C. エクアドル海亀案件(4/5)

8 月24 日(木)

朝、帰宅する夜勤の門番に事情を聞くと、大家が麻薬関連容疑で拘束されたため、門番は給与の支払いもなく自動的に解雇されたと言っていた。事務所に着くと、土地の新聞ELDIARIOでは、すでに火曜日からキトの対麻薬警察によって麻薬資金洗浄容疑で捜査が開始され、拘束された大家の名、建物の写真と、名前や住所が記事に載っていた。

夕刻帰宅すると、対麻薬警察から地元警察に警備がかわっており、大型トラックが引っ越し荷物を積み込んでいた。警察官に部屋の番号を聞かれ、容疑者の所有していたマンション(建物の80%が拘束された大家の所有)は警察の管理下に置かれことから、私を含めた居住者は金曜日中に退出するように言われた。

そばにいた大家の奥さんから迷惑をかけてすまなかったと謝られた。彼女は拘束されなかったが夫名義の全資産も預金も凍結され、明日強制退去をさせられると言っていた。財団本部に電話にて状況説明をし、明日ホテルに入る旨を告げた。

この件について、地元のテレビや新聞では、コロンビア人を首班とする麻薬資金をマネーロンダリングする一味が、キト、グアヤキル、マンタで計11 人が拘束されたという報道があった。首班は去年ボゴタですでに拘束されており、米国に年末移送される予定。

8 月25 日(金)

夕べは遅くまで荷物の整理をした。台所の食品などを整理していたところ、棚の奥のほうから怪しげな白い粉が入ったジップロックの透明なビニール袋が見つかった。一瞬、コカインじゃないのかと思い、水洗便所で流そうかと思った。袋を開けて調べてみると、白い粉は片栗粉だった。電話でM君にこの話をするとお互いに大笑いした。

笑った後で、台所の隅に鍵がかかっている小さなドアがあり、何が入っているか分からない小部屋があるらしいと彼が言い出した。家の鍵はお手伝いさんも持っていて、週に三回掃除に来る。また、マンションを管理している大家の事務所にもマスターキーがある。日中、留守の部屋の中で何をされてもわからないので、鳥肌が立つほどゾッとした。

翌朝、契約スタッフのマヌエルが来て、引越しの手伝いをしてくれた。 M君が残していってくれた家財道具等をマヌエルの家に保管してもらった。衛星TV の解約とインターネットの解約も行い、午後4 時に引越しを終了し、海が見えるマンタの5 つ星のホテル・オロ・ベルデへ移動した。ホテルはハイシーズンで満室であったが、一部屋だけ残っていた。土日は満室だがなんとか部屋を確保してもらえるということであった。8 月30 日以降は空き部屋が増えるという話であった。

8 月26 日(土)

衛星TV の会社から賃貸マンションを所有している人を紹介してもらい、部屋を見に行った。マンションには駐車場が無いのであきらめた。途中、以前見に行った時は満室だったマンションに寄ったところ、1 軒入居可能なところが見つかり月曜に連絡してもらえることになった。

昼から事務所に出た。ホテルの部屋で仕事をしようとおもっていたが、部屋の掃除が来るので途中で方付けるのが面倒だ。部屋を換われと言われたり、万が一予約客で満室だから出て行ってくれとも言われかねないので、夕方5時頃まで事務所に居ることにした。アレックスが事務所に残っていたので、彼を誘って昼飯を食べに行った。なかなかのインテリで感じの良い奴だ。

財団本部に住居強制退去に関する顛末を新聞の記事と一緒に提出した。夕方ホテルに戻り、歩いてスーパーに買い物に行った。たかだか300m程度だがほとんど歩いている人が居ないので、強盗に会っても平気なように腕時計を外し、カードや身分証明書も部屋に置いていった。M君もこの近くで拳銃強盗にやられたので、注意するに越したことは無い。

スーパーではチリワインのハーフボトル1本、クラッカー、小さいツナ缶を3個、バジリコペーストの瓶詰(ALBACA)、アボカド1個、V8 ジュース小2缶にピタージャ2 個を買って18 ドルちょっとだった。部屋でワインを開け、ツナ缶とバジリコペーストをのせたクラッカーで夕食にした。体重が増えてきているのでダイエットをするつもりだ。

