D.7 カナダ移住(3/4)

D.雑記色々

カナダ移住(2/4)を書いてから時間が経ってしまった。実は、2,025年3月末から4月中旬まで妻と一緒に日本へ行ってきたからだ。久々に桜が観たかっただけでなく、4月の初めに小学校の同窓会が開催されるタイミングに合わせたからだ。今までは仕事の都合で、同窓会にはほとんど出席することが出来なかった。2月に満70才になって、旧友や幼馴染に会える事を楽しみにしていたが、仕事や健康上の理由で出席できなかった人が多かった。当日は残念ながら11名しか集まらなかったが、それでも楽しいひと時を過ごす事ができたので、出席した甲斐があった。そして近所に住んでいた幼馴染みの女性に、50年ぶりに会えた事も嬉しかった。

日本滞在中は一人暮らしをしている従姉妹の家にお世話になった。コロンビアに戻る際、彼女と一緒に旅行することになった。彼女は私より2才年上で、幼少期より家族同様に育って来た仲だ。彼女は今回で2回目のコロンビア訪問になり、5月半ばには一緒にメデジンからラスベガスへ移動し、ラスベガスからレンタカーを借りてアンテロープキャニオン、ホースシューベンド、グランドキャニオン、デスバレーを周遊して、最後にサンフランシスコ周辺を観光してから、従姉妹は日本へ帰国した。私達夫婦はそのまま息子の家に6月10日まで滞在してきた。そんな訳で、旅行中はブログを書くのを中断していた。

カナダ移住(2/4)スノーモビルから再開。

スノーモービルから落ちた私が空き地で呆然としていると、ショールームから飛び出してきたマネージャーから怪我は無いか?何があったのか?と、聞かれた。事故ったスノーモビルのオーナーもショールームから見ていたらしい。アクセルレバーがくっついたと言うと、彼は点検整備後にあってはならない事故という点を理解して、「わかった、心配するな、全て保険でカバーされるから、大丈夫だ。これから警察が事故聴取に来るから、君は英語が全く出来ないフリをしていろ、俺が全部説明するから」、と言われた。

保険が掛かっているのを知ってホッとした。どうやらクビにならずに済みそうだ。カナダでの仕事初日、それも朝から散々な目に遭った。出張から戻ってきたオランダ系オーナーのロンや同僚から、10日間くらいはこの話でイジられた。アメリカ人のオートバイスタントショーで有名なイーブル・クニーブル2世と呼ばれた。

アパートをシェアする

事故のほとぼりが冷め、そろそろアパートを見つけようと思っていた頃、セールスのマイクから誘われて、ディーラーから近いアパートを二人で借りてシェアすることになった。カナダ人は結構早く実家から出て独立する。マイクの彼女も友人とアパートをシェアして住んでいた。私たちが借りたアパートは結構新しく、サイズは約70㎡の2LDKであった。台所にはレンジとオーブン、冷蔵庫は備え付けてあった。暖房はセントラルヒーティングで温まっており、室内で厚着をする必要は無かった。

ここは仮住まいと考えて、寝るためのマットと布団やタオルなど、最低必要な物だけ買うことにした。マイクも引越し荷物がほとんどないので、中はガランとしてとても広く感じた。新しく綺麗なアパートだったがとても安普請だった。入居早々、音楽を少し大きな音で聴いていたら、階下に住んでいた若い女性二人が上がってきて、静かにしろと怒られてしまった事があった。

ある朝、冷蔵庫の冷凍室から水が垂れていた。新しそうに見えたが壊れてしまった。マイクにオーナーへ修理を依頼してもらい、すべての食材をベランダに出して仕事に行った。夕方、アパートに戻ると、ベランダの食材は見事にカチンカチンに凍結していた。当たり前な話だが、冷凍庫の温度よりも外気温の方が低かったのだ。あらためて凄いところに来たなと、一人で笑ってしまった。

カナダのパーティー

まだ雪が溶けない4月末、メカニックの同僚に誘われて彼の友人宅のパーティーに行った。参加者は缶ビール24本入りの1ケースを持参するのが決まりだった。こじんまりした一軒家で、居間には多くの地元の若い連中が居た。皆がビールを片手に居間のカーペットの上に座って、ワイワイガヤガヤと話しあっていた。家の中はカーペットが敷いてあるので、入口のドアの周りには雪で濡れた靴が大量に置かれていた。

