10/21(火) 晴れ ニューオリンズ
バスターミナルから旧市街に向かって歩いた。途中YMCAを見つけ泊まろうかと思ったが、あまり見るものが無さそうな感じがしたのでサンアントニオまで行くことにした。旅行資金もなるべく残すようにしたかった。
夕方のバスの時間まで観光することにした。ミシシッピー川の桟橋には以外と大きな船が接岸されていたが、川幅は思っていたよりも小さかった。外輪船のリバーボートが観光用に運航されていたが、乗らずに見るだけにした。ニューオリンズの旧市街の街並みはバルコニーが付いている木製の建物が多い。フランスの旧植民地である事から雰囲気がとても良い。イギリス風のボストンの街並みとかなり趣が違うのは、気候だけでなくイギリスとフランスの文化の違いである。
旧市街にはブティックとかアンティークの店が多く、アンティークの店の壁には南北戦争時代のサーベルや銃器などがビッシリ並べてあった。一軒の店で一本のサーベルを触らしてもらった。アンティークではないが形の良いナイフを見つけ欲しくなった。価格をみたらちょっと高かったので、物価の安いメキシコへ行ったらナイフを探して一本買うことにする。コレクションなどはしないが、何故かナイフの造形美に惹かれる。
昼飯は川に面したショッピングモール内で、日本人のやっている軽食屋で食べた。焼き飯とチリホットドックにミルク。このチリ(煮豆)をよくアメリカ人は食べるが、塩味のチリはうまくない。そうだこの料理は、昔、テレビや映画の西部劇でカウボーイが食べていたヤツだ。テレビの画面では美味しそうに見えたのにこんなに不味かったのだ。なんかがっかりした。焼き飯は、米自体はまずかったが味付けはなかなかよかった。
10/22 水 曇り サンアントニオ
昨日のバスの中で日本人の女性と話をした。もう1年も学生ビザで滞在しているそうだが、実際には学校には行かないでバイトに専念しているそうだ。自分との会話が終わり、彼女の隣に座っているアメリカ人と会話をし始めた。アメリカ人の様なジェスチャーをしながら話している様子は、確かにかなり英語が出来るようであった。私こんなに英会話ができるのよと、自慢している様に見えたのは、僕の僻みかもしれない。
早朝、テキサスのサンアントニオのバスステーションに着いた。いつものようにリュックをロッカーに保管して、貴重品とカメラやノート、地図帳を入れたアーミーザックだけ肩に掛けた。あまり期待していなかったのだが、ターミナルの外に出てみると街の景観がとてもすばらしい所だった。近くにはジョンウェイン主演の映画で有名になったアラモ砦の跡があった。そして街の中を道路から4〜5m低い、環状に通っている運河がある。これが実に良い雰囲気だ。時折、観光客を乗せたボートがゆったりと通って行く。
アラモ砦の入口
運河の周りは広い遊歩道になっており、洒落たレストランやコーヒーショップが並んで、とても情緒がある。デートコースにもってこいの場所だ。観光客だけでなく、ダウンタウンで働く地元の人達の憩いの場所にもなっているようだ。普通のアメリカの街は必要以上に道路が広く、機能的に整備されているが面白みに欠ける。ここはメキシコ系の人達が多く住んでいる。洗練されたスペインのコロニアル風の街並みがとても洒落ていた。ここでバスを降りて正解だった。すごく得した気分になった。
運河脇の遊歩道
今日のランチは運河に面したメキシコ料理屋へ入る。テラス席のテーブルでタコスを食べてみた。タバスコみたいな赤いソースをかけて食べたが、唇が燃えるようにえらく辛かった。タコス2個にコーヒー付きで89セント、とても安かったが物足りず、他のレストランに入ることにした。ここでは1.52ドルのビーフチップスを薄味で煮た物とコーンの塩茹で、それにサラダが少しとジャガイモを丸めたような物、さらにトースト二枚とコーヒーが付いていた。うまかった。そして安かった。さすがにお腹が一杯になって満足した。
午後2時、食後に再び運河の周りを散歩する。運河よりも高い場所にある駐車場で、引締まった体をした一人のメキシコ人が縄跳びをしていた。彼に下から声をかけたら上がれと手招きされた。近づいてみるとKOREAN KARATEをしていると言われた。名前はジョー・サンチェスと言って、片言で話をしてみるとウマが合った。
彼の通っている近くの道場に連れて行かれ、道場のマスターに紹介された。そして他の生徒達と一緒に練習をさせてもらった。彼らの動きは空手とはまるで違っていた。映画のブルース・リーのような軽快な動き、そして素早い蹴りに特徴があった。韓国のテッコンドーではなく、北朝鮮系の武術だと言っていた。
