1985年9月、30才でメデジンの日本製船外機の輸入販売会社に入社した。元々、私は日本では自動車メカニックとして働き始めた。20才の旅の後、海外へ出たいがために故郷でオートバイ修理に転向した。カナダそしてコロンビアに移住した後も、オートバイ修理を専門にしていたので、船外機については全くの素人、何の知識や経験もなかった。しかしながら、当時の船外機は2サイクルエンジンであり、馬力は大きくても構造は小型オートバイの2サイクルエンジンと大差は無く、シンプルであった。
人口約300万、コロンビア第二の都会であるメデジンのオートバイ業界では、日本人の優秀なオートバイメカニックとして名が通っていた。入社した船外機会社の社長から、サービス部門のマネージャーとしてリクルートされた。会社は日本製の船外機の販売を中心に、チェーンソー、小型発電機、太陽電池システム、芝刈り機、水ポンプ等を取扱っており、系列会社としてFRPボートの製造・販売も手がけ、従業員約400名を抱えていた。
マネージャーの業務は修理部門の管理であるが、会社は特にクレームの処理について重要視していた。トラブルの原因が顧客にあると分かれば、顧客に対して原因と対策について説明し、顧客が納得すれば修理にかかった費用を請求する。またメーカー側に何らかの原因があると判断すれば、出来るだけ詳細な技術レポートをメーカーに提出して、クレーム処理にかかった費用を請求する。その他、本社と三つの支店、及び全国の販売店に対する技術支援を行う。要請があれば職業訓練校の先生や、重要な販売拠点のメカニックを対象にした技術講習会を開く。以上のような説明を受けた。
実際の修理業務は修理工場長以下支店も含め、約30名の熟練したメカニックが担っていた。しかし、本社の修理工場において一度修理した機械が、同様のトラブルが再発した場合は、新品のクレーム時と同等の対応をする。メカニックと修理工場長の点検報告を基に、故障原因や修理内容等を分析し、再発を防ぐ解決策を提示する。
元々、数年前まで社長の弟が働いていたポジションであり、彼が独立してしまった後、数人のエンジニアが後任となったがうまく機能しなかった。中々適任者が見つからなかったようで、サービスマネージャー不在の期間も長かったそうだ。
船外機について全く経験の無い私のため、入社後はカリブ海に面したカルタヘナのマリーナで、2ヶ月間ほど船外機とボートに関する実習に出すという話が面接時にあった。しかし入社して1ヶ月経っても具体的な話は出なかった。
ある日、メデジンの北方ネチ川に面した一年中暑いバグレ村へ初出張を命ぜられた。社長から直々にセールスマンの出張に同行してもらいたい、という要請だ。船外機市場を実際に知るという事が、私に対する出張目的であった。しかし、他にも別な理由があるのではと直感して詳細を聞いたところ、現地で販売されたばかりのボートがよく走らないというクレームが出ているそうだ。3気筒75馬力の船外機を搭載した全長18フィート(約5.4m)の和船型F R Pボートだそうで、出張ついでに見てもらいたいと言われた。
入社直後、私は事務室で毎日修理マニュアルなどの資料を読んでいたが、コーヒーを何杯飲んでも昼食後に机の上で居眠りをすることが多かった。その光景を私の秘書が人事部長に告げ口をしていたらしい。外部から船外機未経験者の私を、サービス部門の責任者に抜擢した社長の人事に対して、好感を持つ人は少なかったに違いない。恐らく直接社長へも、私に対する不満が寄せられていたのではないかと思う。
今回の出張の真の目的は、私の実力をテストしようという事だと悟った。そこで私は「面接時にも話しましたが、船外機のメカニカルな不具合には対応できると思います。ですが、ボートについては全く知識が無いため、不具合の原因が船外機とボートのマッチング等に由来する物であれば、対応できません。」と、発言した。社長は、「その辺のノウハウは、同行するセールスマンが良く知っているので心配するな。」「重要なことは船外機のマーケットがどういうものか、知ってもらいたい。」と、再び強調された。
