世界へ飛び出た100人の日本人
去年、メデジン在住の日本人の友人経由で、日本人のコロンビア在住者についてインタビューしたいという話が入った。メールで連絡したところ、zoomでインタビューを受けた。世界中の日本人の海外在住者をインタビューして、一冊の本にまとめるという話であった。年末、著者から連絡が入り、2026年の2月頃に本が完成することを知った。販売は4月半ばから開始されるらしい。(この項をアップした時にはもう販売されていると思う。)丁寧にも、私のインタビューの箇所をpdfにして送ってくれた。インタビューの内容が読みやすい文章で書かれていて、とても気に入った。流石にプロの仕事だと感じた。その後、特別に出版社のサイトで本を読ませてもらうことができた。色々な国に住んでいる百人の日本人が、それぞれの理由で海外生活している話はとても興味深かった。

水彩画デジタル販売サイトへ登録
グーグルのAI / Geminiに相談して、コロンビア在住でも登録できるKO-FIというサイトを教えてもらった。ようやく私が描いた絵を掲載するショップを開くことにした。このサイトはクリエーターを支援するサイト(https://ko-fi.com/freemanlifecol/shop)とかで、オリジナルだけでなくコピーや、デジタル販売も可能となっている。私の場合は、手のかからないデジタル販売のみとした。また絵やその他の作品を買うだけではなく、気に入った作者へ支援金も振り込むこともできるそうだ。ただ残念なのは、日本はもちろん海外でもあまり知られていないサイトだ。本人が宣伝しないと誰にも見られないようなので、とりあえずインスタグラム(freemanlife .col) にも掲載することにする。
私の描く題材は主に風景画で、旅行中に私や家族が撮影した写真を元にしている。薄く描いた下絵の上から、耐水性のマイクロペンで仕上げ、最後に透明水彩絵の具で彩色する。用紙は水彩画用のA4サイズか、レターサイズを使っている。(A4で統一したいのだが、コロンビアではレターサイズが主流なので手に入らない時があるからだ。)水彩画というカテゴリーに入ると思うが、自信を持って水彩画と言いきるには、少し恥ずかしい気もする。どちらかというとイラスト、または漫画の描き方と変わらないので漫画なのか?自分でもなんと呼んでいいのか分からない。妻の家族や友人達には好評を得ているので、これからも飽きずに頑張って描いていきたい。

夏の終わり、スペインアンダルシアの海のある小さな村、マルベージャのカフェのある通りにて

南仏の小さな港町La Ciotatの漁船
ドミニカ共和国へ行ってきた。
1993年にコロンビアの水産開発案件が終了するとすぐ、私はドミニカ共和国に対する日本政府の水産開発無償供与案件に参加することが決まった。当時、長男が小学4年生で娘が小学1年生だった。ドミニカ共和国に私達は6年間滞在した。その後、2000年の正月早々、アルゼンチンの養殖開発案件へコーディネーターとして一人で赴任した。妻と子供達は学校の学年が終了するタイミングで、1年間サントドミンゴに残り、後からアルゼンチンで合流した。子供達はアルゼンチンで高校を卒業し、二人とも四ツ谷の大学を卒業してから日本で就職した。そんな経緯から、子供達はサントドミンゴには多くの幼少期の思い出を持っており、毎日プールで一緒に遊んでいた幼馴染と呼べる友人達が居る。(ドミニカ時代の水産案件については後日書くことにする。)
今年の初め、電話で子供達の休暇の話が出た。孫も息子達も休暇が取れる6月頃にドミニカ共和国で、久々に家族全員が集結しようと決まった。旅程は私が考え、ホテルの予約は息子達に任せた。初めにドミニカの東端に位置する綺麗な白浜のビーチと、沢山のリゾートホテルで有名なプンタカーナで四泊することにした。移動にはプンタカーナの空港でレンタカーを借り、サマナ半島の北側のリゾートホテルに4時間かけて移動して三泊し、最後に首都のサントドミンゴへ行って三泊してから、それぞれ帰国することにした。
スイスから来る娘は仕事の都合で、残念ながら初日と最終日の2日分少なくなってしまった。また、彼女はプンタカーナ着/プンタカーナ発のフライトしか買えなかった。帰りをサントドミンゴにすると料金が2倍近くまで高くなってしまうので諦めた。よって娘はサントドミンゴからレンタカーでプンタカーナの空港へ戻り、帰国することになった。息子はサンフランシスコからパナマ経由でプンタカーナに入り、帰りはサントドミンゴからパナマ経由で戻ることになった。二つの空港を利用しても料金は同じとかで都合が良かった。レンタカーはサントドミンゴの空港で問題なく返せる。
私達夫婦の場合、メデジンから2時間半のフライトで、サントドミンゴまたはプンタカーナへの直行便があるが、往復に別々の空港を利用すると料金が高くなってしまう。そこで、私達は息子達より先に、メデジンから直行便で首都のサントドミンゴに入ることにした。帰国時は息子家族を空港まで見送った後、2日余計に滞在してからメデジンに戻ることにした。
今でも親しくしているサントドミンゴの友人に連絡すると、私たち夫婦がサントドミンゴに滞在中、彼らのアパートに泊めてもらえることになった。(実際には、初日から3泊させてもらい、帰国する前の3日間は、息子達と市中のホテルに滞在した。)息子達とはドミニカのプンタカーナのホテルで落ち合うことにしたので、プンタカーナへは前日に予約した安い長距離バスで、2時間半かけてホテルの正門ゲートまで送ってもらえた。
プンタカーナのリゾートホテル

