C1. 国際協力専門家誕生

(1991年10月、海外漁業協力財団機関誌寄稿文抜粋/一部改訂)

1.水清く魚住まず

太平洋と大西洋の両岸に港を有し、未開発資源の多いコロンビアは、潜在的な発展のポテンシャルは大きいと言われている。コロンビアの海岸線は約3,000km、1989年当時の水産物の年間漁獲量は、毎年約8万トン弱とほとんど変わらず、内水面の漁獲量がこのうちの70%、約5万5千トンを占め、太平洋岸が1万5千トンで、カリブ海側が約1万トンとなっていた。

国内の消費者は、道路事情の悪い遠隔地から冷凍輸送してくる魚よりも、生産や供給が安定している食肉のほうが割安なので、国民一人当たりの水産物の消費量は年間約4.5kgと非常に少ない。また、昔から河川が重要な交通網であったことから、消費地に近く、沼沢地の多いマグダレナ川沿いの漁場は早くから開発されており生産量が多い。

太平洋側は最大のポテンシャルを有しているにも関わらず、漁獲量の低い理由としては、人口が少なく社会的な基盤である道路網や、港湾施設の整備が遅れているためと思われる。

カリブ海はエメラルドグリーンに輝き、砂浜も白く美しい。それだけに海草も少なく、プランクトンも少ないそうだ。生息している魚種は豊富であっても量的には少ない。所謂、「水清く魚住まず。」と言っても過言では無い。

カリブ海側では天然の良港で観光名所であるカルタヘナ市を中心に、フロリダ式エビトロール漁がニ、三社の大手企業によって盛んに行なわれている。しかし、海岸線に沿った浅い海は休み無く操業されており、公害対策や漁業規制の整備が遅れていることから、場所によっては先進工業国並み、またはそれ以上に河川や汽水域の汚染が進んでいるところもある。

また、乱開発によるマングローブ林の伐採等による環境破壊などもあって、コロンビアのような発展途上国が、水産開発を進めようとしたときに、すでに魚影が無いということも起こりえる。

2.国際協力専門家誕生

漁業に関心が低かった政府も、南米諸国の中では立ち遅れている沿岸漁業の開発や振興を目的とした諸計画を立案した。1976年12月、日本とコロンビア両政府間で結ばれた技術協力協定に基づき、IFI(産業振興庁)により、大西洋沿岸漁業開発計画を実施する機関として、1980年10月に一部の民間資本も導入してスークレ県トルー市に漁業公社が設立された。

1987年、私はコロンビアの日本製船外機輸入代理店で働いていた。ある日、メデジン在住の日本の青年協力隊の男性と親しくなった。彼から上記の漁業公社で働いている漁業関連のF専門家に、私の話が伝わり、F専門家から日本製船外機の修理依頼を電話で受けた。日本の援助で直輸入された1台なので、修理する義務はこちらには無かったのだが、社長に相談して許可を得た。

後日、修理工場に届いた48馬力の船外機は部下のメカニックが修理して、テストタンク内で試運転してから送り返された。少し経ってから、F専門家から電話があって感謝された。そして、夏休みの話題になって私のスケジュールを聞かれた。すでにカリブ海の観光地のカルタへーナと、サンタマルタへ家族で遊びに行く予定があると答えた。

F専門家に、カルタへーナに行くのであれば、近いので家に寄ってくれと誘われた。地図で確認すると少し回り道になるが確かに近い所であった。しかし、妻の家族も含め総勢7名にもなってしまうので丁重に断った。それでも熱心に、部屋もベッドの数も間に合うし、また直接会って話もしたいと誘われたので寄る事にした。

到着した晩に現地で採れた沢山の魚やエビをご馳走になった。F専門家はとても愛想がよく、片言であったがスペイン語を話すので、私の家族達ともすぐに親しくなった。

翌朝、家族が海で遊んでいる間に、F専門家の案内で漁業公社を見学させてもらった。村外れの砂浜に面した広い敷地内に事務所が並び、長く立派な桟橋が設置されていた。沖合に8隻ほど白い日本製の漁船が停泊してあった。