ネチ川の上流には大小の砂金採掘業者が集まっており、そのせいか小さい村だが経済活動が活発で空港もあった。毎日、数便、メデジンから20人乗りの双発プロペラ機を使用した直行便があった。現地到着後、すぐに空港からボートが置いてある河岸の小さな修理工場へ行き、オーナーのノノという人物に会って詳しい話を聞いた。
ノノは通称であって本当の名前は知らない。皆、彼をノノと呼んでいた。現地はとても暑いので彼は上半身裸でいた。でかい腹を突き出している中年のメカニックで、いつもニコニコして明るい性格の奴だった。船外機の販売店は別会社で他の場所にあり、サービスは行っていない。ノノは手伝いを二人雇い、川岸の彼の小さな修理工場で船外機の修理を専門に行なっていた。
早速、ノノに頼んで問題の新しい全長18ft(約5.5m)のボートに乗せてもらった。大馬力の船外機ボートに乗るのは生まれて初めてだった。このタイプのボートは現地でタクシーと呼ばれ、最大定員14人乗りで使用されていた。大河の支流に点在する村々の人や物の移送に重要な役割を果たしている。
新品の船外機は手動式のスターターロープを引くと1発でかかった。ノノが運転し、セールスマンと私を乗せたボートは川をアクセル全開、全速力で走った。ボートはとんでもない加速をして、水面を恐ろしいほどの高速で滑走した。
船外機艇がこんなに高速が出るとは思ってもいなかった。同時に、エンジンに何の異常も感じる事がなかった。トップスピードでのエンジン回転数は毎分4,700回転であった。何が問題なのかと聞くと、このボートは13人しか乗れず、定員の14人を乗せて滑走しないのが問題という事であった。
早速、桟橋でボランティアを募り、合計14人を乗せて試験した。確かにアクセルを全開にしても回転が上がらず、船底は沈んだまま浮上せずに水面を滑走しなかった。そこで、一人だけ下ろして13人にしてみると、ボートは快調に加速し、船体が浮上して水面を高速で滑走した。たかだか一人、約65kgくらいの差で起きた違いに驚いた。
修理工場に戻り、船尾の船外機の取付け位置や、プロペラの状態やサイズもノノに確認してもらった。ノノから、同モデルは現地で多く販売されており、外観上の問題は何も見当たらないと言われた。彼は地元で15年ほど船外機のメカニックとして経験がある。その彼でも原因が分からないと言った。
修理マニュアルを読むと、アクセル全開時のエンジン回転は、毎分4,500〜5,500回転になるように、プロペラのピッチのサイズで調整する必要がある。プロペラのピッチはボルトのピッチと同様に考えることができる。1回転した時に前に進む距離を表しており、使用されていたプロペラは17インチ(約43cm)であり、理論上1回転毎に17インチ進むということだ。
ピッチを小さくすれば水の抵抗が少なくなってエンジン回転数は上がる。船速は落ちるものの重量物を運搬する時に必要となる。逆に、ピッチを大きくすれば水の抵抗が増えてエンジン回転数が下がる。軽量のボートで高速を必要とする時には大きいピッチ数が必要となる。よって使用するボートの総重量に見合った船外機の馬力と、プロペラのピッチサイズを選定する必要がある。
問題の船外機はアクセル全開時に4,700回転であったので、規定内に収まっている。また現地では、一般的なタクシーボートとして、同型のボートは同じ75馬力の船外機に17インチのプロペラを使用しており、スタンダードなセッティングであった。
3本のプラグを外してみると綺麗な焼き色をしていて、何も異常はなかった。3気筒の圧縮圧力を測ってもデータ通りであった。スパークの点火時期や進角具合も点検したが異常はない。マニュアルを見ながらプロペラのピッチを変えたり、3日間色々な試験を実施したが原因がわからなかった。
どうしたものか困っていると、セールスマンが販売店からメデジンの本社に電話するというので、一緒に行ってみた。彼の年令は55才くらいで、うすらハゲに大きな腹を突き出した貧相な男であった。生え抜きの社員で、以前はメカニックとして勤めていたようだ。
一緒に販売店に入ると、彼はオーナーに私を紹介もせず、簡単に挨拶して電話を借りた。すぐに本社と話をし出した。私は内心彼の態度にカチンと来たが、初対面の販売店のオーナーに自己紹介をした。ボートのトラブルについて話を聞いていると、セールスマンが社長と話をしている内容の一部が聞こえた。彼は聞えよがしに「…コイツは全く使えない奴…」と、報告していた。販売店のオーナーの前で私を侮辱した発言に対して、頭の中は一瞬で火が点いた。そして全身がカッと熱くなった。この場でボコボコに殴り倒して辞任しようと思った。