数人と挨拶を交わしたが、話が続かないので飽きてしまった。パーティーと言うが、歌うわけでもなく、コロンビアのようにダンスが始まることもない。ただ座って話をするだけだった。そしていつまで経っても食べ物が出てこないので、空っ腹にビールの酔いが回ってきた。腹が減って我慢が出来なくなり、同僚に断って退散することにした。後日、ディスコダンスにも誘われたが、同僚はビールを片手に眺めているだけで踊らなかった。これ以降、同僚からパーティに誘われても断る事にした。

中古車購入

通勤や買い物に不便な事から新聞で見つけた中古の青いメタリック塗装のトヨタセリカSTを買った。良く手入れがされていてとても程度が良かった。オーナーと交渉して、当時の価格で2,200カナダドルを2,000ドルにまけてもらった。車の名義変更はすごく簡単であった。そしてカナダの免許も簡単に取得することができた。実際に路上に出ると、右側通行に慣れないために何度か怖い目に遭った。

大きな交差点で、車列の一番前で左折しようとして信号待ちをしていた時、青になって発進したら反対車線に入ってしまった。たまたま反対車線に車が一台も無かったから錯覚を起こして入ってしまったのだ。運悪く私の数台後にパトカーが居たらしく、すぐに止められた。自分の前に車があれば、車線を間違うことは無かったと思った。大きな体格をした警官へ真新しいIDと免許証、車の登録カードを見せた。日本から来たばかりで右側通行にまだ慣れてないから、つい反対側に入ってしまったと言ったら納得してくれた。「十分に気をつけてくれ」と言ってあっさりと許してくれた。ラッキー!。同僚達に話したら、あり得ないくらい珍しい対応だと言われた。

日本人コミュニティー

車が手に入り行動半径が広がるにつれて、スーパーで偶然にも一人の日本人の男性と知り合いになった。彼を通じて日本人コミュニティの存在を知り、何度か会食やカード遊びなどに呼ばれて楽しんだ。メンバーの人達は年配の人が多く、感じの良い人達だった。一番若いのは私だった。この街はサスカッチワン州の州都とはいえ人口は2万人くらいしかいない。小さな地方都市のせいか、日本人コミニュティと言っても私を含めて12人程度しかいなかった。

特に親しくなったのは年の近い3人の男性だった、最初に知り合った美容師で既婚者のA氏と、彼の友人で同僚の独身D氏、そして日本でカナダ人の英語の先生と一緒になったK氏だ。A氏とD氏は同郷で、同じ職場の友人であった。A氏はおっとりした性格で、一見すると美容師という華やかな職業とは無縁のような感じの人だ。奥さんは彼よりも若く専業主婦であった。いつも一人で家に居るからか、少しストレスが溜まっていたような印象を受けた。

D氏は小柄で、ヒゲモジャの愛嬌のある独身者であった。D氏の腕は当地でとても評判になり、クリスマスなどイベントのある月などは1ヶ月くらい先まで予約で一杯であった。歩合給とチップでかなり高収入を得てるとA氏から聞いたことがある。

K氏は大きなデパートで働いており、ちょうど私が知り合いになった頃、店頭営業から広告課に移り、趣味にしているカメラのセンスを活した商品ディスプレイが好評を得ていた。現地で大きなコンドミニアムに住んでおり、ちょっと太めな優しい奥さんとリジャイナでとてもイキイキとした生活を送っていた。

彼はゴルフも趣味にしていてとても上手だった。夏になると誘われて、良く美容師の二人を含めた4人で一緒に遊んだ。リジャイナにはプライベートクラブとパブリックコースそして、パブリックの9ホールのショートコースがあった。どれも広々として綺麗に整備されたコースであった。パブリックコースではスニーカーでもOKだった。クラブのセットを貸してもらえたので、高額な道具を揃えなくても楽しく遊べることができた。

台湾出身の中年のOさんも私達と親しかった。彼は若い頃日本へ留学していたことがあり、少し訛りがあるが流暢な日本語を話すとても生真面目な人だ。奥さんは日本人で二人の子供が居た。カナダの大学院で博士号を取得し、州政府の研究所で研究員として働いていた。かなり大きな一軒家に住んでいて、何度か家に遊びに行ったことがある。一見、幸せな家庭を営んでいたように私には見えたが、気の強い奥さんと頻繁に喧嘩して大変だとこぼしていた。