日本の空手のように腰を入れた蹴りではなく、ボクシングのように軽く跳ねながらサッと蹴りをだし、すばやく元の姿勢にもどる。まるでボクシングのジャブのようだ。段々と要領が分かってくると、彼らと同じようにスピードのついたシャープな蹴りを出せるようになってきた。
ひとりの生徒と自由組み手を行なった。組み手はどうしても今までやってきた空手のスタイルになってしまうが、生徒を圧倒することができた。マスターとも組み手をやった。彼に対しても負けず劣らず遜色のない動きをしたことから、生徒達から驚嘆の目が向けられた。ちょっと鼻が高かった。
久々の空手の練習でひと汗かいた後、マスターがクラブのワッペンをくれた。僕もお礼に、メキシコ人のジョー・サンチェスには紙の財布をあげ、黒人のマスターには小さなコケシのキーホルダーをあげた。こんなこともあってサンアントニオがとても好きになった。マスターがまた遊びにおいでと言って道場の住所をくれた。
10/23 木 快晴のち曇り アルバカーキ
ラスベガス行きのバスではハワイ生まれの日系のおじいさんが隣に座った。ラスベガスまで一緒になったので日本語でずっと話をすることができた。途中のレストランで昼飯をごちそうになった。お礼にコケシのキーホルダーをあげた。もうこれで誰かにあげるつもりで日本から持ってきたお土産のコケシが無くなった。
それにしてもバスが走っている道路の周りは平坦で山影もなく、ズーッと先のほうまで見える一本道だ。さすがにアメリカ大陸だ。牧場だろうか、広大な土地を所々鉄条網で仕切ってあった。鉄条網を張り巡らせるだけでも手間が相当掛かり、相当高額になるのだろうなと、思った。
バスのラジオからアメリカで流行っているジョン・デンバーのカントリーロードが聞こえてくる。この景色にピッタリの軽快な曲だが、家などどこにも見えない。だけど、こんな広大な土地なのに必ず持ち主がいる。なにか不思議な感じがした。地球上にオーナーの居ない土地はもう無いのかも知れない。
バスの休憩所の前
アルバカーキに夕方着いた。久々に安いホテルを見つけることができた。バスステーションの近くのエルジンホテルという。1階はレストランで、脇の階段を登ると2階にホテルのレセプションがあった。一泊5.90ドルで安いけれど、今迄で一番古くて程度が悪い。廊下も昼間なのに薄暗くて不気味な感じがした。部屋にはすでに暖房が入っていた。しかしニューヨークで泊まったホテルよりは広い部屋だ。ニューヨークの部屋は小さくてボロかった。
ここのホテルでは面白いことに部屋の鍵はくれず、部屋に戻るときはレセプションに居たヨボヨボしたジイさんが、その都度カウンターから出てきてドアを開けるのだ。その夜の夢でこのジイさんが部屋に入ってきた。寝ている自分の顔をベッドの上からシゲシゲと眺められた。夢の中の僕は声も出せず、金縛りにあったようだった。
朝、目が覚めると鮮明に覚えていた。あれはもしかしたら夢ではなく、本当に金縛りになったのかもしれない。ジイさんでは無くて幽霊だったのではないかと思った。朝なのにゾーッとして鳥肌がたった。幽霊が出ても可笑しくない雰囲気の古い宿だった。
10/24 金 晴れ フラッグスタッフ
朝、7時に部屋を出てホテルの下にあるレストランで朝食をとった。ここはホテルとは異なり明るい雰囲気が気に入った。メニューはコーヒーが20セント、目玉焼き1ドル、フレンチフライとトーストが90セント、そしてパンケーキが2個で60セント、お腹が空いていたので沢山オーダーした。税金を含めて1ドル82セントだった。さすがに腹が一杯になった。そしてとても安かった。
このレストランは明るくてすごく健康的な感じがする。ウエイトレスのおばちゃんも愛想が良いし、入りやすくて居心地がよいところだった。一般にアメリカのカフェテリアや小さなレストランは、小綺麗で気取りが無くて入り易いところが多い。どこもメニューはブレックファースト、ランチとディナーに分かれている。朝食は11時頃までしかオーダーできない。他にサンドイッチとドリンクが別のページに書かれている。
目的地のフラッグスタッフには昼の1時に着いた。小さな町だがグランドキャニオンの玄関口として、また交通の要衝の地らしくモーテルが多かった。バスターミナルの近くで一泊7.8ドルのモーテルに泊まることにした。とても清潔で広い部屋だった。キッチンもテレビも付いていた。安くて良い部屋に泊まると、とても得した気持ちになり疲れもとれる。