる。その先の道路は、右へほぼ直角に曲がっている。この道路が曲がり初めた所から家が建っており、オートバイを預かってもらっていた家は角から2軒目だった。
ある晩、夕食後にオートバイを仕舞いに行った。すでに外は暗くなっていた。ヘッドランプのバルブが切れている事に気付いたが、そのままいつもの様に坂道を登った。運動場の前を曲がって暗くなったが、直線道路の先に見える街灯を目指し、アクセルを全開にしてスピードを上げた。一瞬、目の前の闇に気配を感じて、反射的に右にヒラリと何かを躱わした瞬間。闇の中、二人の男が叫んだ。それは驚愕して叫んだ声だった。すれ違い様にストップランプの灯りが目の隅に入った。偶然にも同じくヘッドランプが切れたオートバイだったのだ。私は事故を間一髪で回避したことでホッとしながら、スピードをそのまま緩めずに走り去った。
オートバイを預かって貰う家の前に着いて、エンジンを停止してシートから降りると、少し離れた所からスピードを上げたオートバイが向かって来る排気音が聞こえてきた。先程のヘッドライトの消えたオートバイが暗闇から現れ、家の前の街灯に全体が映し出されると、私の真横に急停止した。こちらが何か言おうとする前に、後ろのシートの男が怒鳴りながら素早い動きで、私のこめかみに銃口を突きつけた。
この野郎と思って相手の目を睨んだところ、そいつも私も同時に「アッ」と、言って驚いた。なんと、先だってヤバイ客と一緒に店に来た人相の悪い奴が銃を持っていた。「野郎、何するんだ。」と、言うと、「悪い、悪い、気にするな。」と、言って、銃を後ろの腰のベルトに隠し、そのまま無言でUターンして元の暗い道へ走り去った。私は遠去かる排気音の方を見ながら、大きく息を吐いた。本当に危なかった。アイツの顔は、人殺しをした経験があるか、プロの殺し屋では無いかと思いながら、我ながら自分の強運に驚いた。あの日、顔見知りになっていなかったら、あのまま頭を撃抜かれたに違いない。