家探し2
ようやく家が決まった。いままで20数件の家を見てきたが一番まともな家だ。通常貸し家は手入れが非常に悪い。しかしここは大家が実際に住んでいる家を貸すので、家具も内装も綺麗にしてある。この家はレンガ作りの2階建てで、出窓や扉が白く塗られていてイギリス風という感じだ。
左右両隣の家とは隙間が無く、連続して建てられている。玄関の手前左手に前庭があり、右手は地下のガレージに続くスロープがついている。玄関を入ると正面が2階に上がる階段があり、右手が暖炉のある居間と奥の一段高くなったところに来客用の8人掛けのテーブルが置いてある。左手はTV をみる小さな居間があり、扉を開けて奥に行くと日常使う食堂とトイレがあり、奥は結構広いキッチンになっている。食堂同士は明かり取りのために作ってあるガラス張りの吹き抜けを通して見通せる。
裏庭にはキッチンと来客用の食堂から降りられる。裏庭は150平米くらいで、真ん中は芝生で塀に沿って木が植えてある。奥隣の家とは塀を介して裏庭同士でくっついているが、結構木が茂っていて静かだ。天気が良い時に裏庭のイスに座ってポケーっとしていると、住宅街に居ると言うよりどこかの別荘に来たような感じがする。
裏庭からも地下のガレージに降りられるが、普通は日常用の食堂から降りる。地下は車が4台ほど入るくらい大きい。隅の方に6人掛けのテーブルが置いてあり、焼き肉をするパリージャという炉が付いている。
大家の親父は結構やかまし屋で契約書の一語一句に目を通してああでもない、こうでもないとすごく細かい。保証人は研究所ではダメだという。政府機関は金払いが悪く、信用がないからだ。心当たりはブエノスのK 氏しかいない。電話をすると、K 氏は日本から来る人は簡単に考えているようだが手間が掛かるの何の、と言われが、他に頼むところが無いので、K 氏の感情を害さないようにひたすらお願いしすることにした。
今回世話になった不動産屋のイタリア系のロベルトも結構ずるい。下書きの契約書に、再契約をするときは現行の不動産業者に依頼するなんて項目をちゃっかり書き加えてあった。「ロベルト、何だこれは、冗談じゃないよ」と言ってにらむと、ばれたかと言う感じで悪びれもせず、コンピュータに書いてあるこの部分を削除する。このほかにも気に入らない点を指摘して削除と挿入を繰り返し、ようやく納得した下書きを大家に渡してもらい、自分にも一枚印刷してもらう。
契約書は面倒だが納得のいくまで読んで、分からないところは弁護士等に相談した方がよい。最初にきちっとしないと後でトラブルのもとになる。下書きを読んだ後、研究所の法律顧問に頼んで一通りチェックしてもらい、分からないところを詳しく説明してもらう。
借り手は最初に結構金が掛かる。ここの住宅は2年契約が基本で、不動産屋へ契約時に24ヶ月分の家賃の6%もの手数料を払う。不動産屋は貸し主のほうからも家賃1ヶ月分の手数料を取る。このほかに借り手は大家に敷金として家賃2ヶ月分と、初めの1ヶ月分を足した計3ヶ月分の家賃を一括で払うことになる。
この他に家の火災保険と家具類の盗難保険にも加入しなくてはならない。この保険は強制では無いのだが、万が一借りている家が火事や盗難にあったときは、借り手と保証人が責任をとらなければならない。敷金は契約が切れるときに戻ってくることになっているが、大半は家の修繕費と言う名目で差し引かれてしまうのが常と聞く。1ヶ月分くらいは戻してくれそうだが、逆に最後の月の家賃は払わずにこの分で相殺したほうが簡単だ。
永住ビザ発給顛末記
ようやくビザが発給された。長い道のりだった。車を購入し、家も決まったのにビザだけがいつまで経っても発給されなかった。金髪部長の尻を突いても全く効果が無かった。マルデルプラタ市のセントロにある移民局に申請書はすでに提出してあった。やはり自分が動くしか無いので電話したが、全く埒が開かない。移民局の事務所で他の移民申請者と一緒に2時間近く並んで、ようやく窓口で進捗状況を聞いたが全く要領を得なかった。直接移民局の局長に話をさせてもらったが、待てと言うだけで話にならない。1ヶ月以上も待たされても何の変化もなかった。
