C7. アルゼンチン海水魚養殖案件(3)

車探し2

車を選ぶのに散々迷ったが、とうとう四駆にすることに決めた。日本名はスズキのエスクード、こっちではシボレーのヴィタラというヤツだ。2リッターガソリンエンジン、DOHC で気筒あたり4バルブ、マルタの為にオートマ仕様を買うことにした。そして四駆の方が視界も良く運転しやすいのだ。色は下がシルバーで上がワインレッドの洒落た色合いだ。しかしフル装備だが3万ドルもする。

だいたい日本車はドイツ車と比べても一般的に故障が少なく、出来の良い車が多いので安心して乗ってられる。じゃあなんでスズキなのか。 本当は日産テラノこっち名ではPATHFINDER が欲しかったんだ。しかしここでは4万ドル以上もする。もしかしたら1年2年で帰国する事もあり得るし、何年滞在するか未定なので売るときのことを考えるとちょっと手が出ない。

ドミニカの時はテラノを私の専用業務車両として使っていた。すごく扱いやすくて安全で、乗り比べては無いけどトヨタのサーフやランクルよりもきっと良いと思った。ヴィタラに決める前に一応トヨタのディーラーにも顔を出したところ、カローラの1.8リッターガソリンオートマ車があった。いいなと思ったが、ブラジル製だと言うのが気に入らなかった。エンジンのヘッドカバーにトヨタのロゴも入っていないのが、よけいに胡散臭くて気になった。

同じ店にRUV4が一台置いてあった。これは日本からの輸入車で非常によく見えた。しかしこの車のヘッドカバーにもロゴがなかった。何故ないのだろう。トヨタはコスト削減とか言ってこんなとこまでケチったのか。そうだとしたらユーザーの繊細な感情をわからないトヨタはセコくてトロイ。

トヨタは5%なんかといわず、ヤマハと本格的な資本提携をして経営権を握り、ヤマハブランドの販売店を作って、ライトやミドルクラスのスポーツカーそれにGTセダンというラインナップで売り出せばいいんだ。ベースはトヨタ製でも外観とエンジンはヤマハで決めて、トヨタが苦手とする若者や、若いと思っている中年をターゲットにしたマーケティングにしたら面白いぞ。そうなればヤマハの株価も上がってこっちも面白くなるのにな。

話が横道にそれたが、RUV4の値段を聞いて驚いた。なんと4万ドルもするのだ。トヨタはここで殿様商売をしているのかもしれない。しかしセールスマンは99年モデルなので1万ドル割引くと言うではないか。非常に興味があるが、なんか変だぞ。カタログをもらってヴィタラと比べ、何回か実車を見比べに行って来た。

詳細にRAV4を見たところ、電動ルーフが壊れて開かないではないか。車体もやたらと埃っぽい。田舎の展示会に持っていったそうだ。内心は大きくRUV4に傾いていたのに、百年の恋もサッと一瞬のうちにさめてしまった。アバタがアバタに見えたらもうお終い。内装も安っぽいし、フレームの無い四駆なんてラフをガンガン走ればすぐドアが閉まらなくなる。それに引き替えヴィタラはフレームがしっかりして頼もしい。てなことで以前スズキの株で儲けさしてもらった利益を還元することにした。

後日インターネットで自動車関連のニュースを見たらRUV4がモデルチェンジしたということだ。買わなくて良かった。だからきっと1万ドル引くと言っていたんだ。ここの政府はメルコスル域内の自動車産業振興とかで、新車の販売時に中古車の下取りをするそうだ。その分割引になると言うので、古い車のないヤツはどうするんだと聞いたら。ディーラーがどこかで買い取ってきたボロ車を割り当ててくれるそうだ。しかし政府のやり方はどこも似ていてトロイ。

車探しとは別な話だが、住宅街を走っているとたまにとんでもないクラシックカー、博物館で見るようなのが路上に駐車してある。レストアされてないが、結構程度がよいのに驚く。金と暇があれば、ああいうのを手に入れて綺麗にレストアして乗れたら気持ちよさそうだ。まだまだ田舎にいけばかなり面白いモデルがありそうだ。実は私もコロンビアの友達の家にクラシックバイクを一台預かってもらっている。BMW 単気筒250cc の54年モデルだ。ボロいがいつかピカピカにして乗り回してみたい。気持ちいいだろうな。

