C. アルゼンチン海水魚養殖案件(6/7)

C. 海外漁業協力専門家稼業
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1)種苗生産技術

今回対象とする魚種は現地のマダイとヒラメであった。日本産のマダイ、ヒラメと比べても見分けがつかないほど良く似ていた。当地の天然のマダイは大きなカゴ漁で捕獲される。水揚げされた魚は加工工場へ送られ、魚体を切らないで内臓を口より吸引パイプを差し込んで吸い取る。そして同じサイズのものが箱詰めにされてから急速凍結される。魚体に切った跡が無く、少し小振りのワンプレートサイズの塩焼き用として、日本向けに輸出されていた。披露宴などのお祝いの席で重宝されていると聞いた。

現地の天然ヒラメは日本のヒラメよりも大きく成長する。シーズンになると河口近くの海岸でヒラメを狙った釣り人が多く集まり、大きいものでは60cm以上のサイズもよく釣れると聞いた。また、海だけでなく河口から1km以上も遡った川で釣られることもあるという。

マルデルプラタの国立漁業開発研究所では、数年前より研究室内の水槽にてマダイとヒラメの親魚を育てており、毎年産卵シーズンの春から初夏(10月から1月)にかけて種苗生産に取り組んでいたが、中々上手く行かずに困っていた。私達が到着した1月はマダイが産卵していた。マダイの担当責任者はエドであったが、毎年多くても5千個くらいしか産卵せず、また卵を孵化させて稚魚から仔魚へと育てることが中々出来ていなかった。今年も何度か産卵したが生き残ったのは数尾だけのようだった。

ヒラメの雌の腹も大きく膨れていたが、水槽内での産卵は一度も成功していなかった。ヒラメの種苗生産研究はすでに3年が過ぎていた。彼らはヒラメの産卵が行われないので、雌の膨らんだ腹を絞るように押してステンレス製のボウルに採卵し、上から雄の精液をかけて受精させていた。しかし、マダイよりも孵化率が低く仔魚まで育てることは出来ていなかった。

私が、ビザとか家や車の手配を進めていた頃、養殖の専門家であるODさんとOさんは研究室の水槽や水質、資機材等の設備一般と、カウンターパートが進めてきた親魚の養成、産卵準備、孵化や稚仔魚の育成等の方法、餌などの詳細を調べていた。二人の専門家は調査の結果を元に、とりあえず親魚の餌の中にカプセルに詰めたビタミン剤などを投入し、栄養の強化をして卵の質を上げることに注力した。また、自然産卵を誘引するために水温と日照時間について、現地では把握されていなかった事から日本のマダイやヒラメのデータを用いることになった。

研究所はマルデルプラタの港を構成する堤防の根元に、日本の水産無償協力によって建設された施設だ。マダイもヒラメも手狭な研究室内の水槽で飼育されていた。研究室が立っている北側の突堤は道路もあって先端まで車が入れる。そして研究所の前は砂浜で、夏には多くの海水客が集まる。海水は南極から北上してくる海流で1年中冷たい、そして外洋に面しているので波が荒く、日本国内でよくある海上に生け簀を設置して養殖する方法は適さない。また海水は微かなシルトが混じって薄茶色である。

研究室の水槽は閉鎖循環システムという方式で、水族館の水槽と同じ処理方法にて水質の管理が行われていた。この方式だと、頻繁に海水を補充したり交換する必要が無い。海水を交換する時は、23年前に日本政府が無償供与した調査船で、沖合の清浄な海水を汲んで使用していた。飼育水はポンプにてメインの飼育水槽から砂濾過槽を通って最後にUVランプで殺菌され、再び飼育水槽に戻るシンプルな仕組みになっていた。

飼育水槽内の魚が排泄した糞や餌の残りなどの固形物は、細かなメッシュの袋で取り除かれる。飼育水中に分解された固形物や尿など、毒性の強いアンモニアが滞留すると魚は死んでしまう。そこでアンモニアは砂袋を入れた生物濾過槽で、自然に繁殖する好気性の微生物にて亜硝酸に分解され、さらに無毒性の硝酸へと分解処理されていた。メンテナンスとして時々汚れで詰まる砂袋を洗い、定期的に飼育水を補充したり交換をしていた。