食後、24を見る。シリーズ4でついつい連続して見てしまう。久々のホテルの滞在はリラックスできて、よい気分転換になった。

8 月27 日(日)

朝7時20分に目が覚める。シャワーを浴びてから太平洋を一望できるレストランのテラスで朝食をとる。まだ早い時間なので僕以外に1 家族しかいない。いりタマゴにソーセージ1 本、小さなパンケーキ2枚、メロンジュース、カフェコンレチェ(カフェオレ)を食べる。一旦部屋に戻ってトイレに入り、歯を磨いてから部屋の掃除を頼み、海に面している中庭のプールサイドを通って砂浜に下りた。

港の防波堤に向かってゆっくり散歩する。久々の散歩だ。ゴムゾウリを手に持って波打ち際を歩くと予想以上に海水が冷たい。南極からチリ、ペルーを北上してくるフンボルト海流の影響だ。空はどんよりと曇っているが、海の色は淡い淡い透明感のあるグリーンできれいだ。ゴミもほとんどないので裸足で歩くのが気持ちよい。

普段、治安が悪いので出来るだけ歩いて外出しないようにしているため運動不足になる。だからいつも日本に帰るとよく歩くので、足に豆ができたり足腰が痛くなる。散歩した後に軽く柔軟体操をしていたら、広い砂浜をオートバイに乗った警官がパトロールしていた。やはり治安が悪いので観光客の多い砂浜をパトロールしているのであろう。

8 月28 日(月)

午前中に海際に建っているこじんまりしたマンションを見に行く。コンドーミニアムになっていて、24 時間ガードマンが常駐している。ここは以前、一回見に来たことがあるが、そのときは外観だけで中まで見られなかった。麻薬資金洗浄マンションから2ブロックほど離れているだけでとても近い。

表通りから海に向かってなだらかに曲がった路地を降りていくと、とても静かで感じのよい住宅街の奥まったところに入り口になっている鉄格子の門がある。車で待ち合わせの時間に行くと、大家さん夫婦がすでに待っていて、さっそく中をみせてもらう。

予想以上にきれいで使いやすい間取りになっていた。築後1 年ほどで真新しく、ほとんど全ての家具が揃っているので何も買う必要がないようだ。建物は海に面した斜面に建てられていることから、入り口側は一階だが、海に面した見晴らしの良いバルコニーに出ると二階になっていた。マンションの広さは150平米くらいだ。

家賃を聞くと電気と電話以外のサービス料金はこみで、月900ドルだった。ちょうど自分の家賃手当ての上限くらいで収まる。インテリアも趣味がよく質の良い家具がそろっているので、すぐに入居することを前提に契約書を作ってもらうことにした。

大家さんはスイス人で、定年退職してから奥さんの出身地のエクアドルに住んでいる。とても感じのよい老夫婦だ。後日、もらったスペイン語の契約書に日本語訳をつけて財団本部に送り、承認された。ここのマンションは居心地がよく、休日に一日中家にいてもストレスを全然感じることがない。

前に住んでいたマンションの前の通りは週末になると深夜まで車が絶えないので、かなりうるさかった。ここは通りから奥まっているのでとても静かで、初めのうちは波の音がかなり耳障りであったが、すぐに慣れてしまいほとんど気にならない。

9 月

そろそろ筆が、いや指が鈍ってきた。だんだん仕事が忙しくなるにつれて日記を書く暇がなくなってきた。というもっともらしい理由を自分に言いながらずるずると書かなくなってくる。

今月はようやくプロジェクトのロゴマークを使用したステッカーが出来上がってきた。また同じロゴでT シャツの打ち合わせも終わり、10 月6 日には300枚ほど出来上がってくる。このロゴを作るにあたり問題が起きたので、ここに概略を紹介する。

啓蒙用品シリーズ 第1弾 はステッカー。対象はサークルフックへの交換に応じてくれた漁船のみ。貼る場所はFRP 小型漁船のコンソールの前面にする。目 的は協力した漁業者にプロジェクトに参加しているという意識をもたせる。そして他の漁業者や第三者にプロジェクトの存在とメッセージを伝えるためだ。