アパート引越し

とても親しくなった美容師のA氏が住んでいるアパートの隣の棟に、空き部屋が出たことを教えてもらった。マイクと共同で借りていたアパートを引き払い、引っ越しをした。半地下の小さなワンルームでとても安く借りられた。仕事先からは少し遠くなったが、冬でも目の前の大きなスーパーに歩いて行けるので生活するには便利だった。

アパートの前は露天の大きな駐車場になっており、部屋毎に駐車スペースが決まっていた。各駐車スペースには高さ1mほどのポストが立っており、電気のコンセントが付いていた。屋外なので駐車しているとエンジンオイルの流動性が落ちるため、夜間は車のフロントグリルから30センチほど出ている電気コードのプラグを差し込んでおく。オイルパンに内蔵されているヒーターでオイルを保温することで、朝、どんなに寒くてもエンジンは1発でかかった。

毎朝、エンジンを暖機運転している間、硬質プラスチック製のスクレーパーで、ガラスの表面に固まった霜をガリガリと掻き落とすのが面倒だった。人によっては車内にファンヒーターを設置して、部屋からスイッチを入れ、外出前に車内を事前に温めおくようにしていた。ファンヒーターが着いていると、ガラスの霜も簡単に落とせるらしかった。

リジャイナはとても寒いが降雪量は少なかったので、アパート住まいの個人が除雪作業をすることは無かった。市内の主要な道路は除雪され、岩塩が撒かれていた。それでもタイアが滑ってとても怖い目に遭う事がある。一度、交差点で信号待ちをしていた時、右側から来た大型トラックが、信号が青から黄色に変わったのでブレーキをかけた。ところが氷上のように滑り始めて制御不能になった。スローモーションの動画のように、大きな車体がゆっくり斜めになりながら交差点の真ん中まで出てきてようやく止まった。幸いに事故は起きなかったが、観ていて気持ちの良いものでは無かった。A氏に急発進と急停車に気をつけろと言われた事を思い出した。

真夏のパーティーの苦い思い出

仕事にも慣れてきた5月の半ば、気温が上がって道路の雪が消えたと思ったら突然夏がきた。そんな頃、友人の美容師さんからパーティーに誘われた。街から約1時間離れた郊外にある美容室のオーナーの大きな家で開催された。プールサイドでハンバーガーを焼いており、多くの人達がビールを片手に集まっていた。プールで泳いでる人も多かった。自分もビールを飲み始め、夕方になってから勧められるがままにカナディアンウイスキーを飲み始めた。口当たりが良いので飲みやすく、何杯もおかわりをもらっているうちにかなり酔っ払ってしまった。

プールで泳いでいるうちに潜水をしてみた。なぜか息が長く続くので、どのくらい我慢していられるかプールの片隅で潜ってジッとしていた。中々浮上しない私を見つけた人達が驚いて、私の体をプールサイドに引き上げた。酔いを覚ませと言われて、大きなサウナバスに入れられた。30分もすると暑さに耐えられなくなって、外に出て夜風にあたった。まだプールサイドで飲んでいる連中が多かった。夜も10時を過ぎた頃、オーナーに挨拶してもう帰ると言ったら、オーナーは心配して「今夜は泊まって明日の朝に帰れ」と、言ってくれた。この程度の酔では問題ないよと言って、自分のアパートに帰ると言い張って車に乗った。

リジャイナ市の周りは、見渡す限りウネウネと緩やかな起伏の大地に、小麦畑が広がる穀倉地帯であり、どこにも山影は見えない。州同士を結ぶ幹線道路は片側2車線になっており、アメリカとの国境線に沿ってカナダの東部から西部へ大陸を横断している。反対車線の道路との間は100m近く離れており、土を盛って断面がM型の道路は、周囲の畑よりもかなり高くなっている。郊外の道路には照明が無く、全く車が走っていない真っ暗な道を、120キロくらいのスピードで走った。しばらくハイビームで照らした単調な道を走っているうちに、睡魔に襲われて眠ってしまった。

突然、車体が激しい振動を起こして目が覚めた。車はガードレールが無い道路を外れて右手の土手を下っていた。ライトの中、目前に1本の大木が現れた。反射的にハンドルを左に切って衝突を回避した。心臓が飛び出しそうになったままアクセルを踏んで、なんとか斜面を登って道路に戻る事ができた。車速を落とし、全ての窓を全開にして深夜の冷気に吹かれながら無事に帰宅する事ができた。翌日は二日酔いで頭が痛かったが、大いに反省した。

4/4に続く

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