C. コロンビア漁船/機械修理専門家(3/6)

初めてのディーゼルエンジン修理技術指導

現在、コロンビアでメカニックになりたい人は、職業訓練校に通う事が一般的になってきているようで、当時よりは質の高いメカニックが多くなっきた。それでも日本のようにライセンス制度があるわけでなく、特別な教育や訓練を受けなくても誰でもメカニックになれることから、知識を基に原因を論理的に突き止め、故障の再発を防止するような処置を取れるメカニックはまだそんなに多くは無い。

1980年代当時のコロンビアのメカニックに対する印象は、単なる分解組み立ては手馴れていて早い。しかし、経験に頼っているため、経験した事の無い故障は苦手としていた。そして故障の原因を探究する前に全てをバラバラに分解してしまう事が多かった。なおかつ電気系統も直せるメカニックは非常に少なかった。漁業公社のメカニックも同様であり、仕事と訓練を両立させて育成して行くことになる。

漁業公社の修理工場が完成し、日本から届いた資機材も無事に設置することができた。部品も手元に届いたので、先ずはオンザジョブ(OJT)によるディーゼルエンジンの修理技術指導から開始する事にした。当時、メカニックは50を超えた古株一人、20代前半の若手2人、そして20代後半の電気系統担当が一人の計4人であった。修理工場長は修理工場ができる前に辞任していたため、修理工場長及び新たなメカニックを数人募集中であった。

古株は経験年数が長くてプライドが高いが、論理的に仕事ができるタイプではなかった。そこで操業して戻ってくる船の通常のメンテナンスに専念してもらった。電気系統担当者は性格が良く、仕事も良く出来たので彼の存在は助かった。そのまま電気系統の修理に専念してもらった。若手二人はカルタヘナの職業訓練校でエンジン修理を習ってきたようだ。しかし、知識も経験も浅くて仕事を任せることは出来ないレベルであった。

若手二人を呼んで、ディーゼルエンジンの分解修理をしたいか聞いてみた。二人とも目を輝かしてやりたいと即答してきた。二人とも電気溶接は経験があると言うので、初めに私が簡単な図面を書いて、船から取り外された古い鋼材を利用して移動式の門型のクレーンを製作してもらった。作業に4日ほど掛かったが、これで2トン近くあるエンジンを吊り上げることも可能になった。以前から修理工場の脇に置かれてあった4台の壊れたエンジンを修理することにした。

エンジンを置くベース台は、スリップウェイを建設した会社からもらった高さと幅300mm、長さ10mのH鋼を40cmほどの長さに切り取って2セット分8個を揃えた。早速、門型クレーンで吊り上げたエンジンのマウント位置にベース台を置いて、分解作業を開始してもらった。若手二人は嬉々として分解作業を開始した。

その間、1時間ほど私は執務室に戻り、日本のディーゼルエンジンメーカーの英文修理マニュアルを読み始めた。私はこれまでディーゼルエンジンを修理した経験が全く無かった。日本へ一時帰国した際、専門家として派遣される前にエンジンメーカーの研修センターで5日間だけ研修を受けただけだ。

研修では漁業公社のディーゼルエンジンと同型のエンジンを一度だけ、それも半分ほど分解及び組み立て実習をしただけであった。このエンジンは4サイクル水冷、直列6気筒、自然吸気のマリーンディーゼルエンジンであった。最高回転数は2,200回転で165馬力の出力であった。サイズは異なるがオートバイの4サイクルエンジンと基本的に同じ構造だ。

30分毎に執務室から修理工場に戻り、作業の進捗状況を確認した。二人で作業をしたので、すでに6個のピストンは取り外されていた。分解途中に私が指導したとおり、各ピストンとコンロッドにはシリンダー番号が書かれてあった。次に修理マニュアルに書かれてあった手順どおり、シリンダーヘッドに組み込まれている吸気バルブ12本と、排気バルブ12本の分解方法を指導した。

彼らが作業をしている間、再び執務室に戻り修理マニュアルで次の分解手順や部品の計測手順について頭に入れた。こうして1日で彼ら二人でエンジンは完全に分解された。分解された部品を点検して行くと重大な故障が起きていたわけではないことが分かった。