港がないので海が荒れると桟橋だけでは大変だと考えていた時、唐突にF専門家から先だって修理してもらった船外機が不調だと言われた。また壊したのかと聞くと、公社のメカニックから修理に出した船外機は何も直っていないと言われたらしい。

直接私が修理したわけではないが、メデジンのメカニックの技量は中南米においてトップレベルと言える。F専門家は機械については専門外とのことで、「どちらを信用して良いか分からないので、困っている。」と言われた。どおりで今回熱心に誘われたのだと思った。

メカニックに直接話を聞くと、船外機は直っていないの一点張りで会話にならない。トラブルは何かと聞くと、船が走らないという。当の船外機を見たいと言うと、目前の砂浜にボートが浮いていた。エンジン側を砂浜に向けさせると、ボロボロになったプロペラが見えた。直径も擦り減って少し小さくなっているし、ペラの先端が欠けたり曲がったりしていた。

「このプロペラではボートは走りませんよ。」と、彼らに伝えるが、メカニックはペラでは無くてエンジンが悪いと言い出した。理屈の分からない人間と議論しても時間の無駄と悟り、別のプロペラを持ってくるように依頼し、実際に目の前で比較してもらう事にした。

メカニックがボートに乗り込みエンジンを掛けた。一発ですぐに始動した。エンジンのかかり具合と、アイドリング音を聞いて安心した。メカニックは暖気運転もせずに、直ぐにアクセルを回した。ボートはゆるりと前進したが、アクセルを全開にしてもエンジン回転は上がるが、ボートスピードは上がらなかった。通常のエンジン回転より噴き上がっている音なので、直ぐにエンジンを止めてもらった。このままではエンジンが過回転で壊れてしまう恐れがある。

公社の職員が借りてきたプロペラを手に取って確認してから、メカニックに交換してもらった。中古品であったが程度は良かった。今度もエンジンは一発で始動した。エンジンには全く問題が無いという証拠だ。メカニックがアクセルを回して行くと、ボートはアクセル開度に応じて勢いよく走り出した。全開にすると颯爽と海面を滑走した。

F専門家に取り外したボロボロのプロペラを見せて、この先端が曲がったペラの形状では、海中でキャビテーション現象(回転するプロペラの周りが負圧になり、気泡がプロペラの周辺に発生する。)が起きる。そして、プロペラは発生した気泡で空転するのでボートは走らないと説明した。

F専門家は直ぐに事態を納得して、公社のメカニック達を叱りつけた。「俺が買った新しいプロペラは何処に行った。」最近、新しいプロペラを買い与えていたらしい。どうやら誰かに盗まれたらしい。私に向き直り、修理を疑った事に対して丁寧に謝罪してくれた。

F専門家の事務所で案件について詳細を聞かせてもらった。私は沖合に停泊中の漁船が多いので、船員が休暇中なのかと聞いてみた。総計18隻の漁船中、8隻が壊れて係留中であることが分かった。「漁船修理の専門家は日本から来ないのですか?」と、聞いてみた。すると過去8年間に、日本から3名の修理専門家が長期間派遣されてきたが、言葉の問題もあって現地のメカニックを育てることができなかったそうだ。

F専門家は公社の傷んだ船や施設の現状を憂い、3回目の無償協力資金援助にて各種の資機材や部品などを供与する計画を準備していた。船団の再建や製氷機、発電機等の復旧を目的としたリハビリテーション計画とのことであった。そして、この計画が承認されて案件が実施される時、専門家としてここで働かないかと誘われた。

F専門家の話では、手当は私がもらっていた給料より5倍以上も良いことが分かり、また仕事内容にとても興味があった。しかし、「私は大卒では無いので、無理でしょう。」と言った。するとF専門家の答えは、「嫌、国連や他のヨーロッパ諸国の国際協力専門家ならいざ知らず、日本政府の…」と言って、国際協力専門家の募集要項を見せてくれた。

「学歴は大卒以上、または同等の能力を有する者」と、はっきり記されているから大丈夫だと言い切った。そして、「または同等の…」と書かれているところが、日本政府の凄さだと解説してくれた。後日、F専門家から紹介され、首都ボゴタの日本大使館や国際協力事業団事務所に出向いた。そしてスペイン語を話し、現地事情に精通している次期案件の専門家として、日本の関係機関に推薦される事になった。

