後日談:
V6エンジンのトラブルもすっかり収まり、首都ボゴタの支店へ1週間の予定で出張に出た。ボゴタ支店は社長の妹が支店長をしていた。何度かメデジンで顔を合わせた事があった。修理工場の規模は小さいものの、修理工場長を含め4人が勤務していた。直ぐに彼らと親しくなり色々な話をすると、仕事上の課題が浮き彫りになってきた。以前からほとんど彼らへの技術指導が行われて来なかったようで、彼等のスキルを上げることに注力をする必要があった。先ずは次回のサービスキャンペーンに、ボゴタからもメカニックを参加させ、現場での経験を積ませる事にした。
ボゴタ出張も残り3日になった時、社長から電話があった。日本へ一緒に出張する事が決まったので、直ぐメデジンに戻って支度をしろという話だった。突然なので驚いたが、8年ぶりの日本なので心が弾んだ。メデジンに戻ると社長から10日後に日本へ向かうので、船外機の各モデルの故障に関する資料を整理しろと言われた。
日本へ向かう1週間前、コロンビアの2月に行われるバレンタインデー「愛と友情の日」の社内パーティ中に社長室に呼ばれた。そこには社長や彼の弟や妹達の会社の幹部もいて、日本行きへの支度が済んだか聞かれた。もうほとんど準備は終わったと言うと、日本へ私の妻と3才の息子も会社で招待するから日本へ連れて行けと言われた。このサプライズプレゼントに驚いた。日本の会社ではあり得ないと思った。
成田着
8年ぶりの私の帰国に、わざわざ友人からワンボックスカーを借りて、成田空港で両親と兄が出迎えてくれた。私が妻と子供を連れてきたので両親が喜び、そして空港で涙の再開となった。実家に着くと嫁いだ姉も待っていた。3日後、妻と息子を実家に預けて、東京のホテルで社長と合流して、郊外にあるチェーンソーのメーカーに出向いた。工場内を案内してもらい、お決まりの挨拶と簡単な会議をするだけで特に重要な議題は無かった。
翌日、東京で一泊してから静岡へ移動した。船外機メーカーの営業技術部や部品課と会議を行った。夜は船外機事業部の部長やら海外営業部の部長らと会食した。翌日、本社から少し離れた船外機製造工場に出向いた。製造ラインを見学させてもらった後、会議室で船外機のモデル毎に起きた故障や不具合について説明し、質疑応答をすることになった。
営業技術の担当者に案内されて社長と私が広い会議室に入ると、すでに会議テーブルの壁側には15人近い設計担当者が横一列に並んで座っていた。船外機の設計部長や工場長も右側の上座?に座っていた。工場長の挨拶と社長の答礼、そして簡単に出席者の自己紹介が済んでから。私から船外機の各モデルで起きた故障の内容について、ラインナップに従って順次説明した。各モデルの設計担当者からの意見や技術的な解説などを聞いた。社長には私が通訳をしながら、質疑応答形式で会議がスムーズに進んで行った。
ラインナップの最後、V6エンジンについてカルタヘナで起きた異常燃焼による故障について詳細に説明し、「同じような故障がカリブ海を初めアメリカや中南米、アジアの市場でも少なからず起きているのではないでしょうか?」と、聞いた。すると設計担当者の反応は興味なさそうに、そしてそっけなく「そのような報告は他の国から受けていません。」と言った。
彼は、コロンビアで異常燃焼が起きたのなら、「原因はそちらのオクタン価の低いガソリンか、または2サイクルオイルの性状によるものでは?」と、言いだした。続けて「かなり前に一度、コロンビアのガソリンとオイルをサンプルに送ってもらったことがあるけど、また送ってもらう必要があるね。」と、他の設計者達に同意を求めた。その人はのらりくらりと話し、まともな議論をしたくないという気持ちが伝わってきた。