アサードパーティー

思い出したことを書くので話が前後してしまうが、2月26日に満45歳の誕生日を迎えた。娘の誕生日が17日なので、コロンビアでもドミニカでも、いつもは彼女の誕生日に合わせて一緒に誕生パーティーをした。子供達ばかりでなく、普段仲の良い連中に集まってもらってワイワイ楽しい一時を過ごすのが常だ。しかし、今回は着任したばかりの土地である。ちょっとこぎれいなレストランでも行って、「少年老いて学もなく・・」という心境を一人寂しくワインでも飲みながら過ごす誕生日になるのだろうと思っていた。

しかしカウンターパートの一人であるガブリエルが発起人になって、彼の奥さんの実家で誕生日を祝ってくれることになった。素直にうれしく感じたが、心の隅にちょっとだけアンドレアの実家に迷惑をかけるなという思いもした。しかしこういう機会を利用してアルゼンチン側のスタッフと、スペイン語があまり通じない日本人専門家との親睦会になれば良いと思う。

ガブリエルは結構気を使うヤツで、いわゆる研究者肌の人間ではない。年は確か37,8まだ40前のはずだ。どちらかといえば政治的な判断ができるヤツだ。顔つきをよく見ると、どことなく若い頃の勝新太郎に似ている。目がクリッとして大きく愛嬌のある憎めない顔だ。奥さんのアンドレアも同じ職場で働いている研究者だ。ちょっときつそうな顔をした美人だが、話してみると結構冗談がつうじる明るい人だ。

着任早々、養殖部門で働いている同僚と私達、総勢10名を集めて、彼らの自宅で私たちの歓迎会を開いてくれたこともある。アサードとは当国の人口よりも牛が多い、牛肉の本場アルゼンチンの焼き肉のことだ。どこの家にも中庭やガレージの隅に必ずアサードをする煉瓦作りの暖炉のような大きなカマドがある。堅い木を燃やし炭火のように熾きになったところで肉を焼く。

はじめに腸詰めと呼ぶにふさわしい太いソーセージがジュージュー焼かれ、適当なサイズに切られて出てくる。次にモルシージャという黒っぽい血入りの腸詰めが必ず出てくる。コロンビアのヤツはここのと違い、肉だけでなくご飯も詰まっているが、どちらにしろこいつは大嫌いだ。すすめられると私の宗教上の問題で食べられませんと答えることにしている。

アサードはちょうど小さなまな板のような木製の皿によそって食べる。ナイフも焼き肉専用で良く切れる。もちろんTINTO と呼ぶ赤ワインをガブ飲みしながら食べていく。牛肉でもいろいろな部位をドンと焼いて食べる豪快な男らしい料理だ。最初はうまいうまいと肉汁のしたたる焼き肉を頬張るが、次から次に出てくるのですぐ腹がいっぱいになってしまう。しかし連中は感心するほどよく食べる。

ここの国の夕食は遅い、9時を過ぎてから食べ始める。レストランもほとんどの店が9時から開店する。だからアサードが終わるのは決まって12時を過ぎてしまう。慣れない日本人にはちょっとつらいところがある。

日本人の同僚やガブリエルから誕生日のプレゼントをもらう。ガブリエルからはアサードの肉を切る専用のナイフをもらう。アルゼンチンの牧童ガウチョが使うヤツで良く切れる。鹿の角と木でできた柄で皮のサックに入っている。なかなか洒落ている。これで縁を切らないようにと、おまじないにナイフをくれた人に対して5センターボをあげるのだそうだ。日本人の仲間からは真鍮でできた栓抜きやペーパーナイフをもらう。ありがたい。

食事の後にアンドレアが作ってくれたケーキにローソクを立て、クリスマスで使うようなトンガリ帽子をかぶり記念撮影をした。ハッピーバースデイトゥーユーの歌声とともに火を吹き消すとき、お願いを念じろと囃されたので、心の中でこっちの連中が冗談半分で乾杯の時などに言う言葉。「健康にお金に愛情」と唱えながら一気にローソクの火を吹き消した。