そしてF専門家が計画し、以前の援助に対するフォローアップとして、三回目の案件が決まった。私はメデジンの会社を辞めて日本へ帰国し、援助資機材が到着する半年前の1989年7月にコロンビアに戻り、漁業公社へ漁船/機械修理専門家として赴任した。

3. スークレ県トルー市

スークレ県は伝統的に牧畜の盛んな農業県で、なだらかな丘陵地帯が多く一年中暑いところだ。着任当時の県の人口は60万人程度であるが、都市部と違い電気や上下水道の公共サービスの普及率は低く、不足していた。政府の統計によれば、住民の73.6%が貧しく、そのうち54.6%は貧窮している。文盲率も33%と高く、国内でもっとも貧しい県の一つであった。

トルー市はカリブ海のモロスキージョ湾に面した小さな観光地で、年二回のバカンスシーズンには、内陸から低中所得者層の観光客がどっと繰り出してくるが、シーズンオフは閑散としている人口2万人程の市というよりは村である。

海岸通りは観光客目当てのレストランや、土産物屋、小さなホテルなどがひしめき合っており、一応道路も舗装されている。しかし海岸通りから内陸へ2本ほど入った道路は未舗装で、ヤシの葉で葺いた屋根の家や、竹と板で囲った小屋のような家が多い。

海から離れた村の奥の方は貧困家庭が多く、黒人系の住民が多いので、どこかアフリカの風景と似ているところがある。雨季になって強い雨が降る日が続くと村中が泥沼化し、彼らの住んでいる家の土間もグチャグチャになる。貧しい人が多い村だが、人々の表情は明るく屈託が無い。

ゴミをあさる豚がやたらに多い未舗装の道を、歩いて8分ほど行った村はずれに、日本政府の無償資金協力によって建設された漁業公社はある。基本的には前二回の無償資金協力で供与された資機材と、過去に数人の日本人専門家によって技術移転された技術を基に、主にエビやタイを漁獲し、冷凍処理後販売をするという一連の活動を行なっている。

着任当初に感じたことは、赤字が続いている漁業公社の活動のどこが、大西洋沿岸漁業開発なのかと思った。公社のメインの漁法であるエビトロール自体も、この国ではすでに25年程前からフロリダ型のダブルリガー方式が導入されており、タイの一本釣りにしても土地の漁師がカヌーを用いて伝統的にやっている事である。

公社は独立採算方式で経営されており、国や県から補助や特別な優遇措置も無い。一私企業と同様な形態で活動するにしては、タイの漁場からも遠くて港も無く、道路事情も悪く、そして大都市からも遠く離れていてとても不便だ。当然、消耗品等の資機材の入手も困難なところである。

このように立地条件の悪い場所でなぜ活動するのであろうかと思った。時には公社社長の汚職疑惑や、地方の政治家の利権にされたなど、灰色の噂も絶えなかった。関係者から話を聞いたり、自問自答したりして得た答えは、ほとんど産業が無くて貧しい人達が多く、立地条件が悪いから私達の行なっている協力・援助をより必要としているという事であった。

日本政府の協力によって生まれた漁業公社が活動をすることで、地元での雇用が促進されて多くの人達を養い、各種の技術移転によって人材を育成する事は、単に沿岸漁業の開発だけでなく、コロンビア政府にとって最重要な課題の一つである、貧困地域社会の発展に貢献していることは事実であった。

公の場ではキチンと真面目に上記の説明を行なったが、現場の漁師や友人から、なぜ日本政府はコロンビアに援助をするのかと聞かれる事が度々あった。中には疑い深く、何か裏があって自分達の知らないところでコロンビア人が損をしているのではないかと思っている連中もいた。

議論好きな連中には、「ヘタな連中とゲームをして、いつも俺だけ勝っていたらゲームにならないから、時にはゲームを続けるため、どういう風にすれば勝てるか教えているの…。」と答えた。大概の人はこのような答えを待っていないので、一瞬大きな目を見開いて驚いた顔をする。直後、一諸に笑い出すのが常だった。

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