当時の船外機用2サイクルオイルの質は、使用されている添加剤に左右されていると言っても過言ではなかった。勿論、空冷用と水冷用では全く異なる添加剤が使用されていた。故障した船外機に使用されていたオイルは、私が勤めていた会社で販売していたもので、世界的にトップシェアに君臨していたアメリカ製の添加剤を購入し、コロンビアのシェル石油に製造委託をしていたものだ。アメリカのオイルメーカーや添加剤メーカーからも、船外機用2サイクルオイルとして品質証明を受けたオイルであった。

T C-W3、水冷2サイクルエンジンオイル承認ロゴ
内心、設計担当者の話し方にイライラしながら、何とか顔に出さないようにコロンビアで起きた故障について出来るだけ詳細に説明した。同じガソリンやオイルを使用しているV4以下のモデルには全く問題が出ない事、そしてV6/150馬力にも問題が起きていない事、また地方の河川で和船型のボートで、レギュラーガソリンが使用されているV6/175馬力にも問題が起きていない事から、ガソリンやオイルが原因となっている可能性はとても低いと反論した。
すると、設計担当者は「コロンビアでV6エンジンは、今まで何台販売されたのですか?」と、聞いてきた。私は即座に3年間で54台と返事をすると、直ぐに「そのうちの何台が壊れたのですか?」。私は、「保証期間中に無償修理を行なったのは8台です。」と答えた。すると、さも驚いたように、「たったのそれだけですか?」、「アメリカの様に大市場で問題が出ているならともかく、コロンビアの販売台数の規模がそんなにも小さいのでは、話になりませんね。」と、言われた。
この話を聞いた瞬間、私の脳内でデトネーションが起きた。会議室のテーブルを右手の鉄槌で、力任せに叩いた。そして大声で怒鳴ってしまった。「そんな話を聞きにコロンビアから来たんじゃない。ましてや観光や故郷に帰省した訳でも無い。」「世界であなたが船外機について一番良く知っている人かもしれない。」「そりゃあ、あなたから見たら、私なんか何にも知っちゃいません。ですが、誰が船外機を評価するんですか?」「勿論、あなたじゃない。メーカーの社長でも、輸入代理店の社長でもないですよね。 評価はお客がするんでしょう。その客達がこの船外機は買いたくないと言っているんだ。」「お宅の会社から、大きな馬力の船外機が出てくるたびに、買い換えてきた大事な客達ですよ。」「あなた方にはちっぽけな販売台数だろうが、現地の販売店には、少ないからでは済まされません。」「ましてやお客にそんな事、絶対に言えません。」「こんな話しか出来ない会議なら、これ以上話す気になれないので帰ります。」と、一気に捲し立てた。
横に座っていた社長が突然の私の剣幕に驚いて、「なんだ、どうしたんだ?」と、聞いてきた。彼に「話にならないからもう帰ろう。出てから詳しく説明するから・・」と言って、挨拶もせずに会議室から退出した。一緒に来た営業技術の担当者も退室して来た。彼が帰りの車内で「あーっ、気持ちの良い啖呵だった。彼等設計者はプライドが高くて、いつも怒られてばっかりいますから、良く言ってくれました。本当にすっきりした。」内心、彼の言葉に不思議な気持ちになった。大きな会社で違う部署で働いているから、他人事でいられるのかも知れない、と思った。
荷物を置いてある本社の小さな会議室に戻り、社長に事の経緯をなるべく詳細に説明した。社長に黙って私の話を聞いてもらっていた時、会議室の電話が鳴った。営業技術の担当者が電話で何か話し、一旦受話器を切った。工場からの電話で、明日の朝、会議をやり直そうと言って来ているそうだ。私は即座に断った。もう話す気にはなれないので予定通りこれから東京へ戻り、明後日にコロンビアに戻ると言った。すると、担当者は「プライドの高い彼等が会議をやり直そうと言ってくるのは、普通ではありえない事です。こんな事は初めてですから、ぜひ明日戻りましょう。」と言い出した。
彼が英語で直接社長に電話の内容と、彼の意見も一緒に伝えた。すると社長は即決し、私に向かって「明日の会議にお前だけ出席しろ」と言い出した。社長は予定通りの日程で、中国とイタリアのメーカーを周ってから帰国すると言った。そして、私に「明後日、コロンビアに戻らなくても良い、1週間、家族と一緒に遊んで行け、少しくらい遅くなってもいいが、絶対コロンビアに戻れよな」と、最後にジョークを言われた。それを聞いて何か嬉しくなった。
