C. エクアドル海亀案件(1/5)

2006 年7 月19 日

例によって三日坊主の派遣日記を書くことにする。いつまで続くか分からないが、こういうのは少し時間が経ってから読むと結構面白いもので、いい思い出になる。

派遣前:
正式にエクアドルの派遣が決まったのはアルゼンチンの案件が終了し、コロンビアでの休暇がちょうど一月になる6月のはじめ頃だ。メールで東京から7月13日に次の派遣予定国のエクアドルで開かれるプロジェクトの合同委員会に同席するように連絡が入った。

逆算すれば6月22日にメデジンを発ち、ダラスで一泊して24日の土曜日に日本に着けば、ビザや旅行の支度が間に合う。個人的には9 月にエクアドルへ派遣されると思っていたので、充分にコロンビアで休みがとれるなと思っていたところだ。

久々のメデジンでは親友の別荘や、マルタの姪が働いている近郊の村へ遊びに行き、とても楽しい毎日を過ごせた。当初の予定では7 月末までコロンビアに滞在し、その間にマルタと20日程度の安いヨーロッパツアーに参加しようか、または以前働いていたドミニカへ6年ぶりに友人たちを訪ねに行こうかと話していた矢先だけに内心大いに落胆した。

しかし現在、次々と仕事を回してもらえる専門家が何人いるだろうか。自分が財団本部からそれなりに信頼されているからであり、もしはっきりした理由もなく断れば、もうそれっきり仕事をもらえなくなるかもしれない。まだ娘の大学は今年を入れて3 年間あるので、彼女が卒業するまではこの仕事を続けたい。でも反面心の中ではできればもうこの仕事を辞めて、コロンビアでゆっくりしたペースで生活をしたいという気持ちもなくはない。

実は、こんなこともあろうかと一番安い航空券ではなく、余分にお金を払って一回だけ帰国のスケジュールを変更できるチケットを買ってきたのが正解だった。帰りは同じルートを戻るが、途中フライトコネクションの都合でダラスに一泊することになる。メデジンから満席であったが、運よくカウンターのお姉ちゃんが日本まで行くには疲れるだろうからと、マイアミまでビジネスクラスにアップグレードしてくれた。

朝一番の飛行機であったため、前の晩は親友のペドロの別荘に泊まり、当日空港まで送ってもらった。出発の際、マルタばかりかペドロも少しセンチメンタルになっていた。飛行機は予定通り正午にマイアミに着く、ビジネスなので快適な3 時間の空の旅だった。マイアミのイミグレーションもカスタムもすんなり通り、スーツケースはいったん引き出すがすぐコネクティングに渡してしまったので身軽になった。

ダラス行きの夜9時のフライトまでじゅうぶん過ぎる時間があるので、タクシーで空港近くのショッピングセンターへ行くと、映画館でミッションインポッシブル3が上映されていた。次の映画が始まるまで1 時間半ほどウインドーショッピングをして、リーバイスのジーンズを試着したところ穿いた感じがとても良かったので一本買うことにした。

午後の早い時間の館内には私の他に客が4 名程度しかおらず、貸しきり状態で映画に没頭できた。久々の痛快なアクション映画だった。この夜ダラス行きの便が遅れ、夜の10 時半に着く予定が12 時半になってしまった。空港に着いて荷物の事を聞くと、明日の東京行きの便にそのままコネクティングされているというので、手荷物のまま外にでる。

ホテルの案内板で金額を確認してから適当なホテルに電話してみると、満室という返事が返ってきた。ちょっと変だなと思ったが、次にかけたホテルも満室だった。となりで電話している人も同じ返事だったようで、あちこちに電話している。高級ホテルにも電話してみるが、空港周辺のホテルはどこも満室だった。こんなことは初めてだ。なにかコンベンションでもあったのかもしれない。

空港の案内図をみると、空港の他のターミナルにホテルが付設されているのでシャトルバスで送ってもらう。ホテルの受付の女性に部屋があるかと聞くと、満室だといわれた。ちなみに値段を聞いたら一泊350ドルだった。ダウンタウンのホテルなら部屋があるといわれ、値段を聞くと280ドルと言われた。内心高いので驚いたが、もう一度他のホテルにトライして無ければ御願いすると言って、階下のホテルの案内板に戻り片っ端から電話してみた。しかし何度やってもどこも満室だった。時間はもう2 時近くになっていた。