一度も分解修理された形跡は無く、長期の使用時間によるピストンリングやシリンダースリーブの摩耗、24本ある吸、排気バルブシート面の荒れによる圧縮洩れなどが原因で出力が落ちたようだ。実際にこれらの部品の摩耗具合と計測の仕方等を彼らに指導した。

翌日、交換する新しい部品を渡し、残りの全てのパーツを洗浄して組み上げるように指示をしたところ、彼らは分解した部品の位置や方向、そしてバケツに放り込んだ全てのボルトやナットの位置がどこにあったか分からないと言いだした。どうしたら良いか教えてくれと言われた。私は少し冷たい表情で、「俺が知るわけないでしょう。」と返事した。「えー、そんなバカな、あなたはエンジンの専門家でしょう。」と言い返してきた。

私は「このエンジンは誰が分解したの?君たちでしょう。」「俺が分解したので無いから、知るわけないでしょう。」と返事した。彼らは少し顔色を変えて困惑しながら二人でお互いの顔を見合っていた。一拍置いて、「最初で最後、一度だけ教えるからよく聞けよ。」と、言った。

指導するに当たって、先ずは彼らにやらせてみる事が重要なポイントだ。人に何かを教えるに当たって、水が高い所から低い所に流れるように上下の差、実力の差があればスムーズに伝えることが出来る。初めての時は誰でも間違ったり、失敗する。そしてその差を彼らに自覚させることが重要だ。私は絶対自分から先にやって見せることはしない。これは私の好きな「孫氏の兵法」に通じるところがあると思っている。

彼らはどうしたら良いか分からない事を自覚した。よって集中して私の言葉に耳を傾けた。「知らないエンジンを分解する時は、分解前、分解中に十分に注意して良く観察をすること。そして分解した部品は番号などを書き込み、新聞紙やベニア板の上などに整理して並べる事。当然、部品と同様にボルトやナットも分類整理して並べること。」笑いを堪えながら、できるだけ真面目に偉そうに教えた。

大きなバケツにごちゃ混ぜに入れたボルトとナットはどうしたら良いのか聞いてきた。これも一度しか教えないと言って、ボルトナットをコンクリートフロアの上に広げた。初めに、この中から錆びたり、泥で汚れたボルトナットと、綺麗なボルトナットの二つのグループに分けさせた。そして、「錆びたり汚れたりしている物はエンジンの外側、綺麗な物はエンジン内部に使用されていた物だ。」と教えた。二人とも「アッ」と言って驚いた。続いて「沢山あって使用されている場所が分からない。」と言ってきた。

私は、二つのグループの中から、さらに同じ直径のボルトナットに細分化させた。ボルトの場合、使用している箇所の穴の径と数を比べて場所を特定し、とりあえずボルトを穴に入れて見ると、穴の深さがボルトに合わなければ外へ飛び出したり、中に沈み込んでいるのが確認できる。ボルトの頭の位置が水平に揃わない時は、ボルトの位置を入れ替えて揃える。」と、彼らにやらせた。二人共「こんな簡単な事なのに、誰も教えてくれなかった。」と言っていた。

また、執務室に戻って修理マニュアルを読み、組み立て前に必要な各重要な部品の点検方法や、摩耗具合の判定をするための計測の仕方、燃料噴射弁の点検と噴射圧力調整方法などを頭に入れた。こうして何度か執務室と作業現場を往復しながら技術指導を繰り返した。

エンジンの組み立て作業が始まると、ボルトやナットを均一に締め付けるトルクレンチの使い方を指導した。その時から彼らは、全てのボルト類を締め付けるに当たってトルクレンチを使うようになった。たまたま、私が彼らを手伝っていた時に、トルクレンチを使用しないで普通のメガネレンチでボルトを数本締め付けた。するとすぐに「トルクレンチを使えと教えておきながら、何それ?」と言ってきた。

私は「これで何年飯食ってるか、知ってるか?体で締め具合は分かってるよ。」「ここ見てみろ。」と言って、右腕の筋肉の一部を二人に注視させた。そしてボルトを締めながら、「これで2kg /mのトルク相当ね。」と言って、「ここの筋肉が動くと2.5kgで、こっちが動けば3kg /mのトルクだよ。」と言った。二人共「スゲー」と言って、尊敬の眼差しを向けてきた。

