A.20才の秋、旅に出た。

A14. アルゼンチン入国

アルゼンチン入国、分厚くて柔らかいステーキと赤ワインが1ドルもしない。貧乏旅行者にとっては天国だ。パンパの大平原を列車で横断し、ワインで有名な麗しの地メンドーサへ到着。スペイン語学習のため一月滞在した。色々な出会いと交流。楽しい日々を過ごした。
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A13. ペルーとボリビアの国境

海抜約3800mにあるチチカカ湖、湖上にある葦で出来た小さな浮島へ渡り、インディオの数家族が住んでいる様子を見学させてもらう。トラックをヒッチして国境の町へ、その晩ピスコを飲んで泥酔した。翌日、二日酔いで乗ったラパス行きのバスで酷い目にあう。
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A12. クスコ、マチュピチュ

クスコに7人の日本人が集まった。皆でマチュピチュ駅の手前、アグアスカリエンテ駅に泊まる。夜、雨の中山中の温泉に入り、早朝にマチュピチュへ行き、誰もいない遺跡で物想いに耽った。ポンチョ盗難の嫌疑を掛けられたブチさんが、留置場に入れられてしまった。
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A11. 1976年 元旦

元日に無人の国境を越えた。キト旧市街で教会でインディオのおばちゃんから嗜められた。ペルー入国時、偽札ドルの見分け方を教わった。ペルーでは闇ドル規制が厳しく、入出国時に管理されていた。チチカカ湖ルートでボリビアに出国すれば、ドル検査が行われない。
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A10. メデジン長期滞在記

メデジンで長期滞在し、皆でスペイン語を習うことにした。世界で二番目の巨大な岩を見に行った。僕だけ体調が悪くなり、病院に行くと即入院。多くの見舞客が部屋に来た。その中に父親も入院中の明るい女子大生が見舞いに来た。退院後、彼女の家に遊びに行った。
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A9. 南米編 

空路パナマからメデジンに到着、すんなり入国できた。世界屈指の治安が悪く、泥棒や強盗、殺人が多い。反政府共産主義のゲリラも出る。メデジンは海抜1500mの谷間にある常春の地だ。若い女性に美人が多い。愛想が良く、好奇心の旺盛な人が多い街だった。
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A8. 中米5カ国

グアテマラで知り合ったケンちゃんに同行する。エルサルバドルで出会った日本人旅行者達も加わり、中米5カ国をバスと列車で通過した。山地の涼しいところから海辺の街に移動していくと、気候や景色、人種も変わっていく。ヤバいポリスや親切なポリスにも出会った。
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A7. メキシコ編 

リオグランデの国境を渡ってメキシコの旅が始まった。アステカやマヤの遺跡を訪れた。メキシコ人の学生達と、ユカタン半島の先端にあるイスラムヘーレスという小島に泊まる。グアテマラとの国境に近い、山中のサンクリストバル・デ・ラスカサスに到着。
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A6.グランドキャニオン、ラスベガス、LA、エルパソ

壮大なグランドキャニオンは絶対再訪したい。ラスベガスのカジノで少しだけ遊んだ。遊ぶ予算を決めないと、負けるのが早いので要注意。ロスアンゼルスに戻り、日本食をご馳走になった。約1ヶ月をかけてアメリカを一周。メキシコとの国境の街、エルパソに到着。
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A5. ニューオリンズ/サンアントニオ/フラッグスタッフ

ニューオリンズで旧市街地を観光した。かなり雰囲気のある町並みだった。サンアントニオではアラモの砦、コロニアル風の情緒ある運河そしてメキシコ料理を味わった。地元の空手マンに誘われて道場で一緒に汗を流した。アルバカーキの古いホテルで金縛りにあった。