深夜の空港は掃除する人も帰ってしまってだれもいなくなり、さすがに一人になると心細くなった。疲れていたので高いけどダウンタウンのホテルへ泊まるべく、空港ホテルのお姉さんにタクシーを呼んでもらう。10 分ほど外で待っていると、タクシーが来た。運転手はインド系の人のよさそうな顔をしたお兄ちゃんだった。ダウンタウンのシェラトンかと聞かれたので、実は空港周辺のホテルを探しているが、どこかないかと聞いたところ、あちこちに電話で探してくれた。

少し走った所で、ホテルやモーテルの集まっているエリアの一軒で聞いてみることにする。このホテルも満室だったらこの一帯はたぶんどこも満室だろう、というドライバーの話を聞いてフロントに行くと、喫煙室なら一部屋だけ空いていると言われ、すぐチェックインした。翌日の朝は、よく眠れたおかげで気力が充実していた。ベッドで眠れてよかったと思った。ホテルのシャトルバスで空港に戻り、朝食は空港でとることにした。

6月26日(月)~二週間

成田に土曜の午後に着き、今朝から財団に通ってエクアドルのビザの手続きを開始する。先任のM君が残したメモをもとに書類の準備をしたところスムーズにビザは取れた。7月になりちょうど、エクアドルの漁業次官と補佐官が韓国の国際会議の後で日本に寄ることになり、土曜日に一人で成田空港へ迎えに出た。

日曜は自由行動でアテンドしなかったが、月曜日は早朝の築地へ魚市場を見学に行き、昼は上野のアメ横や、本人の希望でぜひ泊まってみたかったというカプセルホテルをのぞきながら夕方財団本部に行った。この日の夕食は常務主催で地下のマグロ屋で食べる。通訳をさせられたのであまり食事はできなかった。ここでプロの通訳さんの大変さを少し体験した気分になった。

翌日はホテルへ彼らを迎えに行き、新幹線で清水に行った。遠洋水研では海亀混獲問題の話をレクチャーしてもらったので、こちらも大変参考になった。この後、次官の希望していた京都に一泊して、翌日午前中は半日バスツアーで二条城、金閣寺、京都御所を見学した。二条城は毎日拝観料を取っているにもかかわらず、建物がかなり傷んでいて情けなかった。

東京に戻る前、京都駅のビル内にあるお好み焼き屋で、焼きそばや京都風の厚焼き(お好み焼き)を食べた。うまかった。次官も非常に気に入ったらしく、おかわりを何回もしてとても喜んでもらえたようだ。それにひきかえ、夕べ食べた天ぷらは高いだけで全然うまくなかった。彼も黙っていたので、結構味のわかるグルメな奴だと思った。聞いたら日本食は大好きだって。

7月10 日(月)

エクアドルには合同委員会のミッションと一緒に10日の深夜便(00:30着)にてグアヤキルに到着する。空港で先任専門家のM君と、トー補佐官の出迎えを受ける。M君は90年にコロンビアで協力隊員をしていた男で、彼とはその頃からの付き合いだ。2年ほど前に博士号を取った漁具漁法の専門家だ。

ホテルで彼から、後から到着する課長の旅程や(パスポートを変更しなければならないことが成田で発覚し、飛行機に乗ることができなかった。)現地の状況を聞き、マンタ周辺の漁村の視察や、合同委員会について打合わせをする。ホテルでカルロ、マンタ事務所長、インストラクターのマヌエルに紹介される。

7月11日(火)

M君とマンタ事務所のカルロ所長の運転する2 台の業務車でマンタに向かう。途中アンコンシート、サンタ・ローサ、プエルト・ロペスの漁村により、マグロ延縄漁を行っているFRP小型漁船や水揚げされている魚などを視察する。

アンコンシートの砂浜では約26ft のFRP 船に、ヤマハの75 馬力の船外機を載せた船が200隻以上も浜や海にずらりと並んでいて壮観であった。訪問先の各漁村ではプロジェクトで働くマヌエルから説明を聞きながら、土地の漁師達からも話を聞くことができた。総じて好意的な対応振りであった。