局長は小柄な金髪中年のおばさんで、対応がとても冷たかった。彼女曰く、外国人に永住ビザを与える場合、プライオリティーがあるそうで、先ずはアルゼンチン人と結婚した外国人、永住者の家族、南米近隣諸国の出身者、ヨーロッパ諸国の出身者、そして一番最後にその他の国としてアジア諸国からの出身者となり、日本人はプライオリティーが低いのだそうだ。なお、マルデルプラタに来る移民申請者の多くは、農業労働者として労働許可を申請する隣国のボリビア人が大半であった。アルゼンチンはペソとドルの2バスケット制として、二つの通貨が流通しており、換金レートは1対1であった事から、貧しい隣国のボリビア人の労働者がアルゼンチンに出稼ぎとして流入していた。
申請者は先着順に対応するので、常に列に並んで順番を待てと言われた。私は局長の冷たい対応についに頭に来た。以前にも説明したのだが、あらためて彼女にアルゼンチン政府と結んだプロジェクトの覚書の写しを見せながら、強い口調で説明をした。本プロジェクトは無償協力案件であり、供与資機材も直に日本に調達済みである。また、近々当地の建設業者と新しい研究施設を増設するにあたり、予算も無償資金供与として100万ドル(約1億円)を予定している。
このプロジェクトはアルゼンチン政府だけでなく、マルデルプラタ市の利益となる技術開発協力案件である事などを説明し、私達にビザが出ないのであればプロジェクトの中止もあり得ると言った。そして、ここに来るたびに一般の農業労働許可証を申請する連中と一緒にされ、2時間以上の列に並ばされるような所にはもう二度と来ない。直接、ブエノスアイレスの本局に行って手続きをすると言い放った。
研究所に戻って所長に状況を伝えたところ、数日後、所長に呼ばれてブエノスアイレスの移民局の本部へ行くように言われた。所長がブエノスアイレスの農業省水産庁の長官に事情を話したところ、水産庁から移民局長官に話が伝わり、移民局本部で直接対応してもらえる事になり、すでにアポイントも取られていた。観光客としての滞在日数も少なくなり、ようやく本気になってもらえたようだ。
後日、一人で移民局本部に出向いたところ、法律顧問という人物と面談することになっていた。もう永住ビザを貰えると思って来たので、内心がっかりした。彼に例の覚書のコピーを渡して、財団の説明とプロジェクトの内容や今までの経緯と状況、そしてマルデルプラタ移民局事務所の対応の悪さについて話をした。
法律顧問に私達の場合は特殊なケースであると認めてもらえた。しかし、法律上アルゼンチン国内で永住ビザを発給することは出来ず、原則、出身国の日本にあるアルゼンチン大使館経由で申請しないといけないそうだ。しかし、長官に状況を説明し、早急に善処するという返事をもらえた。また、滞在日数の超過については、すでに申請書が受理されていることから心配するなと言われた。
10日ほど経ってから、ブエノスアイレスの移民局から公文書の写しが届いた。ビザが発給されると思いながら読んでみると、特別に永住ビザの申請と発給はアルゼンチン国内にて実施できるという通達であった。読んだ後がっかりしたが、これで滞在許可日数など全く気にする必要は無くなった。
数日後、マルデルプラタの移民局から電話があった。例の金髪の局長が交代したそうで、新任の局長からの電話であった。彼は私達と直接面談して詳細を知りたいと言ってきた。話し方が丁寧であって好感を持てたが、また2時間以上並んで一から出直しかと、内心ガッカリした。しかし新局長は事務所が閉まるお昼の時間に対応すると言って、列に並ぶ必要は無くなった。全所長とは全く対応が変わったのは、もしかしたらブエノスアイレスの本部から、前所長は辞めさせられたのではないかと思った。後日、何の問題もなく、スムーズに対応してくれたおかげで永住ビザが発給された。