ワインのここち良い酔いも手伝って、コロンビアで覚えた十八番のジョークを二、三軽く語ってみたが期待したほど受けない。品がよいのかすましているのか、どっちにしてもジョークに対するレスポンスの悪い連中ではないか。おまけにサルサやメレンゲのダンス音楽がかかっても誰も踊ろうとしない。さすがに南米は広い。その点はコロンビアやドミニカはおおらかでノリがよかったな。とはいえ彼らのおかげで楽しい誕生日を過ごすことができた。アンドレアの両親も気さくな人達で、後から皆と一緒に楽しく過ごしたと聞いてうれしかった。

ビザは出るのか出ないのか?1

さて私の所属している某財団法人は民間団体ということで、今回は民間パスポートでこのプロジェクトに派遣されている。いままでは協力事業団に出向という形で派遣され、常に公用パスポートにオフィシャルのビザ付きであった。それが当たり前になっていて、ほとんど気にもしていなかったのだが、今回は公用パスポートの偉大さが嫌と言うほど身にしみた。

前農牧水産食料庁長官はタイとヒラメの養殖技術協力に関する覚書きが作成されたにも関わらず、なかなかサインをしようとしなかった。その本意はわからないが、去年の秋に大統領選挙が終わると同時に新政権が正式に誕生する12月まですべての公的文書にサインしてはならないと通達があったらしい。または日本漁船がアルゼンチン沿岸で行うイカ釣りのための漁業協定交渉をバックアップするアメ玉としては、本案件は小さすぎると思っていたのかも知れない。

日本側はサインをするすると言う現地の言葉を信じたがために夏からズルズルと晩秋の頃まで専門家派遣を待たされてしまった。しかしさすがに年内には決着がつくものと誰しも楽観していたが、昨年の12月に政権が代わり、大方の予想を裏切って長官はサインをせずにさっさと退官してしまった。

新任の長官や新しい漁業関連の責任者達に今までの事情がわかるはずがなく、いつサインするのか、い
や最初から協議のやり直しなどが起こる恐れも多分にあった。とうとうしびれを切らした財団では早期解決のため暮れも押し詰まった頃、技術協力部長を初夏のさわやかなブエノスアイレスに派遣した。

部長と新長官の差しでの話し合いが行われ、きっと相手は心の中で「よくわからんが、援助してくれるのであれば何でもイイヤ、よーし」というつもりで、覚書きにサインをしたのではないか。その覚書きが財団に届くや否や、自宅で待機中だった専門家3人が呼びだされ、新年の門松気分がとれないままに4日から研修が行われ、10日には日本を出発する事になった。

しかし滞在ビザはどうするのだ。普通は事前に日本で取る物だろう。東京のアルゼンチン大使館領事部では公用旅券以外、一般旅券では技術協力専門家という外交特権のあるビザは出せぬと言うではないか。当たり前の話だ。いくら長官お墨付きの文書を見せても本国の外務省から何の指示も無ければダメである。労働ビザまたは永住ビザを申請するのであれば、かくかくしかじかの書類を揃えてこい、そうしたら本国に照会すると言われてしまった。

「冗談じゃないそんな閑あるか、今からそんな手続きをしていたらプロジェクトの開始はいつになるんだ。だいたいからして覚書きにビザを出す、協力事業団の専門家みたいに特権も与えると書いてあるじゃんか。」と言ってもラチがあかない。

さてどうするかこれ以上時間を掛けているとプロジェクトの契約期間が短くなってしまうし、財団としても計上してある予算が消化できなくなる。財団の担当者はブエノスアイレス在住30年以上の、例の赤い靴下の紳士、漁業情報レポーターK 氏に相談してみた。氏曰く「かまわないから来てしまいなさい。ビザなんぞ現地でどうにでもなるから。」担当者もこれを受けて軽く、「・・と言うことでビザは現地調達です。体に気をつけて頑張ってください。」だって。

こんな簡単で良いのだろうか。財団はいつもこんな調子で専門家を各国に派遣しているのか、日本の組織じゃ無いみたいだ、と内心非常に驚く。たいがいの人はこういう状況で怒り出すかも知れない。しかし私は良い意味で驚いた。このようにフレキシブルに対応できる組織が今の日本にいくつあるだろうか。良く言えば機に臨んで変に応ず、悪く言えばいい加減なところ、が私は好きだ。だからきっと私如きも所属していられるのかも知れない。

つづきます。

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