12 日の午前中はマンタの砂浜で開設される青空魚市場や港を見に行った。(後日、事務所の入っているビルの3 階で、水産物の輸出を行っている日本人のI氏の息子さんと話す機会があり、青空魚市場のことを聞くと、「人が多いにもかかわらず泥棒や強盗もかなり紛れ込んでいて危険だから一人では行くな」と忠告を受けた。)

午後、ミッションが借上げたレンタカーでグアヤキルに移動する。夕刻ホテルでマルティンH氏からIATTC の活動について概要説明を受けた。夕食後、課長のスーツケースが届かなかったため、飛行機の着く11 時に課長と二人で空港へ行き、待つこと2 時間、無事にスーツケースを受取る事ができた。

合同委員会はプロジェクトの中間報告のような形で、活動内容の報告や成果の確認、今後の活動について説明が行われただけなのでスムーズに終了した。日本でトーレス補佐官に頼んであったプレスのインタビューも行われ、2日続けて全国紙を含めたいくつかの地元の新聞や業界紙に記事が載った。この辺の仕込みは、いつものノウハウを活用したっていう感じでうまくいった。現地側の次官もミッションも顔が立つしプロジェクトのPR にもなった。

グアヤキル出張 平成18 年7 月27 日

11 日の夕刻マンタに着任する。翌日、12 日にIATTC のマンタ事務所で、カルロ所長から3 人の常勤職員に三橋専門家の後任として紹介される。午後、ミッションが借上げたレンタカーに同乗し13 日にグアヤキルで行われる合同委員会に出席する為に移動する。

夕刻ホテルに着いてすぐマルティ氏から海亀混獲対策プロジェクト活動について概要説明を受けた。翌日の合同委員会に先立ち、このプロジェクトの背景などが良く理解できる内容であった。

13 日の合同委員会には、エクアドルのボリス漁業次官、トー補佐官、本部から事務局長、海亀プロジェクトの責任者であるマルティ博士、マンタのカルロ所長、財団ミッションのM課長、プロジェクト担当者のW氏、通訳のCさん、プロジェクトからはM専門家、現地スタッフのリリアーナ女史、マヌエル氏、それにトー補佐官が理事長を勤めるエクアドルオブザーバー協会のバンチョン氏、それに私を含めて合計13 名が出席した。

会議では先ず各機関の代表者である次官、事務局長、M課長の挨拶から始まり、出席者の紹介、議題の確認等が行われ、司会としてM専門家が議事の進行を勤めることになった。引き続きマルティ博士よりI海亀プロジェクトの全体的な進行状況の紹介が行われた。詳細な活動内容やデータ等が紹介された。会議後にプレゼンテーションのファイルを財団ミッションにコピーさせていただいたが、使用されたデータ等は未公開な物なので取り扱いに十分な注意を要するということであった。

M専門家からはエクアドルプロジェクトの初年度の進捗状況と結果が報告された。特に本部とは異なった視点から漁獲データを解析し、ペルー沖とエクアドル沖で漁獲されるシイラの魚体の差が、混獲データに少なからぬ影響を与えているとか、マグロ延縄より小型のJフックを用いることからシイラ延縄漁は海亀の混獲率が高いため、対策として改造したJ フックを用いた操業試験等の実施など、非常に興味深い活動内容であった。彼の仕事ぶりは本部から非常に高く評価されており、特にマルティ博士からとても信頼され、また彼の今後の活躍が大いに期待されていた。

昼食後、釣針交換のプログラムを実施しているリリアーナとマヌエルから、ビデオ映像を交えた臨場感のある現場の様子が紹介された。最後にM課長から財団のエクアドルプロジェクトに対する今後の対応と、パナマにおけるプロジェクトについて説明が行われた。

トー補佐官から来年度の延長について考慮していただきたい旨の発言があったが、これに対して延長はできないが、来年3 月末までに予算の許す範囲で在庫等必要な資機材を供与することで、現場サイドで活動がある程度継続できるように対応していきたいと課長から説明があった。

英語議事録のドラフトは事務局長を中心に、マルティ氏、M専門家間で作成していただいた。翌日、ドラフトが確認されてから署名が行われた。二日間の会議中に地元の新聞、全国紙、漁業雑誌の記者多数から取材を受け、プロジェクトに対するエクアドル側の関心の高さが伺えた。

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