E5. ドミニカ共和国へ行ってきた。2/2

E. 定年後の話色々

サントドミンゴの日本人の友人

少し話が前後するが、サントドミンゴにごく親しい日本人の友人が二人いる。二人ともドミニカ人の女性と結婚している。私は国際協力の仕事でドミニカへ、1993年に家族を連れて着任した。到着後、1ヶ月間はホテル暮らしとなった。着任早々、仕事中に妻から子供達が酷い下痢になったという電話を受けた。どうもプールで泳いだ時に、水を二人とも飲んでしまったらしい。当時は停電が多く、水質がしっかり管理されていなかったようだ。たまたま、コロンビア時代に仲の良かった友人から、ドミニカで農業専門家として働いているM氏に紹介された。彼に電話連絡を取ると、すぐにその人の奥さんがホテルまで行ってくれた。土地勘のない私達を気遣い、最寄りの病院まで妻に付き添ってくれた。それ以降、彼女と妻はとても親しくなり、M氏の家族とはいまだに親くしている。

もう一人の友人はM氏から紹介されたA氏で、戦後の混乱期、幼い頃に鹿児島からドミニカへ家族で移住したそうだ。私より一才年上だが、同学年のはずだ。彼の実家は高地で気候が涼しい小さな町で農業を営んでいた。そこへ何度かM氏家族と一緒に遊びに行ったことがある。日本食をご馳走になり、日本風のお風呂にも入れてもらったこともある。また、彼らのサントドミンゴのアパートに招待されたことが何度もあった。彼の奥さんもM氏の奥さんととても仲が良く、とても明るい人でいまだに私の妻と仲が良い。妻が今回の旅行について携帯で話すと、私達夫婦が滞在日数を余計にとってあることから、その間、彼等夫婦二人しか住んでいないアパートに泊めてもらうことになった。ちなみにM氏は娘が住んでいるスペインのマドリードに行っていたので、残念ながら再会することはできなかった。

6月19日、10年ぶりくらいにサントドミンゴ国際空港に到着した。昔、初めてここに到着した時は、入国手続きの順番待ちをしている間、民族衣装を着ている女性から無料のコーラで割ったラム酒を一杯もらった覚えがある。当地ではスペイン語でCuba Libreと呼ばれているカクテルだ。直訳すると、キューバ自由という意味になる。アメリカ産のコカコーラが自由を、ラム酒がキューバを表しているからだ。メデジンの空港でもパナマから初めて到着した1975年当時は、空港のロビーでコロンビアコーヒーが無料に飲めた。残念ながらいつの頃からか覚えていないが、両国とも無料で飲めることは無くなった。

空港内も綺麗に整備されており、時代の変化を感じた。入国手続きはネット上で事前にしてあったので、顔写真を撮られるだけで簡単に終了した。荷物を受け取ると検査もなく、すぐに多くの人が待っている外のロビーへ出ることができた。扉をでて周囲の人達の顔を確認していると、すぐに友人のA氏夫婦が見つかった。奥さんはとても気さくで良く喋る。彼女と軽く抱き合ってほっぺにキスをし、A氏とも肩を抱き合った。彼らの傍に小さな女の子がいて、彼らの孫の一人で三女の子供だと紹介された。8才だというこの子も抱き上げてほっぺにキスをした。一連の旧交を温める儀式が終わってから、駐車場へ移動して彼らの車に乗り込んだ。すでに2時近くになっていたが、セントロ(ダウンタウン)にある彼らのアパートで昼を一緒に食べることにした。

空港からセントロへ向かう道路はとても混んでいた、それでも学校が休みに入ったので、送迎する車は少なくなったそうで、いつもよりはマシだと言っていた。流石にセントロを縦断する道路は混雑して、ところどころで渋滞していた。私達が住んでいた頃のサントドミンゴとはとても比較にならないほど、車の数が増えた。当時は事故でもない限り、渋滞は起きなかった。

彼らのマンションは数年前に買い替えたそうで、渋滞していたメインストリートから2本ほど脇道に入ると急に車の数が少なくなり、静かな住宅街になった。この通りの周辺は昔からあった一戸建ての家がマンションに建て替えられており、彼らのマンションもそのうちの一棟の、3階に住んでいた。6階建てで階ごとに2世帯が入っており、前後に細長く、広さは150平米くらいだ。隣も道路を挟んだ向かいも、まだ昔からの戸建ての大きな家が残っており、視界は開けて風通しがとても良かった。

翌日の夕方に、4人で旧市街にあるコロンブス広場に行った。広場の中央にはコロンブスの銅像が建てられており、そしてコロンブスの息子が第2代目総督として住んでいた当時の屋敷が残っている。私達がサントドミンゴで暮らしていた時、友人や家族が来た時、いつも連れて行った観光スポットだ。今も当時と変わらず綺麗に整備されており、広場の周りには洒落たレストランやバーが並んでいた。ここの一角に良く行ったMuseo de Jamon(ハムの美術館)という名の、スペイン産の生ハム(ハモン・セラーノ)を店内の天井に吊るした名物店があった。夕暮れ時に生ハムをつまみに飲む冷たいビールが最高だったことは、いつまで経っても記憶に残っている。コロンビア人の親友も一緒に行ったことがあるが、彼もこの店や周りの雰囲気を鮮明に覚えている。今回も楽しみにしていたのだが、残念ながらすでになくなっていた。