セールスマンが電話を切るまで時間がかかったことから、頭の片隅が少し冷えた。貧乏旅行をするために18才から7年間空手をやっていた私にとって、こんなオヤジを殴り倒すのはとても簡単な事だ。しかし辞任した後、会社ではオヤジの言うことが正当化され、評判倒れの乱暴なクズ日本人だったと、嘲笑されるに違いないと思った。そんな真似は絶対させないと思うと同時に、このままでは私を抜擢した社長にも申し訳ないと思った。
日本人を舐めるな、絶対に私の実力をこのオヤジに認めさせてやる。今はボコボコにしないが、いつか自分がアメリカ大陸で船外機の第一人者となって、船外機とは何かを教えてやる。絶対にこのオヤジは許さないと心の中で誓った。怒りでカッカした感情をムリヤリ押し殺そうとした途端、顔面は引き攣り、体中が熱いまま震え出した。
震える声でセールスマンに電話を代らせ、本社の修理工場長と話をした。彼は私より少し年上で、メカニックとして入社した生え抜きの社員だ。本来であれば今回の私の人事に不満を持つ立場であるが、初対面の時から温厚で信頼が置けそうな人物だと感じていた。
彼に今までの経過を伝え、試験した内容の詳細を伝えて意見を聞いた。いくつかの点検すべき箇所を言われたが、すでに点検して問題が無いことを説明した。最後にシリンダースリーブの位置がズレてる可能性もあるので、分解して調べるように勧められた。
2サイクルエンジンのシリンダースリーブは、4サイクルエンジンのように単に円筒ではなく、いくつもの排気、吸気、掃気用のポート(穴)が開いており、アルミ製のシリンダー本体に嵌入されている。もしシリンダー本体に対してポートの位置がズレていれば、パワーが落ちるはずだ。だが、3本全てのスパークプラグは綺麗に焼けており、アイドリング回転も落ち着いていた。エンジンに異常が感じられなかったので、スリーブのズレには納得いかなかった。
エンジンを分解する理由が無いと思ったが原因がわからないため、エンジンの分解・点検をすることに決めた。そしてつい弱気になってしまい、彼にこっちにきて手を貸してくれと言ったところ、業務が多忙で無理だと断られた。しかし、直ぐに「あなたが分からなければ、誰も分かる人は居ないよ。」と、言われた。その言葉を聞いた瞬間、覚醒した。修理工場長の一言で気持ちがスッと落ち着いた。カッカしていた頭が冴えてきた。
工場長はとても優秀な人物であり、船外機については10年以上の経験を有している。その彼も今回のようなトラブルは初めてだと言っている。現地のノノも15年も経験があって、こんなことは初めてで、原因が分からないと言っていた。私は、船外機に精通している彼らが分からないことを、未経験者の私が分からなくても当然、と開き直ることができた。
すぐさまノノの所へ戻り、船外機の分解手順も分からないので、彼にエンジンを分解してもらうよう頼んだ。ノノは助手二人に命じて重いエンジンを下ろさせ、慣れた手つきで素早くバラバラに分解してくれた。幸い、彼の工場にはオリジナルの修理マニュアル、部品リスト、特殊工具一式、その他全て修理に必要な工具や機器類、そして旋盤さえも揃った小さくても完璧な修理工場であった。
作業台の上に分解されたエンジンの部品を並べた。ひとつずつ手にとって、注意深く点検していった。新しいエンジンの部品は当然ながら綺麗で、何の異常も見つからなかった。スリーブのポートとシリンダー本体の位置も確認したが、ズレなども無く全く異常が見当たらなかった。念の為、二度点検したが異常はなかった。やはりという思いと、困惑した思いがせめぎあった。
あまりにもムシ暑いので、少し休憩して考えをまとめることにした。メカニカルな部分には異常が無いことを確認した。スパークプラグの綺麗な焼け具合を見れば、電装系に異常があるとは思えなかった。だが、他にやれる事もないのでエンジン同様、全ての電装系もマニュアルどおりに調べることにした。幸いノノの修理工場には、船外機メーカー推薦の新品の電気テスターも揃っていた。
