E4. 2025年の年末を過ごす。2/2

E. 定年後の話色々

インスタグラム開始

年末の様子を書いてブログに投稿しようと思っていながら、水彩イラストにハマってしまった。題材は自分の写した写真を見て描いているうちに、自分でも驚くくらいスキルが上がった。苦手としていた彩色が楽しくなった。当然、ブログの更新が伸びに伸びてしまった。もちろん、ケーナを手に取ることも無く、レストア途中のBMW(R-2)もほったらかしだ。描いたイラストをデジタル販売しようとして、とりあえず21枚を描き上げた。残念ながらコロンビア在住だと送金関連の規制などの手続き上の問題で、世界最大手の販売サイトにアカウントを開けなかった。他のサイトを調べているが、とりあえずはインスタグラムにfreemanlife.colでアカウントを開き、描いた絵を貼り付けた。

ジュネーブの旧市街

リスボンのトラム

クリスマスパーティー(1/2からの続き)

例年のクリスマスイヴは妻の親族と一緒に祝うのが恒例だ。どこの家でやるか、会場は毎年変わる。ここ2、3年は近くに住んでいる妻の姪のLのアパート(日本で言うマンション)で祝った。ロウソクを一緒に灯した晩に、その姪の旦那に今年のイヴはどこでやるのか聞いたところ、今年はもう一人の姪のGの家(郊外の別荘地に建っている豪邸)に呼ばれていると聞いた。毎年、姪のGは旦那の家族と田舎の別荘で年末を過ごしているので、珍しいこともあると思った。

妻は6人兄弟の末っ子で、すでに姉さん二人と次男の兄の3名が、ガンでこの世を去っている。兄弟が多いので姪の数も多く、15名ほどいる。甥は4名しかいない女系家族だ。メデジンまたは近郊に、私たちの他に7家族が住んでいる。彼らの子供達も含め、全員が一堂に会すると40名ほどになる。

妻は会場について何も知らなかったらしく、皆が参加すると人数が多くなるので、別の姪Dに相談して彼女の家または私の家で、別にパーティーをすることになった。妻がパーティーの件で昨年一緒に祝ったLに話すと、その旦那が皆で一緒に祝おうと反対した。豪邸の姪Gは、例年どおり郊外の別荘で旦那の家族と別に祝うことになり、最終的には昨年に引き続きLのアパートに集まった。当日は首都のボゴタに住む姪のCの家族も例年どおり帰省するので、計5家族20名ほどになった。

会場となった姪のマンション(以後、日本式に表記する)は22階建ての18階だ。20年前に購入した当初は見晴らしがよく、メデジンの谷間の中央にあるダウンタウンが遠望でき、パノラマで見える街の夜景が素晴らしかった。購入してから数年後、通りをはさんだ向いに2軒の高層マンションが建ったことで、自慢していた景色の一部が見えなくなってしまった。しかし、何もなかった遠方の山手の方もマンション建築が進んだことで、以前ほどではないにしても素晴らしい夜景を楽しむことができる。フロア面積は225㎡もあり、階ごとに2軒しか入っていない高級マンションだ。

当日の料理は参加する家庭ごとに一品づつ持ち込むことになった。私は肉料理のつけ合わせにするポテトサラダ二皿と、冷やしたスパークリングワイン2本を持ち込んだ。土地のトロピカルな音楽を聴きながら、4人しかいない男達はバルコニーのテーブルに座ってラムやウィスキーを飲み出した。女達はリビングのソファーに集まった。全員が集まったのは7時くらいで、夕食は9時近くになった。食後に音楽を大音量で流しながら全員参加のゲームや宝探しをして遊び、0時になると皆抱き合いながら、ホッペにキスをして祝った。流石に男同士はキスはしない。余談ながら、同じ南米でもアルゼンチンは例外で、男同士でもホッペにキスをする。

カリフォルニアに住んでいる息子とワッツアップ(ラインと同様な通信サービス)で連絡を取る。時差が3時間あるので、向こうはまだ9時であったが、子供達が寝る前にプレゼントの開封が始まった。こちらも一つずつプレゼントの名札を呼んで各自に渡していく。私は酒やシャツなどを姪達からプレゼントされた。花火は禁止されているのにも関わらず、近くの住宅から大きな花火が連続して打ち上げられた。