さすがに同じモデルのエンジンを連続で3台も分解修理すれば、二人のメカニック達の技量も格段に上達してきた。同時に彼らが知らぬ間に、私もこのエンジンの隅々まで理解することが出来て、修理マニュアルを見なくても良いディーゼルエンジンの修理専門家になれた。後は、個別にエンジントラブルが起きた時に彼らをサポートし、修理経験を積ませることで一人前のメカニックに育って行くはずである。

数日後、4台目のエンジンは彼ら二人だけで修理を完成し、陸上でエンジンをかけて試験できるようになった。その際、近くに寄って彼らの作業を見守りながら、「上出来だ。よく頑張ったな。」と言って、彼らの努力を誉めると、満面の笑顔で喜んでいた。4台のエンジンはグレーのペイントで綺麗に塗装されて保管された。これでエビトロール漁船用のスペアーエンジンを確保することができた。

最後に、「あのな、先だっての筋肉トルクの話はさ、冗談だからね。」と言ったら、二人共ぶっ飛んでいた。もちろん、さほど重要でないところの締め具合は体感で締めているのは事実である。

マリーンギアの応急処置

単価の高いエビの漁獲量が漁業公社の経営状態を左右するほどエビトロール漁は重要であった。稼動していたエビトロール船の7隻は傷みが激しく、まともな操業ができる状態ではなかった。スリップウェイが完成し、部品が届くまでは修理することはできないので、自転車操業状態でもなんとか我慢するしかなかった。

ある日、エビトロール船の一隻が操業中にマリーンギアの前進用クラッチが滑り始めて網が曳けなくなってしまった。無線で連絡が入り、なんとか桟橋まで戻ってくることができた。マリーンギアを分解点検するとクラッチ板の摩耗が限度を超えていた。また、クラッチを作動する油圧ポンプのギアも摩耗して油圧も通常よりも圧力が落ちていた。日本から届く部品リストの中には該当する部品が入って無かった為、追加の無償供与資機材として部品を日本へ申請し、許可が出て入手するまでに半年以上待たなければならなかった。

まともに操業出来る船数が減っていることから、赤字経営が続いていた公社にとって、操業船数をこれ以上減らすことはできなかった。そこで私は対策として、マリーンギアの摩耗している前進クラッチ一式と、使用頻度が少なく摩耗が軽微な後進のクラッチ一式を入れ換えさせた。前後進のクラッチに同一部品を使用していた事を思い出したのだ。

専門家の派遣前に、日本のマリーンギア会社の生産現場で3日間の研修を受けたことが役に立った。エビトロール船は操業中に後進はしない。桟橋に船体を接岸する時に後進を必要とするので、部品が届くまでの間後進は最微速のみで使用させ、前進することは問題なく出来るので操業に復帰させた。こうしてなんとかエビ漁獲量の減少を防ぐことが出来た。

8隻あったエビトロール船は、何故かマリーンギアの故障が多かったので古参のメカニックに色々と話を聞いてみた。すると、以前働いていた現地人のエンジニアが、マリーンギア本体に油圧クラッチと英語で標記されているラベルを見て、油圧機器に使用されている粘度の低いオイルを使用していたことが分かった。その結果、クラッチ板の摩耗やギアの歯欠けが頻繁に起きた原因がハッキリした。

ちなみにマリーンギアの指定オイルはエンジンオイルと同じだ。私が着任してから常夏の気候を考慮して、SAE#30から粘度の高い#40のディーゼルエンジンオイルに変更した。

エビトロール船は海岸線に沿って水深が浅いところで操業している。季節によって近くの川から大量の流木が海に流入する時がある。その流木をプロペラが吸い込んでヒットすると、プロペラやプロペラシャフトの曲る事故につながる。油圧作動用の粘度がとても低いオイルでは、プロペラが受けたインパクトがギアの歯面にも悪影響を与えることになる。

当地では、大学の工学部出身者はスペイン語でエンジニア又はドクターと呼ばれ、自ら手を汚す仕事はしない。口先ばかりで実務に疎い人が多い。ちなみに当時のコロンビアで就職をする条件として重要な事は一に生まれ、次にコネ、大卒以上の学歴、そして容姿に優れていること(もちろん白人優先)。残念ながら個人の能力はほとんど考慮されないということだ。(現在は外資系の会社が増えるにつれ、徐々にこれらの条件も変わってきていると推測する。)

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