翌日の朝、昨日の会議室に戻った。工場長はいなかったが、昨日と同じメンバーが揃っていた。私はまだ内心面白くなかったので、不愉快な顔で挨拶した。すると、直ぐに年配の設計の部長から昨日は済まなかったと謝られた。「貴方が言っていたことは正しかったのです。」まさかこんなに素直に謝られるとは思ってもいなかったので、肩透かしを食った。そこで、私も自分のとった態度を詫びることにして、仲直りをした。
昨日、話せなかったボートの船型やカリブの海況についてなどの説明を行った。そして、すでに最新のV6エンジンの1番と2番の圧縮圧力が下がっていることに気がついたことを付け足した。これについてメーカーから何も情報が無かったが、メーカーも私が行った同じ対策をすでにしていたのだ。実はコロンビアを出発する前に、日本から着いたばかりのV6エンジンの圧縮圧力を念の為に測ってきたのだ。だから、すっ惚けた対応にブチ切れたのだ。
メーカーに無償修理代を申請する時は、故障の内容とその原因について報告をする。それは輸入販売店からメーカーに対して一方通行の情報でしかなかった。他の国や地域で異常燃焼によるトラブルが起きた時に、コロンビアにおける注意喚起と、情報収集について依頼があったのなら、もっと早く原因究明に繋がったように思えた。今回のV6の異常燃焼の原因を究明するのに1年以上も時間がかかってしまったのだ。この日は私の意見を真摯に受け止めてもらえたようだった。
これで会議も終わる雰囲気になったが、私の方からV6エンジンのシリンダースリーブが、クランク軸に対して芯が狂っている件を話した。私は故障やクレームが起きて見つかった訳ではなく、シリンダースリーブをボーリングして見つかったことを説明した。オーバーサイズのピストンを入れるため、シリンダースリーブをボーリング加工すると、シリンダーの肉厚の一部が非常に薄くなってしまい、使用中になんらかの不具合が起きる懸念があると言った。製造加工時のミスが原因の可能性が高いと言うと、技術者達が騒然となった。設計部長から「流石にそれは有り得ない。」という返事が帰ってきた。
また議論に発展しそうになったので、工場でエンジンブロックの製造加工中のシリンダーを確認すれば一目瞭然と言う私の言葉で、部長や課長、数人の技術者と一緒に製造現場へ行った。生産管理をしていた責任者も来て、加工が終了したばかりのエンジンブロックを裏返して、シリンダースリーブの肉厚を確認してみた。目視でも厚さが異なっていることが分かった。流石にそれを見た技術者全員が言葉を失い、顔色が真っ青になってしまった。
会議室に戻り、今日はきちんと挨拶して帰ろうと思っていると、部長が私に、どこの工学部出身か聞いてきた。私は大学には行っていないと答えると、それではどこの工業高校の出身かと聞き直してきた。それに対して、「商業高校でした。」と伝えると、部長以下技術者達が絶句した。
一人の技術者に、エンジンやボートに関する知識はどこで習得したのか問われた。私のエンジンに対する基礎知識は横浜にある国立の職業訓練校で自動車整備を習い、その後故郷でオートバイ整備に転向して得た修理技術がベースとなっている。船外機やボートの知識は、コロンビアの販売店での経験と、親しくなったメーカーの技術者から送ってもらった工学書から得た。そして、色々な故障の原因を調査し、究明している間に培われたスキルだと答えた。それを聞くと他の技術者達も全員が唸った。部長が、「ウチの営業技術部の連中以上に詳しい。」と、誉めてくれた言葉が嬉しかった。
最後にキチンと挨拶をして、ようやく気持ち良く妻と息子が待っている実家に戻ることができた。
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