70-80年代には打上げ花火と、半径が1m以上もある紙製の熱気球で夜空が明るくなったのを鮮明に覚えている。当時は熱気球が原因で火事が多かったそうだ。また、子供達が花火で火傷する事故も多かった。今は花火同様に禁止されている熱気球だが、それでも夜空に高くいくつか上がっていた。今でも熱気球を飛ばす奴等がいるのは困ったものだと思いながらも、ゆったりと酒を飲みながら、晴れた夜空に上昇する熱気球を眺めていると、なんとなくノスタルジックになった。その後、さすがに酔と眠気に耐え難く2時半頃に帰宅した。

大晦日のパーティー

クリスマスが過ぎると、お金に余裕のある人達は休暇をとって郊外の別荘や、家族、友人の住む他の街へ行く。年末年始のレストラン、モールやスーパー、また個人経営の店もほとんど通常通りに営業しているが、街中は交通量が激減してとても移動がしやすくなる。クリスマスを一緒に祝った姪たちも、大晦日は親しい友人達と過ごすのが通例だ。

中には、海外に住む家族のところへ行く人も結構いる。何かで読んだ統計では海外在住のコロンビア人は、推定で500万人以上いるそうだ。コロンビアの人口の約10%になる。アメリカだけでも200万人近く住んでおり、スペインでは100万人いるそうだ。日本人の場合は日系人を除く海外在住者は人口の約1%程度で130万人くらいだ。よって、年末には海外から戻るコロンビア人も多いし、国内家族への送金も経済に大きな影響を与えている。そのせいか、年末のドル換金レートはペソへ換金する人が増えて、ドルのレートが低くなる様に感じる。

私達は、一人で近くに住んでいる妻の90才になるとても元気な義姉さんと、ボゴタから来た彼女の末っ子の家族4人、そして3人の姪姉妹が加わった計10人で、私のマンションで大晦日を過ごすことにした。当日のメイン料理は私が作り、前菜、副菜そしてデザートは他のメンバーが持ってきた。つまみと酒でパーティーが始まり、夕食は少し遅めにした。ダンスをしている間に12時になると、新年を祝って乾杯し、皆がハグをしながらホッペにキスをした。サンフランシスコ郊外のパロアルトに住んでいる息子や、スイスのジュネーブで暮らしている娘にも連絡して新年を祝った。姪達は新年の幸運を呼びこむゲン担ぎのため、旅行鞄を持ってはしゃぎながらマンションの周りを一周してきた。クリスマス同様、大晦日も時々花火が上り、熱気球もいくつか夜空に上がっているのを見ながら年が明けた。

年初の小旅行

ボゴタ在住の姪夫婦から誘われて、彼女の所有する別荘に行くことになった。場所は、首都ボゴタから西に車で2時間半ほどかかる、標高800mくらいに位置する常夏のアナポイマという小さな町にある。ボゴタの富裕層の間では保養地として有名な町だ。メデジンからだと車で10時間以上かかる。そこで、途中のタメシスという村に住んでいるもう一人の姪の家に泊まることにした。その姪も招待されていたので、二日ほど遊んでから彼女の旦那も含めて4人一緒に、車一台で行くことにした。

Googleマップ借用

タメシスには何度も行っている。最近、新しい工事中の幹線道路の大半が通れるようになり、メデジンから以前よりも40分ほど早く行けるようになった。工事が完了すれば、今まで3時間半かかっていたところを、2時間くらいで行けるようになる。伝統的な村の家並みが残っているので、風情のある落ち着いた所だ。村は山の斜面、標高約1,600m位置するので、気候はメデジンのように常春だ。しかし、涼しい山と暑い低地の温度差とで、麓のカウカ河による湿度の影響から、ほぼ毎朝濃い霧が麓から立ち昇って来て村全体を包む。その霧も天気が良く、太陽の位置が高くなってくると視界が開け、姪の住んでいる町外れの高台にある家からは、河の対岸の山に点在する村々や、アンデスの山並みを遠くまで見渡せる。

タメシスは坂が多く、伝統的な家屋が多い。(写真を撮って家に帰ってから描いた。)