プンタカーナのリゾートホテル。奥のヤシ林の先がすぐビーチになっている。
プンタカーナは、白い綺麗な砂浜に欧米系の巨大なリゾートホテルが連なる観光地として有名だ。ここのホテルはオールインクルシーブが普通となっており、滞在中の食事や酒も料金に含まれている。朝、昼、晩の食事は基本的にビュッフェスタイルで、敷地内にある二つの大きなブッフェ専用のダイニングスペースで食べる。色々な料理が並ぶので1週間いても飽きない。また、昼食と夕食時には、予約をとって食事をするレストランもいくつか併設されており、別料金を支払う必要はない。メニューを見て選択する料理はどこでもとても満足できた。しかしながら、オールインクルシーブのホテルに滞在すると、確実に体重が増えてしまうので注意を要する。
息子は昼に到着したが、ホテルのチェックインは3時からなので部屋には入れなかった。その代わり荷物をフロントに預け、レストランで昼食を摂ることができたそうだ。部屋の掃除が遅れているとかで、2時過ぎに私達が着くと、私達の部屋に荷物を入れて早速ビーチサイドのプールへ出掛けた。私達夫婦も昼食後に水着に着替えてプールで息子達と合流した。プールサイドにはバーが併設されており、カクテルを飲みながらパラソルの下、日陰でゆっくり過ごすことができた。夕方になり、息子の部屋を確認するが予約した部屋と異なることから、息子が部屋の変更を依頼した。残念ながら満室で変更できないということが判明した。そのお詫びということで、後日、家族全員8人がビーチ脇のレストランで、特別なコース料理に招待された。前菜、海鮮料理、肉料理、シャンパンやカクテルなど豪華な料理とデザート、テーブルには給仕が二人ついて、ゆったりした時間を過ごすことができた。
サマナ半島、ラス・テレーナスのホテル
プンタカーナ最終日、空港でレンタカーを2台借りた。1台は息子家族4名が乗り、もう一台は私達夫婦と、娘と彼女の彼氏の4名が乗り込んだ。娘が借りた車はプンタカーナ空港で返してからスイスに戻るので都合が良い。ホテルで昼食を摂ってから、サマナ半島の付け根の北側に位置するラス・テレーナスへ向かった。道路は昔よりとても良く整備されていた。途中でコーヒーを飲んだり、トイレ休憩を挟んで4時間半かかったが、交通量もそれほど多くなくて快適なドライブだった。
ラス・テレーナスでは娘がドミニカの友人から教えてもらった、コンドーミニアム形式の高級ホテルに3泊した。私達の部屋は二人部屋で、ダイニングキッチンに冷蔵庫がついた90㎡近い綺麗な1LDKだった。息子家族のファミリーサイズは豪華な2LDKで、150㎡ほどのとても広いリビングとダイニングキッチン、専用の大きなバルコニーやジャグジー風呂も併設されており、6人が泊まれるようになっていた。ここのホテルは朝食は付いているが、昼と夜は有料になる。朝と昼は施設内のレストランで摂り、街中の海岸通りのレストランで夕食を食べた。