いくつかの漁村・漁港で協力してくれる漁船の所在が簡単に識別できるので、他の漁業者や第三者がプロジェクトの進捗(普及)をビジュアルに認識出来るようになる。メッセージとしてステッカーに書かれている西語の意味は以下のようになる。「エクアドルの我々は責任ある漁業者です。」、ロゴマーク内には「カメを救って漁業を守ろう。」と、した。

ロゴデザインの説明:赤色のサークルは救命浮環で「救う」を表し、浮き輪の中に太平洋を中心にした地球を配した。日本とIATTC の海亀プロジェクトを推進している国が地図として認識できる。亀はシャドーで表して限定した種ではなく海亀を表し、黄色にして注意を促している。使用している色はもともとエクアドルの三色国旗(黄・青・赤)を基調にしており、遠くからもカラフルで目立つようにした。

ちなみにここの国旗の黄色は黄金(富)を、青は(海と空)、そして赤で(民族の血)を表しているそうだ。発信者・機関名を排除した第一の要因は、IATTC、SRP、OFCF のプロジェクトの担当者間で意見を統一することができなかったことである。

むしろ機関名が無いことで財団の協力が終了しても、他の団体や機関が継続して使用できる利点がある。国名をかえるだけでどこの国でも利用できる。次期パナマプロジェクトでも大いに利用していただき、IATTC の海亀混獲削減プロジェクトの統一ロゴに利用されることを期待する。

ステッカーに並行して、第2 弾はT シャツを作製する予定であり、背中にこのステッカーと同じロゴを使用し、左の胸には財団のロゴとネームを入れてスポンサーを明らかにする予定である。T シャツの取り扱いもステッカーと同様、協力してくれた船主、乗組員3 人の計4 人に配布する。

啓蒙用品(T シャツ、ステッカー、船の小旗等)に用いるロゴマークを自分でデザインし、ステッカーから製作を始めることにした。ロゴは契約スタッフを始め、マンタ事務所の職員、エクアドル水産庁の技術顧問にも非常に好評であった。業者の見積もりを取り、財団本部の承認を待っている間、本部のマルティ氏から何も意見が出てこないので、メールで問い合わせると、まだ見ていないということであった。

事務所のサーバーがトラぶったり、インターネットの無線回線に接続不良を起こしたりしていたので再送信をした。すぐに彼から返信が届き反対された。彼の反対は予期しておらず、少なからず驚いた。この後、SKYPE でコンタクトを取り直に話をしたが、彼は自分の立場の意見しか言わずに話が平行線になり、どうしても啓蒙用品にこのロゴを使用するなら、委員会本部の名前を抜いて、財団だけのネームで勝手に作ってくれと言われ、非常にガッカリした。

以下、彼の意見と私の反論の要約:
H:ロゴは一カ国だけでなく、他の多くの参加している機関の名前も入れ、全ての地域を対象としているものがよかった。エクアドルのプログラムは国際的な機関を始め多くの現地機関のおかげで成り立ち、このロゴでは調和(機関の集まり)を崩してしまう。我々は(プログラムが)ひとつのシステムとして常に調和とバランスに配慮している。小さなことの影響を広い観点から考え、すべての参加機関の感情を理解しなければならない。

私: 財団は委員会本部とだけ覚書を結んで、全米大陸諸国および地域の海亀プログラムに参加したのではなく、エクアドル政府を含む三者間で覚書を結んだ。そしてエクアドル国内で行うプロジェクトに参加したのであって、当然ながらロゴはエクアドル国内を対象にしており、このプロジェクトの機関名とプロジェクト名を使用するのにあたり、他の団体や機関の意向を考慮する必要は無いと考える。