ボゴタ在住の姪夫婦一家は、年明け4日から旦那の出身地のマニサレスに近い、彼の叔母さんの別荘に滞在していた。携帯で連絡を取り、タメシスから南へ2時間ほど行った、幹線道路の交差地点で合流することになった。

Pereiraを過ぎてから、山の上に位置する有名な観光地となっているSalentoという小さな村に寄った。タメシスの姪夫婦も義姉も初めてなので、せっかくだからと立ち寄ったが、駐車場がどこも満員で探すのに苦労した。私と妻は10年前に、息子や娘達と一緒に2回ぐらい来たことがある。当時は簡単に駐車することができた。今回はオーバーツーリスモという感じでごった返し、雰囲気がとても変わってしまい残念に感じた。ただ、教会の脇にあるカフェテリアは、昔ながらの地元の店という雰囲気のまま健在だった。この地域はコロンビアでもコーヒーの有名な産地であるが、この店は1929年製のイタリア製のコーヒーメーカーで淹れており、前回来た時と変わらずにとても美味しかった。

1929年製でも現役のイタリア製エスプレッソコーヒーメーカー

アナポイマの別荘は村の中心から少し離れた別荘地区にある。大きなゲートを入ると広大なコンドーミニアムの敷地内に、同じ洒落たデザインの平屋の別荘が立ち並んでいる。各別荘は寝室が5部屋あり、大きなキッチンと広いダイニングリビングで、10人が一緒にいてもゆったりと過ごせる。トイレはバスルームと一緒に各部屋についているので他人を気にすることもない。ダイニングとリビングの大きなガラスの扉は、庭に向かって全開できるようになっており、庭には別荘毎に長さ15mほどのプールとバーベキュースペースが併設されている。敷地は700平米くらいだろうか、両隣の別荘に隣人が来ていても気にならずに過ごせる。庭の生垣の先にはテニスコートが4面あり、その隣にはフィットネスジムも併設されている。姪のコンドーミニアムは3家族で共有しており、利用できる年間のスケジュールが毎年変る。退出後にはホテルの様にシーツやタオルの交換と家の内外が清掃がされ、次に来る人が清潔に利用できるように管理されている。滞在時に短期で専属のお手伝いさんを雇うこともできるので、室内の掃除や朝と昼の料理をしてもらえる。今回も一人の女性を雇ってもらった。4日間、天気が良かったので毎日プールサイドで冷えたビールを飲みながら過ごした。一度バーベキューをした。大きな専用のガス台で焼くので楽だった。夜はお手伝いさんが帰ってしまうので、自分が皆の要望でピザやスパゲッティを作った。最後の晩は姪達がサンドイッチを作った。

帰路

帰路は姪の旦那に別ルートを教えてもらった。幹線道路ではなかったので、交通量が少なく大型車も走っていなかった。とても気持ちの良いドライブができた。平地から山地になるとカーブが多くなったが走りやすかった。昼頃に着いたLIBANOという町で、駐車場で教えてもらった教会前広場の郷土料理レストランで昼食を食べた。割安感のある定食という感じで美味しかった。LIBANOからさらに山中を登っていくと、標高が高くなって外気が寒くなってきた。景色や植生も今までとは変わり、周りは初めて見る熱帯性の高山植物だらけだった。海抜4000mくらいの峠道だ。ここは有名なネバド・ルイス火山の斜面を走っている事になる。1985年には火山が噴火し、万年雪が溶けて洪水が発生した。その結果、麓の町が泥流によって埋まり、約2万3千人も死者が出た。そのうち生存者の小さな女の子が泥沼と化した場所で見つかったが、首まで泥に埋まり足が挟まれていて救助できないまま、衰弱して死んだ姿がニュースに流れた。世間に大きな悲しみと衝撃を与えたことを今でも鮮明に覚えている。

標高約4,000mの熱帯性高山植物

どこかで一泊して帰っても良いと思っていたが、夕方暗くなる前にタメシスに到着した。ロングドライブだったので、姪の家で一泊する事にした。翌朝の朝食後、洗車をしてからメデジンへ戻った。

コメント

タイトルとURLをコピーしました