A. 20才の秋、旅に出た。(3/16)サンフランシスコ/シアトル/ボストン

A.20才の秋、旅に出た。

10/4 サンフランシスコ

朝、8時に起きた。YMCAのトイレとシャワーは共同だ。シャワーを浴びに行くが宿泊者は少なかった。リュックをバスターミナルのロッカーに入れた後、有名なサンフランシスコのケーブルカーに乗って坂を下りていき、湾岸のフィッシャーマンズ・ウォーフへ行く。ここからはゴールデンゲートブリッジ?がよく見えた。写真を数枚撮った。10時近くになって、山手のほうから雲のような真っ白な濃い霧が海のほうへ降りてきた。見ている間にブリッジの下の海面と橋脚を覆って行った。霧を見ながら朝食のハムサンドイッチを食べたが、パンがとても固かった。帰りもケーブルカーに乗り、JALのオフィスの前で降りた。有名なマーケットストリートをぶらついて、小さなアーミーサープラスショップでバンダナハンカチを数枚買った。誰かへのお土産にしようと思う。

サンフランシスコからシアトルへ向けて、夜の10時半に出発するつもりだったが、バスターミナルで隣のイスに座っていた黒人のおっちゃんと片言の英語で話した。おっちゃんから6時発のシアトル行きの便があることを知り変更した。バスの中には偶然にも二人の若い日本人が居た。二人とも高知出身で、堀さんと片さんという。21才の大学生で幼なじみだそうだ。彼らに誘われてシアトルの行動を共にする事にした。内心、言葉の通じる日本人と出会えてホッとした。

10/7-8 雨のち曇り シアトル

昨日、高知出身の二人とシアトルのダウンタウンから歩き始め、丘の上のとても綺麗な住宅街を11時頃から4時頃まで歩き廻った。シアトルの昼間は活気があり、ロスアンゼルスのダウンタウンと比べて黒人が少なく、ゴミも少なくて奇麗だった。シアトルで片さんと別れた。彼は以前ヨーロッパを旅行したときに知り合ったアメリカ人の友人を訪ねるそうだ。堀さんとは後に合流するらしかった。

シアトルからバスで14時間ぐらいかかるイエローストーン国立公園へ行くため、ボウズマンという町で堀さんとバスを降りた。だが、ここもシーズンオフでイエローストーンへのツアーもすでに無く、大いに落胆した。つくづくアメリカの大きさを知るはめになったと同時に、大きすぎて観光に適していないと思った。アメリカで自由に見たいところ行きたいところがあれば、飛行機で移動して自分でレンタカーを運転して行かなければ無理だ。また訪れる季節も6月から9月頃までがベストシーズンである。

モンタナ州は草原地帯で多くの広大な牧場がある。ボウズマンも田舎町らしいが、かなり大きくて奇麗な町だ。シアトルもそうだが、なぜか黒人が少ない町の方が奇麗だ。次のバスの時間まで、客が居なくなったカフェテリアで手紙を書くことにした。窓際の席から外をみると少し雨が降っていた。手紙を書き終わると、外はいつのまにか雨から雪に変わっていた。腕時計を見ると午後9:12だった。

10/9(木) 晴れ シカゴ

昨日、ボウズマンから夜9時半発のシカゴ行きのバスに乗った。深夜にかけて雪が益々強く降って来た。イエローストーン行きのバスやホテルが閉まってしまうのが納得できた。無理に堀さんとレンタカーを借りて強引に行かなかったのは正解だった。しかし、グレイハウンドのシートはアメリカ人向けに大きいとはいえ、さすがにバスの座席で二晩連続して寝たのはキツかった。

夕べは満席のバスの後ろの方でしゃべりまくっていた奴がいたからなかなか眠れなかった。シアトルからボウズマン経由でシカゴまでトータル約30時間乗った。バスから降りたときは、溜まった疲れがドッと出た感じで体がフラついた。リュックサックを引き取り、必要な物だけ出してバスターミナルのロッカーに入れた。

シカゴは予想していたよりもとても奇麗な町だった。ミシガン湖の畔には大きな公園もあり、いくつか博物館も並んでいてとても文化的で、環境のよい所に見える。当たり前かもしれないが、アル・カポネが君臨していたような悪い雰囲気は今ではとても感じられない。