H:ロゴのデザインは、黄色に塗られた海亀のお化けもよくない、色のコンビネーションが悪い。黄色は弱さを表して軟弱だ。

私: あなたの趣味に対して議論する気はないが、契約スタッフも現地事務所の職員、また啓蒙用品を作る業者も気に入っている。カラーリングはエクアドルの国旗の色を使っている。黄色は黄金の意味で豊かさを表している。また国際的に黄色は信号機やサッカーのイエローカードでも知られているように、海亀に注意するという意味も込められている。この色のコンビネーションは非常に目立つので啓蒙用品に適している。海亀をシャドーにしたのは、種を限定せずに海亀全体を表現しているからだ。

H:常に他の団体の連中にも結果を伴うプログラムより、T シャツや帽子を作っている金と時間のほうが多いのではないかと苦言を言っており、エクアドルがやりだせば、各国もまねてロゴを作り出してプログラムのアイデンティティーを失う。

私: 当プロジェクトで啓蒙用品等を作ることは活動実施計画にも明記されている。現場でプロジェクトの存在感がまったく感じられないことから、啓蒙用品を使用することは業務の進捗に有効だと考えている。委員会本部がロゴに対してそこまで神経質であるのであれば、全米全地域の統一ロゴを設定すればよいのではないか。しかし全米全地域を対象にした計画を当プロジェクトは策定していない。

以上、彼と話して感じたことは、彼は当然ながらIATTC を中心に考えており、海亀プログラムを推進するためのスポンサーは歓迎するが、まさに出来上がって機能しているシステムに余計な変更を加えてもらいたくないということであった。

彼にとって財団は“one of them”の存在でしかないようだ。財団が来年3月に当プロジェクトを終了しても、他の援助団体・機関にスポンサーになってもらえば良いという考えであろう。だから余計なことをしてもらっては困るということなのだと思った。

初めにも書いたが、結論は委員会本部の名前を抜いて、用品は財団だけのネームで作ることで合意した。このことをエクアドルの技術顧問に告げると非常に不機嫌になり、なぜ三者間で調印した覚書きの各機関名とプロジェクト名を使えないのかと、私とまったく同じ意見であった。そして委員会本部が嫌なら財団と漁業次官室だけの名前で作ろうと言い出した。

小さな問題であるが、逆にお互いの立場や考え方の相違が浮き彫りになり、三者間で行うプロジェクトの難しさを含め、なにか根本的な問題提起をしたような形になった。プロジェクトの実施期間がもう短く限られているなかで、いまさらマルティ氏とこれ以上議論しても平行線のままになるのは目に見えており、こんなことでゴタゴタしたくはない。逆に私が技術顧問をなだめることにした。

最終的にT シャツは胸に財団のロゴとネームを入れ、背中にこのロゴマークを大きくいれて、ネームは「エクアドル、あなたの支援で(亀たちを)助けられる」にしたいと伝えた。またポスターは漁業次官室 の名で漁業者にあてたメッセージを入れたものにして、同じロゴを使えば整合性があり、機関名が代わってもポスターやTシャツ、ステッカー等、統一したロゴで相乗効果が出せると説明した。こうすれば委員会本部から文句は言われないと、漁業次官室名入りのポスターにようやく技術顧問も了解した。

外国人身分証明書申請

前述のロゴの件の他、以下のような問題が起きた。電話でマンタ警察の移民局に身分証明書の手続きについて確認したところ、必要な書類はM君が残してくれた報告書のなかに記入されているものから変更はなかった。(パスポートのカラーコピー、エクアドルのビザ・入国後のビザの登録印のカラーコピー、証明用写真3枚、住宅契約書写しと大家の身分証明書のカラーコピー、そして事務所の証明)、しかし入国後1 ヶ月以内に身分証明を取らなければ罰金だと言われた。

移民局に出向いて事情を説明したところ、身分証明発給はいまだに凍結されており、一連の書類を持っていけば凍結中のため手続き待機中という証明を発行してもらえることになった。しかし、私名義の住居賃貸契約書が必要なため、賃貸契約が終了してから手続きをすることにした。

このあと財団本部から住居契約の承認がでたが、8月23日にアパートの大家が麻薬関連資金のマネーロンダリング容疑で警察に逮捕され、翌日、私も強制的に退去させられたことから、この手続きは必然的に延期された。9 月半ばを過ぎた時点でも手続きは凍結されたままになっている。