リーダーのODさん曰く、まだ世界的にもこの方式で親魚の自然産卵及び養殖を成功させた事例は珍しく、このテーマで論文がいくつか書けるのではないかと言う意見であった。水族館と養殖用の水槽の大きな違いは何かと云うと、海水1トンあたりに収容する魚の量だ。水族館では3〜5kg程度だが、養殖の場合、親魚養成は水族館と変わらないが、成魚まで育てると海水1トンあたり30kg以上にもなるので、水質の浄化システムにかかる負荷が大きく、水質管理が大変になる。

私達が着いた時はすでに産卵期のピークを過ぎていたが、Oさんが現地で使用されている資機材のみでマダイの種苗生産を試みた。数日間とはいえ親魚マダイへの栄養強化が功を奏したようで、今まで5千個程度しか産卵しなかったマダイが3万個以上産卵した。選別した約1万尾の仔魚が大きくなり、体長が約4cm程度になってからさらに5千尾を選別して中間飼育水槽へ移した。

マダイは毎日元気で良く餌を食べていたが、体長が大きくなるにつれて死亡する魚が出て来た。原因は魚のサイズが大きくなるにつれて与える餌の量も増え、当然排泄物も多くなる事から水質が急速に悪化して来たのである。既存の水質浄化システムの能力が限界を超えてしまったのだ。カウンターパートにとっては初めての経験であった。なぜなら、今まで5千尾の稚魚を閉鎖循環水槽で飼育した経験が無かったからだ。

急遽、生物濾過槽の砂袋を洗い、海水を交換してなんとか対応したが、魚体が大きくなるにつれて頻繁に生物濾過槽のメンテナンスを行わなければならなかった。海水を吸った30個ほどの砂袋を洗浄するのはとても重労働であった。海水を頻繁に交換する必要があったが、地下にある貯水槽は小さく、すぐに海水が足らなくなった。調査船は年間スケジュールに沿って運営されており、こちらの都合の良い時に沖合の清浄な海水を運んでもらうことも出来なかった。

2)閉鎖循環水槽システムの改善

アルゼンチン側の担当者達は海洋生物学を専攻してきた連中だ。そして日本側の二人は水産養殖技術の専門家であった。皆、早急に中間飼育水槽の水質浄化システムを改善する必要性を感じていたが、誰も経験が無い機械工学的な分野のため、具体的にどのように改善したら良いか判らなかった。そこでポンプや浄水器関連の知識と経験のある私が、当地の環境に合った閉鎖循環システムの改善にトライすることになった。

私は閉鎖循環システムについて、ネットで日本語、英語そしてスペイン語で調べてみたが、情報量はとても少なかった。色々とネットで調べているうちに、日本の熱帯魚飼育愛好家のブログを見つけた。規模は小さなものであったが、閉鎖循環システムの比較などが出ており、非常に参考になった。その中で私はプロテインスキーマー(泡沫分離装置:海水中の汚れや分解される前のプロテインを微細な気泡で吸着、浮上させて水槽外に捨てる装置)の存在を知り、とても気になった。

熱帯魚用水槽に使用されるプロテインスキーマーのサイズはとても小さいが、原理は水槽の海水をポンプでベンチュリー管に圧送すると、菅の内径が絞られたベンチュリー部で水の流速が上がり、圧力が気圧よりも下がって外部の空気が吸い込まれる。空気は海水に混入して微細な気泡(マイクロバブル)を管の出口から噴出する。特殊な機材で泡を発生しているのではなく、オートバイのキャブレターに使用されているベンチュリーと同じだった。

さらにネットで調べると、ドイツ製の大型水槽用のスキーマーのカタログが見つかったが、輸入するととても高額になってしまう。また使用したことがない事から実際の効果も解らないために手が出せなかった。そこでPVC管の異なる口径を組み合わせて簡単なベンチュリーを作って実験することにした。水槽内に入れた水中ポンプの吐出口に取付けてみると、とても細かな気泡が霧のように沢山出てきた。溶存酸素を増やすためのエジェクターと同じ働きだ。プロテインスキーマーは水槽内の汚れを排出するだけではなく、溶存酸素量も増やすことが出来る優れものだと言うことがよく理解できた。

飼育水槽の水質を改善するために、色々なカタログを参考にしてプロテインスキーマーを自作してみることにした。材料は日本から届いた珪藻類を培養する透明なポリカーボネート製のシリンダー型タンク1本(100ℓ、直径500㎜、高さ約800㎜)に、PVC製の管でベンチュリーや、ポンプの吸排水管の配管を行った。ベンチュリー自体は簡単な図を描いて、機械屋に頼んでナイロン製の丸棒から旋盤で削りだしてもらった。400Wのマグネットポンプの吸水側は飼育水槽の排水管に接続し、吐出側をベンチュリー管に接続して完成した。