シカゴ自然博物館に入ってみたが、見学しているうちに疲れてしまい、早々に退出して湖畔のベンチで横になった。ここは意外にも黒人が多く住んでいるようだ。シアトルのように寒い北の街は、黒人が少ないのではないかと思っていた。でもここの黒人達は奇麗な格好をしており、そしてかなり良い車に乗っている連中が多かった。全体的に生活レベルの高さを感じた。

10/11(土)晴れ、夜に小雨 ナイアガラ

バッファローからカナダのナイアガラフォールへ入る。初めはニューヨーク州のナイアガラフォール市へ行くつもりであったが、乗ったバスがカナダ行きだったため、そのまま行き先を変更する事にした。カナダ側のイミグレーションで、堀さんが日本赤軍の一人に間違われそうになった。係官から何を言われているのかわからず困っていたところ、同乗していたもう一人の日本人が通訳してくれて助かった。しかし、事情が分かると日本人同士で大笑いになった。堀さんは一見育ちの良い優男という雰囲気で、どう見ても日本赤軍の活動家には見れなかったからだ。

カナダ側から見るナイアガラフォールは雄大ですばらしかった。特に夜はイルミネーションで照らされた幻想的な滝が暗闇に浮き上がっていた。ここではUSA−MOTELという宿に入った。ダブルベッドが二つ、TVと大きなバス付きで、いままで泊まって来た宿の中では最高だ。それも一泊たったの$17.30だった。二人で一部屋借りてシェアーした。ここはアメリカの新婚旅行者が多いところで有名だ。以前、テレビで見たマリリン・モンロー主演のナイアガラという映画を思い出した。

10/12(月)晴れ バッファロー

ナイアガラフォールを昼頃に出て、バッファローへ戻ってきた。ここから夜7時発のボストン行きのバスに乗ることにした。日曜の昼下がり、バッファローのダウンタウンは人影が少なくゴーストタウンみたいだ。実際はかなり大きな都市であろうが、通りも汚らしく閉まっている店が多かった。ここで堀さんと別れた。彼は別れた相棒の片さんと合流するため、先に出発した。

一人でターミナルの外へ出てみると、近くにあったマイクの店というサンドイッチ屋へ入った。サブマリーンと呼ばれているハムサンドとコーラを買って、誰もいない小さな公園のベンチで食べた。安くて美味しくてボリュームがあった。食べながら日本へ帰ったらアメリカによくある軽食堂(スナック)でもやろうかと考える。

10/13(火) 晴れ ボストン

早朝、5時半にボストンへ着く、7時になってバスターミナルから町へ出たがとても寒かった。ボストンの町並みは今まで見てきたアメリカの都市とは違い、ヨーロッパ的で古い建物が多く、とても情緒のある街並みだった。もちろん日本の伝統的な古い建物と比べると物足りない。つい何でも日本と比較してしまう。

ボストン市街の無料の地図をもらおうとしてツーリスト・インフォメーションを探したが見つからなかった。あきらめて小さな売店で売っていた地図を1.50ドルで買った。紙質は良かったが、見終わってから高い気がしたので、近くを歩いていた観光客風の若いアメリカ人の夫婦に1ドルで買ってもらった。最初はどのように言って良いか分からず、なかなかこっちの意思が伝わらなかったが、目的を達した後一人になってから大笑いした。多分、彼らは地図を買う必要がなかったのかもしれない。単に同情心で買ってくれたのかも知れないと思った。

地図を売る前に場所を確認しておいたボストン美術館は休館だった。結構歩き回ってようやく見つけたのでとても残念だった。ガッカリしたとたんに一気に体の疲れを覚えた。しかし、バスステーションへの帰り道の大通りで、米国独立200年記念祭?のパレードを偶然見物することができた。

疲れも忘れてパレードに夢中になり、一緒に移動しながら写真を何枚も撮った。気がついたときは自分の居る場所がどこか分からなくなってしまった。周辺を見ると漢字の表示が多い、どうやらチャイナタウンの一角に入ってしまったようだ。歩いていた中国系の人に聞いてようやくバスターミナルへ戻る事ができた。後で調べると、コロンブス記念日のパレードであった。なお、今年は米国が独立して200年になる。

                      

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