電装系もコネクター類を外して、単体に分けて並べた。電気テスターでマニュアルどおりに各部品を測定して行ったが、全ての部品の測定値はマニュアルの基準値内に入っていることが確認できた。これでもう本当に調べるところが無いと困惑したが、念の為にもう一度確認することにした。
再度、三つあるイグニッションコイルの抵抗を調べた。作業台の上で一つずつコイルとハイテンションコードに、テスターのクリップを取り付けて調べて行く。一つ目に異常はなかった。二つ目のコイルにクリップを付け、コイルを手に取った時、台上に置いてあったテスターの針が一瞬触れたのが、目の隅に入った。内心ドキリとした。クリップの取り付けを確認して再点検すると、何事も無くテスターの針は基準値内を指し示した。結局、3個全てのコイルに問題が無かった。
二つ目のコイルをもう1度手にとった。テスターのクリップを取り付けたままコイルを移動した。その時、もう一度テスターの針が振れた。「何だ?」クリップの取り付け位置を確認し、コイルから出ているハイテンションコードを持つと、もう一度針が振れた。ハイテンションコードをU字状に曲げてみると、テスターの針が振り切って内部断線をしていることを指し示した。ハイテンションコードを少し強く、手前に真っ直ぐ引っ張ると、内部で断線していることがテスターで分かり、手を離せば元に戻って、導通しているようにテスターの針が指し示した。
「これだ、このコイルが原因だ。」確信してノノにテスターを見せながら説明をした。そして分解したエンジンを組み立てて貰い、エンジンをボートに戻してもらった。彼等は作業に慣れているので動きに無駄が無く、頼もしく感じた。ノノが何処からか借りて来たコイルをテスターで確認してから、取り付けてもらった。
再びボートを三人だけでテストすることにした。エンジンはすぐにかかり、暖気後にアクセルを全開にしていくと、快調に川の水面を滑走した。その時のエンジン最高回転数は5,100回転であった。嬉しさが込み上げて来た。初めにテストした時は4,700回転だった。コイル一個を交換しただけで400回転も上がったのだ。
すぐに14名乗船してもらい、アクセルを全開にして行くと、エンジンは力強く反応してボートは川を快調に滑走した。ようやく原因を探すことが出来て、本当にホッとした。ノノも本当に嬉しそうだった。セールスマンは何も言わなかった。「コイツは絶対許さない。」もう一度、心に誓った。
後日談:本社に戻り、不良のコイルを見せて工場長に説明した。セールスマンの事は社長に黙っていたが、彼だけには話した。すると、彼は「あいつは嫌な奴なんだ。オレもあいつとは絶対出張しない。」と言った。「うん?」先に言って欲しかった。
持ち帰った不良コイルを、テストタンク内で75馬力の船外機に取り付けて試験してみたが、何の異常も起きなかった。テストタンク内ではトラブルを再現することは出来なかった。実際に実機をボートに搭載し、14人分の負荷がエンジンにかからないと異常が起きないことを説明した。こんなことは初めてだと、修理工場長が半信半疑で言っていたのが印象的だった。
この出張で自信がついたが、この日から居眠りすることは無くなった。毎日、貪るようにマニュアルや内燃機関、そしてボートに関連した資料を読み始めたのは言うまでも無い。
この出張から半年ほど経ち、社長から本社と支店を合わせた全営業マンと、関係者20名ほどを集めたセールスコンベンションをメデジンの郊外のホテルで行う旨、連絡が入った。社長からその際、新しいモデルの船外機と発電機について講義を依頼された。
当日、明るく広い会議室内で彼らに1時間ほどの講義を行った。室内を見渡すとその中に、うすらハゲオヤジも神妙な顔をして座っていた。「やった。ザマアミロだ。」「俺を馬鹿にしてたお前が、こうして俺から講義を受けている姿を見てみろ。」心の中で過ぎた日の興奮を思い出した。
自分の出番が終了したので駐車場に向かって歩いていると、後ろから社長に声をかけられた。「まっすぐ家に帰るのか?」と聞かれ、そして、「今日は本当にありがとう。素晴らしい講義だった。」と、普段人を誉めない社長が握手を求めてきた。私の心の中は高地の青い空と同じように晴れ渡った。
なお、とうとう私のカルタヘナのマリーナでの実習は実現されなかった。