夕暮れのコロンブス広場のレストラン

この国のプレシデンテというビールがとても懐かしい。ビールを頼むと小瓶を冷凍庫でキンキンに冷やして、瓶の外周に霜がついているヤツが出てくる。瓶は数十秒待ってから栓を抜かないと、急激な温度変化で液体がサッと凍ってシャーベット状になってしまう。キンキンに冷えたビールを一気に飲むと、喉元を潤し、胃の隅々から体全体を冷やしてくれるのが体感できる。ここのクソ暑い気候には適した飲み方だ。そしてアルコール度が6度もあるので、他のビールよりほろ酔い気分になるのが早い。空きっ腹に効くという感じた。

若い頃はまずこのビールを1、2本飲んで喉の渇きを潤してからラム酒に飲みかえていた。今でもこの癖が治らず、パーティーとかでワインが出るのが分かっていても、まずは冷たいビールを頼む。ラム酒を飲む時は、ライムを絞り、氷を多めに入れてコーラで割り、氷の上に2切れほどスライスしたライムをのせたクーバリブレを良く飲んでいた。今は糖分をひかえるためにコーラをソーダ水にかえて飲むようになった。妻は暑いところへ来るとピーニャ・コラーダを飲むのが好きだ。ピーニャとはパイナップルのことで、コラーダは濾すという意味になる。甘めの少しトロリとした喉越しで、女性に人気がある。

作り方はとても簡単で、ホワイトラム30ml、パイナップルジュース80ml、ココナッツミルク40mlに氷を入れて混ぜ、トールグラス(300〜350ml)に輪切りのパイナップルとマラスキーノチェリーで飾れば出来上がり。氷ごとミキサーに入れて氷を粉砕するとよく冷えて、暑い夏にはもってこいだ。

さて、コロンブス広場のお目あての店がなくなってしまい、どの店に座るか迷っていると、タパスの店と書かれたバーの店員に誘われて、広場より一段高くなったテーブルへ座った。私はもちろん冷たーいを強調して、ビールのプレシデンテを頼んだ。妻と友人の奥さんはホワイトラムの量を控えめにしたピーニャコラーダを注文した。友人はダイエット中なので、酒をやめてオレンジジュースを頼んだ。飲み物がくる間に、イカのリング揚げ、生ハムと各種チーズの盛り合わせなど、4種類のつまみも頼んだ。

飲み物が届いて乾杯しようとしたが、オレンジジュースが来なかった。また、ウエイターが持ってきたビールが冷えていなかった。すでに栓は抜いてあったが、よく冷えたヤツに取り替えてもらうことにした。ここで再び念を押して、キンキンに冷えたビールで、栓を抜かないで持ってくるように言った。冷えていなければまた返すので栓を抜くなと言った。すぐにウェイターが他のビールを持ってきたが、すでに栓を抜いてあり、また冷えていなかった。返したビールをそのまま持ってきたのかもしれなかった。

文句を言うと他のウェイターが来たので、事情を説明して瓶に霜が付いているような、キンキンに冷えたビールと説明し、冷えていなければ返すから栓したままで持ってこいと言った。ようやく友人のジュースも届き、ビールも持ってきた。ビール瓶には霜ではなくて、かき氷のような氷が付着していた。店で一番冷えたヤツを持ってきたと、自慢げによく喋るウェイターだった。流石に今度は栓がついていたが、瓶を手に取ると大して冷えてはいなかった。「おい、これ瓶が冷えて出来た霜じゃなくて、冷凍庫の壁についた霜を掻き取って瓶に付けただけだろ」と言ったら、図星だったようで、悪びれずになんだかんだと言い訳ばかりしだした。その様子が可笑しかったので、「今回は勘弁してやるけど、次はそこらの売店で霜降りの本当に冷えたビールを買って来いと」言ってやった。

ようやく乾杯すると、友人が頼んだオレンジジュースはオレンジではなかった。今度は友人がウェイターを呼び出し、ジュースを取り返させた。皆、呆れ返ってしまったが、観光地アルアルとか言いながら笑い出してしまった。周囲の雰囲気は良かったが、頼んだつまみも期待外れで、早々に退散することになった。後から知ったことだが、その店の2軒隣に良い店があると、後から友人の娘に聞いた。そこは息子達とサントドミンゴに戻った時に来ようと思った。

翌日の日曜日の昼、滞在している友人宅に彼の娘3人と彼女らの家族全員が集まった。ほぼ毎日曜日に皆で集まって昼食をとるらしい。今回は私達も彼女らと会うのが久しぶりで楽しみにしていた。今日は、料理の得意な長女が大きな専用のフライパンでパエーリャを作ってくれた。冷えた白ワインを飲みながら美味しいパエーリャをご馳走になった。皆が幸せそうにしているのが感じられて、とても気持ち良い午後を一緒に過ごすことが出来た。

帰国する前に息子達と一緒にサンドドミンゴに滞在した。もちろん友人達の家族と一緒に2回ほど会食をした。息子達は私たちが昔住んでいたコンドーミニアムで、当時の幼馴染達と再会したりして、楽しい時間を過ごせたようだ。息子達や孫達もゆったりした良い休暇を過ごせたようだ。また皆で来ようと言って、楽しかったドミニカ旅行を無事に終えることができた。

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