エクアドル運転免許申請

この国では国際免許証は入国後2ヶ月間しか有効でないと聞いた。エクアドルの自動車運転免許取得について、マンタ市から車で40分程離れたマナビ県の県庁所在地であるポルト・ビエホ市で調べることにした。この街の出身であるクルーヘル氏に再び同行してもらい、交通警察本部へ出向いた。

必要書類はM君の報告書に書かれていたものから変更がなかった。パスポートのカラーコピー、エクアドルのビザ・入国後のビザの登録印のカラーコピー、証明用写真2枚、日本の免許証のカラーコピーと、日本の免許証の日本大使館証明入りスペイン語訳、エクアドルの無犯罪証明書、そして無事故・無違反の証明書、以上の書類に国際免許を添えれば(交換する)、エクアドルの免許を発給してもらえることが分かった。

無犯罪証明を取得するため警察本部へ行ったが、昼の休憩時間で窓口が閉まっており、玄関に居た警察官に話を聞くと、手続きにはパスポート・ビザ・ビザ登録印のカラーコピーに外国人身分証明-CENSOが必要だと言われた。このCENSO が無いのであきらめて後日、CENSO を取得してから手続きをしようと思った。

昼食後、クルーヘル氏の提言で、マンタに戻る前に窓口が開く2時半に出直してみた。担当官にCENSO の手続きが凍結されていることを説明し、パスポートのビザ登録印を見せ、免許取得のために無犯罪証書が必要だと説明したところ、年配の担当者が、パスポート番号だけでデータ検索し、その場でデジカメ写真を撮って、証明書発給手数料として5ドル払っただけで無犯罪証明を作成してくれた。CENSO 無しでほんの5分程度しか掛からなかった。これには私だけでなく同行してくれたクルーヘル氏も驚いた。この後、すぐに交通裁判所で無事故・無違反の証明書も取得することができた。

署名をする判事が帰宅するところであったが、クルーヘル氏の幼友達であったことからすぐ署名してもらえた。これで運転免許取得に必要な書類が全て揃ったことから、交通警察本部に戻り手続きを開始することができた。

手続きの最後にデジカメで写真をとるため順番を待っていたところ、窓口に別の警察官が来て担当者と私の書類手続きについて激しい口論になった。後から来た年配の警察官は、国際免許ではなく日本の免許とエクアドルの免許との交換しかできないと言い出した。いくら事情を説明しても頑として聞き入れてもらえず、挙句の果てに窓口の担当官もヘソを曲げてしまい、この手続きはもうしたくないと言い出されてしまった。

全ての書類が整っており、また担当官は電話でキトへ問い合わせ、国際免許証と交換する確認を取っているにも関わらず、最終的にはキトの警察で手続きをしろと追い返されてしまった。9回裏、ツーアウトに逆転満塁ホームランを食らった気分になった。まったく予想しなかった展開にクルーヘル氏も私もあきれて怒ることもできなかった。

後日、クルーヘル氏から彼の長年の友人である警察本部の司令官の秘書を紹介してもらい、彼女と再び免許申請を行った。例の年配の警察官が出てきて同様な展開になったところ、司令官の鶴の一声であっさりと国際免許も日本の免許も交換することなく、5年間有効のエクアドル免許を交付してもらえることができた。

彼女は40歳前後だろうか、なかなかの美人でスタイルも良い。若い頃は相当もてたのではないかと思う。お礼にクルーヘル氏と三人でホテルの洒落たレストランに行き、白ワインと白身魚のセビチェを食べて雑談をした。司令官の秘書というのはクルーヘル氏の勘違いで、実際はこの街の政党事務所で働いていて顔が広く、この街の顔役をかなり知っているらしかった。何かトラブルが起きたらなんでも言ってくれと、話しやすく親切な女性だった。

マンタに戻る車中、国際免許の有効期限も間近にせまっていたので、非常にホッとした気分になった。クルーヘル氏は社交的なので友人が多く、今回は彼の人脈に助けられた。とても感謝している。それにしてもアミーゴのネットワークが無い外国人には、全てにおいて非常にやりにくい社会だ。

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