サマナ半島の北側に位置するラス・テレーナスのホテル。
2日目、孫達とプールで遊んでいると、プールサイドに一組の夫婦が歩いてきた。少し離れた位置で、奥さんより先に歩いていた男性に目が行くと、サントドミンゴで泊めてもらった友人にとても似ていると感じた。すると男性は視線を感じたのか、こちらへ振り向いた。顔を見ると、友人であった。驚いて挨拶をすると、サプライズ合流をするため、私達に内緒で2泊の予約をしたそうだ。

ラス・テレーナス、椰子の葉影での朝食。

朝食は新鮮なフルーツジュース、コーヒーなど、フルーツはマンゴー、パイナップル、スイカ、オレンジ、そして卵料理とベーコンかソーセージ、クロワッサンやトーストなどが出てくる。一般的な欧米風の朝食に、料理用のバナナや豚肉を使ったドミニカ風の朝食も選べた。朝7時から10時まで穏やかな海を眺めながらゆっくりと食べれた。
朝食を摂りながら、ドミニカ産のコーヒーについて聞いた面白い話を思い出した。カリブ海の近隣国である、ジャマイカのブルーマウンテンは高品質で有名だが、残念ながらドミニカのコーヒーは、とても美味しいのにあまり知られていない。ブルーマウンテンを輸入している各国の年間輸入量の合計が、ジャマイカの年間生産量よりも多いそうで、それはドミニカ産のコーヒーが混ぜてあるからだ、という嘘か本当か分からない話だ。
ブルーマウンテンに混ぜれるくらい、ドミニカ産のコーヒーは美味しいのだと思う。似たような話で、葉巻やラム酒もキューバ産がとても有名であるが、ドミニカ産の葉巻やラム酒もかなり質が良い。生産地の気候や土地が似ていることで、似たような高品質の特産品が生産できるのだと思う。
2/2に続く。
追記:大事な事を書き忘れた。ドミニカの水産案件の現場はサマナ半島のサマナ市で実施されていた。よって当時のスタッフ達はサマナ市出身の連中だ。彼らとは6年間、苦楽を共に過ごしたので、仲間意識がとても強かった。詳しい話はいつか当時の話を書きたいと思う。今回、特に仲の良かったFermiの連絡先も失ったことから、事前に連絡ができなかった。子供達も彼と親しくしていたので、急遽サマナ市を訪問して、観光桟橋の近くにいた土地の人間にFermiのことを聞くと、彼の家まで案内してくれた。
昔から住んでいた家と同じ場所で、坂の途中に立っており、サマナ湾の桟橋付近がよく見渡せる場所だ。皆で、車の脇に隠れて案内してくれた人に扉をノックしてもらい、Fermiが出てきたところで、車の影からサプライズと言いながら飛び出した。彼も奥さんも目をまんまるにして驚いて、旧交を温めあった。すぐに近所に住んでいる元スタッフが4名ほど到着し、1時間以上も昔話に花が咲いた。
皆、元気で暮らしており、Fermiは昔メンテナンスを担当していたのだが、水産案件が終了すると近くの街の大学に通って弁護士になっていた。元船長も案件終了後に誘われて漁船を操っていたのだが、甘い話に誘われて薬物の密輸に手を貸してしまい、カリブの他の島国で捕まり、数年間を刑務所で過ごしたと言っていた。幸いにも模範囚として刑期が縮み、3年ほどで出所してから故郷に戻ることができた。それから案件で制作した小型ボートの型を元に、FRPボート製作所を始めたそうだ。10年以上も経って、今では数人を雇い、カタマラン型の大型艇も制作しているそうだ。
私達のスケジュールに余裕が無く、コーヒーを飲みながら立ち話で終わってしまった。皆で記念写真を撮って、再会を期してから別れた。次回は余裕を持って遊びにこいと、何度も言われながら帰路に着いた。


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