ポンプのスイッチを入れると、スキーマー内の上部そして中心部に取付けた下向きのノズルから海水が勢いよく吐出した。排水側のバルブの開度を調整してタンクの上端まで海水面を上げ、一定の水位を保つ様に調整した。ベンチュリーは空気を吸い込み、沢山の気泡がノズルからシリンダー型タンクの底へ向かって吐き出され、シリンダーの底30cmくらいまで気泡で一杯になり、そこから気泡は反転して上昇する様子が見えた。

少し経つとシリンダーの蓋の上面に接続した、径100mmのPVC管で作った排出口から汚れた泡が出てきた。そのまま運転を継続し、翌朝確認すると排水溝から汚れた泡が大量に溢れ出ていた。そして前日まで飼育水槽の中の汚れて濁っていた海水はとても澄んで来た。飼育水の溶存酸素量もとても高くなった。溶存酸素量が多いと、アンモニアを硝酸に分解する好気性のバクテリアも活性化するので都合が良い。毎日十数尾のマダイの稚魚が死んでいたが、このスキーマーを取付けてから魚が死ななくなった。

       シリンダー型タンクを2本接続して大型化した自作スキーマー(後期モデル)

日本に一時帰国した際に、Oさんと赤城山の麓にある電力中央研究所のヒラメ閉鎖循環システムを見学させてもらう機会を得た。山中に設置されているシステムのため、海水をできるだけ交換しない工夫がされていた。ヒラメの飼育水槽ではプロテインスキーマーを使用していなかった。理由を聞くと、なるべく海水を排出させないため、ドラム回転式のメッシュフィルターを使用して汚れを取り除いていた。もちろんアンモニアは生物濾過槽で硝化されていたが、砂は使用せずに軽量のプラスチック製ろ材が使用されていた。

長期間海水を交換しないでいると飼育水に硝酸が滞留していく、この硝酸を嫌気性のバクテリアで分解する脱窒装置も研究されていたが、私達が訪問した際には使用されていなかった。システムが複雑になるのを嫌ったようだ。一年近く海水を交換せずに飼育すれば、硝酸が滞留していくがヒラメの健康に何らかの影響は出なかったという結果が出たようだ。この訪問では得るところが多く、マルデルプラタの閉鎖循環水槽システムの改善をするためにとても参考になった。

マルデルプラタに戻り、軽くて安いプラスチック製の配線プロテクターを見つけた。自動車や機械の配線をカバーするホースだ。生物濾過水槽のエレメント用に使えると思った。直径は約12mm、形状はジャバラとなっていることで表面積も稼げるので都合が良い。一巻き30mを試しに購入して、よく切れる包丁で長さ15mmほどに切り揃え、玉ねぎを入れるメッシュのナイロン袋に入れた。重い砂袋と水に浮く新しいジャバラホースを入れた袋に交換した。

3週間ほど経つと天然のバクテリアが付着したようで水質が安定してきた。全ての水槽のエレメントを交換する事になったが、ホースを一定の長さに切り揃えるのがとても面倒くさく手間が掛かった。若い連中が5人ほどプロジェクトで働いたので、彼らにお願いして毎日切ってもらったが、数量が揃うまで3週間も掛かってしまった。しかし、砂袋の様にホースの穴が詰まることは無く、2、3か月ごとに一回程度汚れを濯ぐだけでほとんど手間がかからない優れ物であった。

                 カットする前のジャバラホース

この他に沈殿水槽(デカンター)を現地で制作した。デカンター内に渦を発生させ、その遠心力を利用して固形物である残餌や糞を海水から分離し、円筒形の外壁から円錐状をした水槽の下部に溜める事ができる。デカンターの底のバルブを解放すれば、汚れや固形物を抜く事ができる。残餌の無い海水は、デカンターの上部から生物濾過水槽に流入するようにした。これで海水は飼育水槽から沈殿水槽(デカンター)、生物濾過水槽、電磁ポンプ、プロテインスキーマーを通り、UVランプで殺菌した。最後に自動海水温調節器を通って再び飼育水槽に戻すことで、閉鎖循環式飼育水槽を完成させる事ができた。これで稚魚も親魚も問題無く育成することができる様になった。

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